雫とああいう時間を過ごしてから、次の日の昼頃。
私は久しぶりに、秀樹を執務室に招いていた。
話したいことが、あったから。
――雫と私が、今まで築いてきた関係について。
「今日は秀樹に、少し話したいことがある」
私が改めた態度でそう言うと、秀樹は首を傾げた。どういうことか、まだ思いつかないらしい。
ちなみに、律儀正しく、今日も秀樹は「別の姿」だ。ここまで徹底する必要もないだろうというのに、その心遣いがとてもありがたい。
「えっ、なになに? 柾木」
秀樹のあどけない顔を見ていると、どうも今から話そうをすることを言い出しづらい。だって、これは私にとっても、雫にとっても、あまり口にしたくない話題だ。
でも、秀樹は今、私の彼氏だ。付き合っている以上、やはりこれは伝えておいた方がいい。
今まで秀樹は、私と雫の関係のこと、不思議がっていたはずだから。
雫も許してくれたわけだし、やはり秀樹に、ああいう嘘はつきたくなかった。
……雫、私、やってみせるから。
あなたの思いやり、決して無駄にはさせない。
「……そういうことだ」
「へー」
私の話を最後まで聞いた秀樹は、どこかすっきりした顔になった。
「そっか、だから柾木って、最近ずっと悩んでたんだ」
「ああ」
やはり秀樹は、私の様子に気がついていたようだった。
参ったな。秀樹にごまかすことなんか、できそうにない。
……自分って、そこまで考えてること、顔によく出るタイプなのかな。
こんなの、確かめようと思うだけで怖くなってくるんだけど。
「まあ、なんか悩んでるんだろうなーとは思ったよ。柾木ったら真面目すぎる性格だし」
「そ、そこまでなのか」
「うん、だからこそ、あんまり素直になれないのかなーって思った」
は、恥ずかしい。
別に納得しているわけでもなんでもないのに、なぜか視線を逸したくなった。
「でも、今なら柾木の気持ちがわかるよ。そりