次の日、つまり土曜日の朝。
私は珍しくも「元の姿」で、いつもの大きな公園の前で秀樹のことを待っていた。まあ、昨日慎治たちにも話したように、「デート」のためである。
……今度が初めてのデートでもないというのに、なんでここまで心がドキドキするんだろう。
自分のことだというのに、こういうところはよくわからない。
まあ、いっしょにいられるなら別にどうでもいいんだけど。
「よっ、彼女」
そんなことを思っていたら、カジュアルな服を着た「元の姿」の秀樹が、こっちに近づいてきた。
ちょっとキザな仕草で、右手を軽く上げてニコッと笑っている。
「いきなり何言ってんの。まったく」
「でも、彼女じゃん」
「それはそうだけど……」
なんかちょっと悔しいが、今はデートの方が大切だ。
私の都合であんまり遠いところまで出かけないというのに、こんなくだらないことで時間を使うわけにはいかない。
「んじゃ、行くか」
「はいはい」
だから、まずは近くの散歩コースをいっしょに回ろう。
二人ならきっと、ありふれた風景だって楽しくなるから。
ちなみに、今の私は「元の姿」なので、自分の選んだ私服を着ていた。
とは言え、そこまで可愛らしいものじゃない。たしか遊園地の時に着た「別の姿」のアレよりはマシだけど、自分の私服なんか、元から面白みも何もないものだ。
自分って、女の子らしい服、例えばスカートとか……そういうものはあまり履かない。別に嫌なわけじゃないけど、どうしても動きづらくなってしまうから履かなくなった。
だから、自分の私服と言えば、どうしても家で着るものと似たようなTシャツや半ズボン、みたいなものになってしまう。
……これじゃ家の中でこっそり黒ロリなんか着ているやつだとは到底思えないが、まあ、自分はそうなんだから仕方ない。
ということで、今日もいつものようにカジュアルなシャツとジーンズな半ズボンなんだけど、秀樹にはどう写っているんだろうか。
「あれ、柾木。何か考え事か?」
「い、いや、別に――」
なんか秀樹に心配されたから、思わずそう否定してしまう。そうすると、秀樹はまたにっこりと笑ってみせてから、私に向けてこう話しかけた。
「別に俺、柾木なら何を着てもかわいいと思うけどな」
「べ、別に私は服とか、そういうの考えたわけじゃ……」
「自分の服をちらちら見ながらそんなこと口にしても、あんま意味ないと思うぞ?」
「……秀樹のいじわる」
そこまで言われると、こっちは何も否定できない。
自分ってどうしていつも、秀樹にはこうして負けてばかりなんだろう。
「あはは、やはり柾木はかわいい」
「そ、そんなこと口にしないでよ、もう」
いつもの、ありふれた散歩道。
でも、やはりここには思い入れがあるからか、ただ公園をぐるりと回っているだけなのに、なぜか心地よかった。
……照れくさい。
そうやって街角まで出かけた時、私は思わずそう思ってしまった。
考えてみると、今の私、「元の姿」では初めてのデートだったんだ。別の方では何度かいっしょに出かけたから、完全に忘れていた。
別にこっちとしては、いつもの服を着て、いつものような道を、秀樹といっしょに歩いている。ただそれだけのことなのに。
どうしてここまで、こそばゆい気持ちになるんだろう。
デートっていうのは、こういうものなのかな。私は初めてだから、やはりこういうのはよくわからない。
「あのね」
その照れくさい空気から逃げ出したくなったからか、私は思わず秀樹にそう話しかけていた。
「なんだ?」
「あの、初めて『別の姿』で出会ったあの日のことだけど、私、あの時にひどいこと言っちゃったんじゃない」
「……ああ、そうだったな」
まだ二ヶ月前のことだというのに、秀樹はどこか遠い目をした。自分でも遠く感じられる出来事なんだから、おかしい反応ではない。
「あの時、その……どんな気持ちだった?」
「うーん、どうだったかな……」
相変わらず遠いところに視線を落としてから、秀樹はやがて口を開いた。
「やっぱり、苦しかったな」
「そうなんだ」
