61.美由美とのデート?

 私が美由美の家にお邪魔して、少し時間が経ったある日の午前。
 あの日のことを思い出しながら、私は大通りで美由美のことを待っていた。

 ……あの日、私が「どこかに出かけないか?」なんてことを言ったら。
『はい。その時にはよろしくおねがいします』
 美由美はそう言いながら、こっちを見て頷いてくれた。あまりにもすんなり答えてくれたから、こっちが拍子抜けしたくらいだ。
『そ、そうか。よかった』
 あの時の自分は、美由美にちょっと見せられないくらいドキドキしていた。
 断れたらどうしよう、とすごく緊張していた。
 ……美由美にはバレてないんだろうな。
 相手は自分と同い年の女の子だというのに、まるでデートに誘ってるように、ひどく不安だったんだ。

 あれ、これって何かおかしくないんだろうか?

「お、おまたせしました、柾木くん」
 そんなことを思っていたら、遠くから美由美がやってきたため、私はすぐ、考えを中断した。
 実は勢い余って、今の私はここで30分も早く美由美のことを待っている。
 ……変に気を配られないように注意しなきゃ。
 美由美って、こういうのがバレちゃうと変にかしこまりそうだし。
「ああ、おはよう。俺も今すぐここに来たばかりだ」
「よ、よかった……」
 私がそう話し出すと、美由美はどこか安心した顔をする。やはり悟られなくて正解だった。私は心の中で、そう頷く。
 その時だった。
「で、でも、わたし、出かけようとした時に、柾木くん、今日は朝から『組織』にいないって話、聞いちゃいました」
「……そうか」
 ああ、バレちゃったか。
 以前、秀樹とデートした時に服とか、あんまりなところが多かったから、美由美の時にはなんとかしようと、朝から外に出かけていた。
 まあ、結局私のことだったから、服はいつものような白いTシャツにジーンズになってしまったけれど。
 これじゃダメだな。早く来たこともバレちゃったし、服も相変わらずダサいし。なんか恥ずかしい。
「えっと、つまり、わたしのためにあそこまで踏ん張ってくれたんですね」
「あ、ああ」
「うれしいです。ありがとうございます」
 そう言いながら、美由美はこっちを見上げて、微笑む。
 ちょっと不意打ちだったため、私は少し動揺してしまった。
 いつもなら身を引いてばかりの美由美が、ここまですんなりと好意を受け入れるとは思わなかった。
 ……ちょっと、かなり嬉しいけど。
 やはり美由美には、こんなふうに笑っていてほしい。

「実はですね、わたし、昨日の夜、美智琉に今日のお出かけ、バレちゃったんです」
「そ、そうか」
 確かに、あの子なら美由美の不審な行動にもすぐ気づきそうだ。
 ……っていうか、私とこうやって出かけること、どう思ってるんだろう。
「そしたらですね。美智琉が『まだ姉さんのことだから、高坂さんの前で我慢してばかりに決まってる』みたいなこと話してて」
「……そうか」
「そんなことない! とか、ちょっとキレてしまいました」
 それは、ちょっと意外だった。
 美由美が大声を出すことは、未だにあまり想像がつかない。
「じゃ、その話に責任、取れる? みたいなこと、美智琉が言ってきて……あ、あの、今のわたし、どんな感じなんでしょうか」
「すごく見てて気持ちいい、と思う」
「じゃ、よ、よかったんでしょうか」
「ああ」
 たぶん、さっきの態度も、美由美にとってはちょっとした大賭けだったんだろう。
 ……それなのに、あそこまで微笑んでくれたんだ。
 うまく言えないけど、私はそれがちょっぴり嬉しい。
 美由美が、そうやって肩の力を抜いたことが。

 そこまではいい感じだったものの。
「……」
「……」
 せっかく大通りをいっしょに歩いているというのに、私たちは何も話せなかった。
 っていうか、何を話したらいいのか、よくわからない。
 美由美もそうなんだけど、私だって、そこまで話が得意な方じゃない。だから気がつけば、こんなことになってるんだ。
 ……いや、本当に何を話したらいいのか、よくわからない。私って、あんまり同年代の子たちと話したことがないから。
 これでも雫と話す時には、だいぶマシになると言うのに。
 最近、美由美とはあんまり話を交わさなかったのが、さらにこの状況に拍車をかけている。
「え、え、えっと……」
 ダメだ。美由美がこっちを察して、なんとかしようと頑張っている。
 さ、誘ったのは私の方なのに。
 これじゃダメだ。早くなんとかしないと……。

 実は、こういう「どうしようもなくよそよそしい状況」は、今が初めてじゃない。
 だいたい、これは私が話し下手であるせいだけど……。
 美由美と初めて出会って世話を焼く時にも、今のように「担当」になっていろいろ頼らせてもらった時も、私はいつもこんな感じだった。
 話が、続かない。
 いちおう、雫と知り合ってからこういう場面も少しは楽になってきたけど、どうしても美由美の前では、気を使いすぎて話が固くなってしまう。
 美由美も控えめな性格なんだから、お互い、何か喋らなきゃ……と思いつつも、やはり上手く話を続けることができなかったんだ。
 それはある意味、私たちの状況のせいもあったかもしれない。
 今の私は、美由美にとって「異性」であり、異質な存在なんだから。
 もし、私が「元の姿」でいられたらい、今よりは少しは……ほんの少しくらいはマシだったかもしれない。

 でも、きっとそこまでは変わらなかったんだろうな。
 そもそも、私が口下手なことに姿なんかはまったく関係ない。だいたい、いつもそうだった。
 雫と出会ってだいぶマシにはなったものの、私は子供の頃からずっと、誰かとベタベタするのが下手だった。優しく誰かに話しかけたり、そういうのにとても憧れていた。
 ……お姉ちゃんなら、私よりもっと上手くできるのに。
 私ったら、学校に通ってた時にも先生たちに「柾木ちゃん、面倒見はいいけど、あんまり友だちはできないね」なんて言われたくらいで、結局頼ってくれる子は少しいても、「友だち」はあんまり作れなかった。
 別に仲が悪かったとか、そういうわけじゃない。
 ただ、自分が口下手なんだから、中々友だちができない。
 自分も知らないうちに、距離ができてしまうんだ。

 だから、美由美のように女の子とは、友だちになりたいと望んでしまう。
 学園でのしーちゃんのような仲になりたいと願ってしまう。
 今のような、距離をおいた関係じゃなくて、もっともっと、自然な関係になりたい。
 ……そんなこと考えてるから、余計に話しかけるの、迷ってしまうわけだけど。
 今のままじゃ、まるで壊れ物に触ろうとしているようじゃないか。

 私がそんなことを思っていた時だった。
「……」
 何か、おかしな「気配」を感じて、私は思考を中断する。
 別に、ここまで大通りなら人気があるのは当たり前だ。それがおかしいってわけじゃない。もちろん、ここまで人が多いんだから、「反軍」の気配もありえない。
 私が感じたのは、なんかちょっと、怪しいっていうか、いたずら半分っていうか、そんな感じの「うさんくさい」気配だった。
 相手は、こっちに気配を隠している。少なくともそのつもりでいるんだろう。
 でも、こっちからすると、バレバレで笑えてくるレベルだ。
 ……誰からどう見ても、これは間違いなく尾行だろう。
 たぶん、ずいぶん昔からこっちを追いかけてきたようだ。ものすごく動きがいい。こっちとしてはちょっと腹立つけど、まあ、それは一応おいておこう。
 問題は、「どうしてあの二人なんだろう」の方だ。
 私から見ると、奇妙すぎる組み合わせなんだけど……いったいどうなっているんだろう。いや、どうして手を組むことになったんだろう。
 ずっと知らんふりしても、意味はないか。
 そんなことを思っている途中にも、あの「二人」はこそこそ何か喋ったり、こっちを覗き見たり、とにかく忙しかった。
「あ、あの、柾木くん?」
 美由美はまだ「あいつら」に気づいていないのか、私のことを不思議そうに見上げている。
 やはり、そろそろ種明かしが必要か。
 私だけならともかく、美由美はある意味、巻き込まれただけだから――

 だから、やはりそろそろケジメをつけるべきだと私は思った。
 今までは見ぬふりしていたあそこに振り向いて、そのまま――
「橘秀樹、綾観雫っ!!」
「え、え~~?!」
 私がそう叫ぶと、そこに「隠れていた」つもりの秀樹と雫が思いっきり動揺した。
 ……ひょっとして、本当にバレてないつもりだったのかな。
 こっちとしては、美由美と出会う前から、どこか怪しいって思っていたのに。
 っていうか、今どき壁にひっそりと隠れるだなんて、本当に古典的過ぎて、むしろ反応にこまる。
「変だなぁ。こんなはずじゃなかったのに~~」
「え、わたしたち、バレちゃった?!」
「ど、どういうことですか?!」
 三者三様の反応が飛び交う中で、私は一人で頭を抱える。
 だから、なんでこんなことになってるんだろう。今は美由美と私のお出かけであったはずなのに。
「まったく、お前らって……」
「お前ってヒドいよ、柾木。いつもはそんなふうに呼ばないのに」
「こんな状況になってるのに、呼ばない方がおかしいだろ」
 渋々とこっちに向かってくる秀樹と雫を見ながら、私はため息をついた。まったく、なんでこんなことになってるんだろう。私、なんかしたんだろうか。
「あれあれ、柾木、怒った? 俺と綾観さんがこんなことやってて、がっかりした?」
「……別に怒ってない。がっかりはしたが」
「え~」
 明らかに落ち込んでいる秀樹を見ると、こっちもなんか悪いことをしたような気持ちになる。いや、別に私は何も悪くないはずだけど。
「……ところで、いったいなんでこんなことになってるんだ?」
「えっとね、これは、あくまでちょっとした偶然で~」
「俺が聞きたいのはそっちじゃない」
 視線が浮いている雫に、私は冷静に突っ込む。なんでもないフリをしているが、今、私は少し驚いていた。
 男のことが苦手なはずの雫が、「別の姿」だとはいえ、他でもない秀樹といっしょに行動していたから。
 ……っていうか、あの二人、最近までずっとケンカしてばかりだったはずだけど。主に私のせいで。
「別に怪しい理由じゃないよ。俺と綾観さん、柾木のこと追っていたらばったりと出くわしたんだ」
「……それ自体が怪しい理由だろ」
「違う! 柾木と高梨さん? がいっしょに出かけてたから、気になって追いかけただけだよ!」
「まごうことなきストーカーだろ、それ」
 ともかく、秀樹の話でだいたい状況はわかってきた。
 つまり、秀樹も雫も、私と美由美がいっしょに出かけてるから、それが気になって密かに追いかけていたらしい。そこで二人が出会うことになって、すっかりと意気投合し、私たちのことをいっしょに追いかけてきたようだ。
 ……なんだろ、この状況。
 私は急に、頭が痛くなるのを感じた。

「っていうか、秀樹、その姿――」
「あ、これ?」
 私が話しかけると、秀樹は自分を指差した。私が自分の「別の姿」について話している、ってことに気づいている。
 雫といっしょに私を追いかけてきたのも、その姿のおかげなんだろう。
 とはいえ、無理して「別の姿」になるまではなかったっていうか……そこが気になっていた。
「今日ね、『組織』にいたら柾木は高梨さんと出かけるらしいから、ひょっとするかもと思って『別の姿』になったんだよ」
「律儀だな、お前も」
「でもそれだけじゃないんだ」
「何のことだ?」
「あちら……『組織』からも頼まれてるんだよ。柾木以外のサンプルの一人として、あの『機械』の研究対象になってほしいって。俺も別に断りたくはなかったから、こうやって手伝ってるわけ」
「……そうか」
 そういや、秀樹は『組織』の中で私と出会う時には、いつも「別の姿」だった。
 あれって、そういう意味もあったのか……。
 普通ならやっぱり嫌になると思うのに、秀樹って本当に大人しいな。
「最近は、いちいちこの姿になるために『組織』に行くのもなんだから、うちの空き部屋にあの機械、置いておこうと思ってるんだ。姉貴も賛成したし、もうすぐできると思うよ」
「……あそこまでするのか」
「柾木といっしょにいるためなら、『あそこまで』なんてことはないよ」
 な、なんか照れくさい。
 私のために「別の姿」でいても構わないって。こんな人が実際にいてくれるって、考えもしなかった。
 秀樹って、別に「あの姿」でいるのがすごく好きってわけでもないのに。
「む~橘さん、さっそく柾木のこと惚れさせて~~」
 そこまで行くと、なぜか雫が頬を膨らませる。どうやら、雫の負けん気が秀樹によって大いに刺激されたようだ。
「たしかに、今度は柾木のこと、追いかけるために休戦したんだけど、わたし、別にあんたのこと、認めたわけじゃないからね!」
「だから、お前ら……」
「まーまー、俺も綾観さんに柾木のこと、取られたくないんだけど~」
「……よくもいっしょに行動できたな。お前ら」
「でもね、やっぱり仕方なかったよ。柾木のこと、気になって仕方なかったんだもん。気がついたら、自然に追いかけてた」
「わたしも~」
「まったく……」
 私が呆れれていると、突然、秀樹がそんなことを言ってきた。
 ……なぜだろう。あそこまで言われると、怒れなくなってしまう。
「たしかに、橘さんはわたしにとってライバルなんだけど、こういう時には協力も大事でしょ? そういうことなんだよ」
「そうそう。だから、今日だけは綾観さんとこうやって手を組んだわけ。ねー?」
「ねー」
 でも、やっぱりこの反応はちょっとムカつく。
 なんでこんな時だけ、「私のため」に、ここまで息がピッタリなんだろう。

「でも、結果的に高梨さんには、ちょっとヒドいことしちゃったかもね」
 そうやって私のことを弄っていた秀樹は、急に美由美の方に振り向きながら、そんなことを口にする。
「わ、わたしですか? べ、別にこっちはなんとも……」
「違うよ、高梨さん。柾木のこと、ひとりじめしたかったんでしょ? わたしだってそうだもの」
 今度は雫の方が、ちょっと申し訳なさそう顔でそう言ってくる。
 これは……。意外っていうか、なんていうか……。
「大丈夫大丈夫。俺たちはここらへんでお暇するから。柾木と高梨さんのデート、ジャマしちゃ悪いからね」
「で、デート、ですか?!」
「い、いや、違う。秀樹はその、茶化してるだけで――」
 秀樹の話を聞くと、美由美の顔は急に赤くなった。は、恥ずかしい。美由美だけじゃなくて、こっちも頭を上げられなくなってしまった。
「でも、高梨さんとしては『デート』の方がいいんじゃない? 柾木は優しんだから」
「い、いや、雫まで……」
 まるで意地悪しているような、ニヤニヤとした顔で、秀樹と雫は私をじっと見ている。く、くやしい。今の私、やられっぱなしだ。
「で、でも、柾木くんはみなさんにとっても大切な存在なのに、わ、わたしなんかが一人占めしちゃっても……」
 美由美は急に、そんなことを口にする。その表情を見て、秀樹と雫が顔を緩めた。
「違う違う。柾木はそもそも、俺たちだけのものじゃないだろ。みんなのものでいいと自分は思うな」
「そうだよねー。柾木はたしかに、わたしたちだけで一人占めするのはもったいないと思うの。だから、今日は高梨さんにいっぱい楽しんでもらいたい」
「そうそう、柾木はみんなのもの」
「お前らな……」
 私、いったいどんな存在だと思われてるんだろう。
 愛されてるってことはわかってるけど、この件でちょっと心配になっちゃった。
「それに、目的は果たしたし、わたしたちはここで解散。そうだよね、橘さん?」
「もちろんさ。俺らは空気が読めるんだからな」
 自分がそんなことを考えていたら、今度は秀樹たちが、何事もなかったって顔で帰ろうとしていた。
 ……なんだろう、これ。
 なんかものすごく、秀樹たちの手のひらの上で踊られているような気がする。
 いや、悪い気分じゃないんだけど。
 この気持ち、いったいどう言ったらいいんだろう……。
「じゃあね。デート、楽しんでね!」
「高梨さん、チャンスはきちんと我が物にしなくちゃダメだからね~」
「さすが綾観さんだな。ものすごく実践込みのアドバイス」
「これくらい、柾木の婚約者だから当然でしょ?」
 そんなことを話し合いながら、秀樹たちは向こうへと去ってゆく。
 ……なんていうか、まるで嵐のようだった。
「な、なんか、応援されてますね。わたしたち」
「そ、そうだな。迷惑っていうか、なんていうか……」
 結局、私と美由美はお互い顔を合わせて、困った表情を浮かべるしかなかった。
 きっと、これは彼らなりの愛情表現なんだろう。
 ものすごくわかりづらいけど、たぶん、そうなんだろうと思う。


 結局いつものように、騒がしくなっちゃったな。
 となりで照れくさそうに微笑む美由美を見ながら、私はまた、心の中で苦笑いした。