59.美由美との出会い

 振り返ってみると、美由美と知り合って、もうずいぶん長い時間が経っていた。
 ほぼ雫と似た時期に知り合ったんだから、少なくとも3~4年はいっしょに過ごしていたってことになる。
 ……もうそんな時間か。
 雫との出会いもそうだったが、美由美との出会いも、なかなか強烈なものだった。

 美由美がこの「組織」と関係を持つことになった理由は、少し複雑だ。
 まあ、わかりやすく言うと「家庭事情」。これに尽きる。
 以前にも語ったように、美由美には兄弟が多い。つまり、今どきはあまり見かけなくなった大家族だ。それに、今の美由美には母がおらず、父だけが残されている。
 ……美由美の母は、経営難で工場を追い出されてから酒ばかり飲む父に呆れて、何年か前に家を出ていったらしい。
 どこかの家庭事情と少し重なるが、きっと気のせいだ。
 それから美由美の父はあんまり家にも戻らず、時折戻ってきた時にも悪口ばかり言ったり、寝てばかりしているらしい。

 つまり、今、美由美の家を支えているのは、本人である美由美一人だと言っていい。
 美由美の兄弟たちはまだ幼くて、家事とかを任せるには心細かった。幸いに次女である美智琉(美由美より3歳くらい年下らしい)がなんとか手伝っているらしいが、それでも兄弟の多さを考えるとまだ物足りない。
 それに、大家族が生きていくためには、お金が必要だ。
 一応、最近はベーシックインカムたるものも潤沢になったおかげでマシになっているが、以前まではそれも微々たる金額だったし、家族を支えるにはかなり足りなかったらしい。
 美由美はずっと昔から、長女だという理由だけで、それを全部背負っていたんだ。
 私にはとうてい、その辛さを想像することができない。

 ところで、私が「別の姿」になってから間もない5年くらい前に、事件は起こった。
 ある意味、美由美の救いにもなっているという、なんとも笑えない事件。
 その日も、美由美の父は酒に酔っていて、どうも手に負えないものだったようだ。
 美由美から聞いた話によると、あの日、父はいつものように兄弟たちにイチャモンをつけてばかりだったらしい。それは以前から変わらなかったため、美由美も半分くらい諦めていたそうだ。やっぱり美由美って控えめな性格だから、お父さんに声を高めたことは今まで一度もなかったらしい。
 ……これで、いつものように酔ったまま、ぐっすりと寝てしまったらいいのに。
 だが、その日の美由美の父は、いつもと違った。
 兄弟がどうしたらいいのかわからずに震えていた時、あの父は「面白くねぇな」とだけ残して、家を出た。いつもと違う反応が気にかかった美由美は、迷わずその後を追った。
 時間はすでに真夜中。
 あの時の美由美は、後先のことなんか、これっぽっちも考えられなかったらしい。

 ある意味当たり前だが、酔っぱらいのおじさんであった美由美の父が、大人しく夜の街を歩き回るわけがない。
 それを必死に追いかけなければいけなかった美由美は、いったいどんな心情だったんだろう。
 ともかく、あの夜、真夜中の街を一人で騒ぎながらふらふらと歩く父を、美由美はなんとか追いかけた。
 とはいえ、美由美ってあんまり体力のある方じゃないから、どうしても距離が少々空いてしまって、だいぶ焦ったらしい。
 だが、自分の恐ろしい予想と違って、考えていたよりは大人しい(うるさいけど)父に、美由美は安心していた。
 ……美由美の父が、この「組織」の近くにある交番へ勝手に入る前までは。

 美由美の父は、世の中に不満が溜まっていたらしい。
 それもそのはずで、彼はまるで追い出されるような形で工場から出ていった。もちろん、その理由は一つしかない。あの時、すでに工場での単純な工程作業は、人間よりコスパの優れるロボットに代わり始めていた。
 美由美の父は、その時代の流れのせいで、職場を失った「よくある」ケースのうち一人だった。
 それはとても気の毒だが、「端末」で代表される時間の流れは、人間にはどうすることもできない。
 だが、それはそれなりに誠実に働いていた美由美の父が、世界を恨むには十分な出来事だった。
 ――だから、お父さんはあの日、交番に目をつけたんでしょうね。
 あの頃のことを話しながら、美由美は寂しそうな顔をした。

 ともかく、それからはもう、ずいぶんひどいことになっていたらしい。
 父は酔っていることをいいことに勝手にしまくりだし、美由美はどうすればいいのかわからなくて、交番の中でぼうっと立っているだけだった。もちろん、交番の中にはちゃんと警察がいたわけだが、それでも酔った父を押させるのは大変だったらしい。
 そうやってあたふたしていた美由美は、ふと、近くの机の上に何気なく置かれていた「とある文書」を目にした。
 その、今の時代だったらありえない偶然が、美由美をこの「組織」に誘う。
 ――美由美が目にした文書は、他でもない「組織」に関した資料だったんだ。
 あの交番は「組織」から近いため、よく協力が求められるところだったから、ああいう資料が机の上などに散らかっていたらしい。
 真夜中だったし、まあ、仕方のないことではあったが。
 あの事件が起こって以来、「組織」の関連書類が揃ってデジタルオンリーに変わったのは言うまでもない。

 ともかく、父が暴れたあげく眠りにおちて、美由美にあの書類がバレたってわかると、警察は揃って困った顔をした。
 確かに、美由美に「組織」の文書がバレたことはまずい。だが、これが「組織」に知られると、もっと困ることになるのは警察の方だった。
 ……なんとか、しなければいけない。
 そう思って美由美と会話した警察は、父のせいで美由美の家があまり収入を得ていないということを知り、こう提案してきたんだ。
 ――なら、「組織」でエンジニアとして働けばどうだろう、と。
 美由美も渡りに船と、それにすぐ応じた。
 そうして、美由美はこの「組織」で、今のような形で働くことになったわけである。
 おかげで収入もいくらか安定し、美由美は非常に「組織」に感謝しているらしい。

 それから、私は美由美の「担当」になったわけだが――
「やはり、今日中に連絡しておこう」
 ここまで振り返って、美由美が心配になった私はそう決めた。最近はあまり美由美と会ってないし、今頃はどうしているのか、やっぱり気になる。
 でも、いきなり会いに行くのも急すぎるから、今度は「端末」で連絡を取ってみよう。
 それなら、美由美の戸惑いも少ないはずだ。
 早く「端末」の画面を呼び出した私は、すぐ美由美に送るメッセージを打ち始める。
 ――美由美、元気にしてるか? 以前話してた件についてだが……。