「うん、俺の心、結局『高坂さん』に伝わらなかったと思った。自業自得だけどね。柾木にはウザかれても仕方なかったと思う」
「べ、別にそれほどでも……なかったと思う。今になってはね」
「だったら嬉しいな。俺、あの時にはひどく落ち込んでたんだよ。笑えるくらいにね。柾木に完全に嫌われたと思って、もう自分のささやかな野望は叶えなくなったかな、と思った」
「野望?」
「いや、なんでもない。ともかく、今はこうして柾木にそばにいられるからな」
そう言いながら、秀樹はこっちに向かって笑ってみせる。
……悔しい。
その笑顔が、また私の心をかき乱してしまう。
「柾木の方はどうなんだ?」
そんなことを思っていたら、秀樹が急にこう聞いてきた。
「な、何が?!」
「こうなったこと、どう思ってる?」
「……こ、恋人同士になったこと?」
私が恐る恐るそう聞くと、秀樹はぐっと頷いてみせる。
こ、これってきっと、私の反応がわかっている顔だ。私が思っていること、全部わかってるくせに。
「よ、よかったじゃない。こうなって」
「つまり、柾木の方も嬉しいってことでいいかな?」
「わ、わかってるくせに」
私はそう口にしてから、秀樹からそっと視線を逸らした。さっき思ったままのことを口にしたことに気づいてしまったからだ。
いつものことだけど、秀樹って本当に、私のことを弄るのが好きなんだと思う。
そこまで私のことが好きなのかな。
……まあ、私も好きだけど。こんなこと、絶対に口にはしない。
恥ずかしいんだ。自分の気持ちがバレてしまうことは。
たぶん、すでに秀樹にはバレてると思うけど。
そんなことを思いながら、自分が必死に感情を抑えていた時だった。
「手、繋ごうか?」
「えっ?!」
秀樹が急にそう聞いてきて、私は思わず動揺する。
て、手をつなぐくらいなら恋人同士だし当たり前なのに、なんでオロオロしてるんだろう、私。
ここまで照れくさい反応をしなくても良いはずなのに。
「そ、そこまで繋ぎたいの?」
「うん、やりたいな」
「……じゃ」
そこまで聞いた私は、視線をそっと逸らしてから、秀樹に向けて手を差し伸べる。
ど、どうもこういうのは慣れそうにない。
他の恋人同士って、どうやって初めて手を繋ぐんだろう。
「ほいっ」
そんな私の気持ちも知らずに、秀樹はこっちが伸ばした手をぎゅっと掴んだ。
私より遥かに大きなその手に、一瞬、心臓が止まりそうになる。
お、おかしいなぁ。私も「別の姿」なら、おそらくこの程度の手の大きさになるのに。
どうしても他人のものになると、手が触れられただけで緊張してしまうんだ。
「へへっ、柾木とようやく、手つなぎできた」
「う、ううっ」
「温かいねぇ。真夏だというのにさ」
「……そ、そうかも」
こっちがここまで緊張してるというのに、秀樹ったらノンキすぎて困ってしまう。私の心なんか、これっぽっちも知らない様子だ。
「あ、柾木、大丈夫?」
「べ、べ……別に」
と思っていたら秀樹にそう聞かれたので、私は思わずどもってしまう。未だに、心はすごくドキドキしていた。
相変わらず、秀樹とは視線を上手く合わせられない。自分の初々しすぎる……っていうか、恥ずかしい態度に呆れてしまいそうだ。
そもそも、なんで私、男と触れ合ってるだけでここまでドキドキしてるんだろう。
……自分だって、何度も「あの」姿になっていたというのに。
……どうしよう。
こうしてずっと手を繋いでいると、頭から煙が出てきそうだ。
そ、そろそろ離してもいいはずなのに。
でも、正直に言うと、やはり離したくはない。
いったいどうしたいんだろう、私。
「こうやって顔が緩んでる柾木って、いつもよりもかわいいなぁ」
「ゆ、緩んでる?!」
「うん。我慢してるつもりだと思うけど、かなりバレバレかな。そこがいいけどね」
「う、うう……」
わ、私、どうしてもこの男に、せめて一つくらいは言い返したい。そうしないと、悔しくて生きていけなくなる。
いや、秀樹は自分なりに褒めるつもりだと思うけど……。恥ずかしい。照れくさい。こそばゆくて死んでしまいそうだ。
でも、どうしたら秀樹に一矢報いることができるんだろう。
自分ってこういうのが得意じゃないから、どうしても迷ってしまうんだ。笑える話だけど。
……や、やるしかないよね。
あまりネタもないんだけど、私は覚悟を固めた。
「あ、あなたが私の男だというのを、そ、そこまで確かめたいの?」
相変わらず視線は逸らしたまま、私はそう言い放つ。
……恥ずかしい、恥ずかしい、ともかく恥ずかしい。
もっといいセリフはなかったんだろうか。もうどこだっていいから、消えてしまいたい気持ちだった。
そもそも、「私の男」とか、なんでこんなこと、口にしてしまったんだろう。自分から考えても突飛すぎるセリフで、顔を合わせることすらできない。
秀樹だって、目を丸くしてこっちをじっと見ているし。
わ、私、これからどうすりゃいいんだろう。
「お、柾木らしくないね。そのセリフ」
しばらくしてから、秀樹はそう口にする。珍しいことに、今は秀樹も視線をそっと逸らしていた。
「ちょ、ちょっとビビっちゃったな。これは確かに照れくさいね。あはは」
「わ、わかったらいい……と思う」
これでもう、こっちは勝ったのも当然なのに、今度は自分の方が照れてしまった。
やはりこれって、自分がすでに負けていたんじゃないんだろうか。
……もうちょっと、立派なセリフにしておけばよかったのに。
「で、でも」
「ん?」
なぜだろう、さっきああいう変なことを口走ったせいだろうか――私は思わず、声を高めていた。
「私に男っぽいところもいっぱいあるって、秀樹も知ってるんじゃない。そ、そんなところは、嫌いにならないの?」
「へ?」
その話を聞くと、秀樹は少し驚いたって顔をする。でも、すぐ優しい顔になって、私のことをじっと見つめた。
「別に。俺は柾木のあらゆる姿が好きなんだから、そんなはもう、気にならないな」
「……ほんと?」
「ほんと」
なぜだろう。今、秀樹の顔はとても落ちついているような気がする。
上手くは言えないけど、なぜか、そんな感じだった。
「俺は高坂柾木という存在自体が大好きなんだからさ、どんな姿だったやっぱり愛しいんだ。そりゃ、普通とは違うから戸惑う時もあるけどさ、それでも好きなのは仕方ないから」
「そ、そう」
私はまた、秀樹の顔を見つめられなくなってしまった。
どうして秀樹にはこうやって、振り回さればかりなんだろう。
いつだって私は、秀樹には決して勝つことができないんだ。
「でも、私って、自分ではあまり気にしないけど……。普通の子たちとは色々と違うし、その、変な目で見られるかもしれないよ?」
「へー主にどこが?」
「……その、背とか、体つきとか」
なんでわざわざ、私にこれを言わせるんだろう。今日の秀樹は、やはりかなり意地悪だ。
いや、別に背が低いところも、胸が薄いこともまったく嫌じゃないけど……。それでも、これを自分から口にするのはちょっと恥ずかしい。
「そうだっけな。でも、あんまりそういうのは気にしないな。好きな女の子がたまたま柾木だっただけだし」
「あんた、それでみんな納得するって思うと大間違いだから」
「かもね。でもいいや。俺は柾木が好きなんだ。それだけが重要だと思う」
……そんなに爽やかな笑顔を見せられると、こっちからは何も言い返せない。
どうして私、ここまでどうしようもない男のことが好きになったんだろう。
やはり私、二年生になったばかりのあの時からずっと、秀樹のこと、意識してたのかな。
自分があまりにも素直じゃないから、今までずっとそれを認められなかっただけで。
も、もしそうだったとしても、絶対に本人には明かさないつもりだけど……。
「じー」
ここまで思い至った私が思わず顔を赤くしてると、秀樹が面白げな顔で、こっちをジロジロと見る。
「な、何?」
「いやーなんでも」
ものすごく意地悪な口調で、秀樹はそう言ってから。
「柾木もこう見たらめちゃくちゃ乙女だな。こんな話にすぐときめいちゃって、もうね」
「う、ううっ」
そのニヤリとした笑顔を見て、私は思わずまたまた視線を逸らす。悔しい。すごく悔しいけど……反論できない。
「こ、こんなことに心躍らせられて、何か悪かった?」
「全然、むしろめっちゃ嬉しいよ。ほんと」
……今度は、すごく優しい笑顔。
こんな素敵な笑顔を見せられると、もう勝てる気すらしない。
きっと今の私、顔をものすごく赤くして、必死に視線を逸らしてるんだろうな。
でも、今はどうしても、そんな反応しかできない。
やはり自分って、どう足掻いてもこのような性格なんだから。
「おっ、さっきいい風が吹いたね」
「……うん」
そんなふうに秀樹といっしょに歩いていたら、優しい風がこっちに吹いてきた。
今はやはり暑いから、こういう風が吹いてくれるのはありがたい。
「いつ見ても不思議だな。髪がなびくの面白い」
その風にこっちの髪の毛が揺れるのがそこまで面白いのか、秀樹がまたジロジロとこっちを眺めていた。
「べ、別に変なものでもなんでもないんじゃない」
なぜだろう。その視線にときめいてしまう。
別にえっちな視線でもなんでもないというのに、不思議だ。
「だけど、これがどうやって『別の姿』につながるんだろうなぁ」
「そういうのはど、どうでもいい」
秀樹は不思議そうな首をかしげるけど、私はまた冷たく話を切ってしまう。
……恥ずかしいんだ。
こんな時に、「別の姿」が話題に出るのは。
「あなたは」
だからなのかな。
私は思わず、秀樹に向かってこう話しかける。
「私が……その、ああいう『別の姿』になれるというのに、嫌だとか、気持ち悪いとか、同じやつだとは信じられないとか、そういうのって本当にないの?」
「うん」
即答だった。
聞いた側のこっちがびっくりするくらい、秀樹の答えは早い。
「そもそも、『別の姿』だって、今のように柾木は乙女らしく恥ずかしがってるんだろうな~って思うし」
「そ、そんなこと想像してたの?!」
これは恥ずかしいところの話じゃない。
い、いつも私、秀樹にあんな目で見られてたのかな……。
そもそも「別の姿」の私は仕草も口調も何もかも元の方とは違うはずなのに、なんでそんなことがすんなりと想像できるんだろう。
「まあね。でも俺、柾木ならどんな姿でもOKっていうか、あんまり問題なさそうな気がするんだ。別の方も元の方も、全部好きなんだからね」
「い、言うだけならタダだし……」
「ほんとだよ?」
「……でも、それなら私にだけ都合が良すぎるんだから」
「またその話か」
私がそう答えると、秀樹の顔が少し厳しくなった。
いつもの秀樹のおちゃらけた態度から見ると、すごく、珍しい表情に思える。
「それはひどいな、好きな人のため、都合よくなるのがなぜ悪いんだ?」
「で、でも、やはりそういうのって、後ろめたいところがあるんじゃない」
「だけど柾木だって、美咲さんには都合よくなるんだろ? 好きな人のためなら都合がよくなることの、何が悪いんだ?」
「……」
さすがに、お姉ちゃんのことを持ち出すと答えることがなくなる。
たしかに、それは秀樹の言うとおりだった。
私もお姉ちゃんのためなら、きっと、どんなことを聞かれたって構わないんだろう。
「ほら、柾木だってそうだろ」
「……す、好きにしてよ」
「あはは、今日もかわいいテレ顔、いただきました~」
「まったくもう」
こいつ、私の「別の姿」のテレ顔なんかも楽しみにしてるんだろうか。それを考えると、少し恐ろしい。
でも、これ以上何か言うのは、きっと野暮だろう。
秀樹が本当にそんな気持ちなら、私もそのまま、素直に受け入れたい。
私だって、秀樹には「都合のいい」人間になれるんだ。
お互いそうなって、きっと悪いことなんかは何もない。
それからも私たちは、ただ街角を、住宅街を、ひたすら歩いてゆく。
本当に特別なことなど、何もしてなかった。
デートとしては限りなく地味で、面白みも何もない時間。
でも、こうやって秀樹と並んで歩くことがとてもとてもうれしくて。
あの時以来、あんまり話も交わしてないというのに、私はすごく、満たされた気持ちだった。
「……」
そんなことを思っていたら、さっきまでとなりにいたはずの秀樹の姿が見えない。
慌てて振り返ると、秀樹は一人でじっと立ったまま、何か考え込んでいた。
――どうしたんだろう?
ともかく、呼び戻さなきゃどうにもならない。せっかく、私たちはデートたるものをやっているわけだから。
「さっきから、いったい何をじっと考えてるの?」
そう話しかけると、秀樹がようやくこっちを見てくれた。
私に心配をかけたと思っているのか、少し申し訳なさそうな顔をしている。
「せっかく暇ができたからいっしょに出かけようって、そう言ってきたのは秀樹の方じゃない」
だから、私はわざと呆れたような口調でそう言い出した。
こう話しかけると、秀樹の顔も少しは軽くなるかな、と思ったからだ。
「いや、ちょっとね。俺たちが『付き合う』前のこと、思い出したんだ」
秀樹の答えに、私は思わずじっと睨んでしまう。
だ、だって、なんでこんなデートの中にあんなことを思い出したのか、わからなくなってきたから。
……でも、自分だってさっき、あの時のことを口にしていたわけで。
これって自業自得ってやつかな?
「なんでそんなこと、今思うわけ? 急に恥ずかしくなったんだけど」
「まあ、俺もな」
「だから……」
結局、私たちはお互いに視線をそっと逸らしてしまう。
こ、こうなるってわかってたと言うのに。
私たち、本当にこういう場面では不器用なんだな……。
「……ほら、ちゃんとつかんで」
だから、その照れくさい気持ちを必死に誤魔化すため、私は秀樹に向かって手を差し伸べた。
「これは?」
「あんたがおかしなこと思っちゃうとこっちも恥ずかしいから、だから、その……」
いっしょに手をつないで歩くと、そういう恥ずかしいこと、思い出さずに済む。
きっとそうだ。
私たちって、そういう関係なんだから。
「あのさ、柾木」
「ん?」
また、秀樹が私の手をぎゅっと握る。
さっきのように、心臓が激しく跳ねることを感じた。
「大好きだよ」
「は、恥ずかしい……」
「でも、好きなんだよ。いっぱいね」
「だから、それを何度も言うのはやめてって……」
今日の秀樹は、あまりにも素直すぎる。
嬉しいけど、ストレートすぎて、私はつい追いかけられなくなってしまうんだ。
これって、いったいどんな気持ちなんだろう?
恥ずかしいのになぜか嬉しい、この気持ちをどう受け入れたらいいんだろう?
わからない、まだわからないけど――
今はただ、こうしているだけで満たされていた。
「むにゃむにゃ……」
どれだけ時間が経ったんだろう。
私は秀樹といっしょに、電車で「組織」へ戻っていた。土曜日だというのに、予想外に人はそこまで多くない。秀樹は私のすぐとなりで、うとうとしながら眠っていた。
……やはり歩きすぎたんだろうか。
歩いて帰るには遠すぎる距離だったため、わざと電車に乗ったわけだが……。秀樹は私のとなりに座ってから、すぐこうやって眠りについてしまった。ついでに、私の肩に体を思いっきり寄せている。
はっきり言って、気にならないわけがない。今の秀樹は「元の姿」だから、同じ「元の姿」同士である私には少々重いし。
でも、自分が動けば、きっと秀樹を起こしてしまうんだ。
それを思うと、やはり下手に動くわけにはいかない。
でも、確かに不便ではあるものの、大変だとか、動きたいとか、そういう気持ちは沸かなかった。
なぜか、この瞬間がとても心地よい。
そう、さっきにも感じていた、あの感情。
照れくさくて、嬉しくて、上手く言えない気持ち。
……あ、そうか。
こういうのを「幸せ」って言うんだ。
そう思うと、何もかもがしっくり来る。
ようやく私は、この感情に名をつけられそうな気がした。
今、私のとなりには秀樹がすやすやと眠っている。
これはただ、それだけの日常。
デートとは言ったものの、別に変わったことなんて、何一つやっていない。
それでも私は、今、この瞬間が愛しくてたまらなくなった。
ありがとね、秀樹。
私みたいな変な人間を、ここまで好きになってくれて。
……きっと、これも口にはできないけど。
それでも、今はこの無邪気な寝顔を、ただずっと眺めていたかった。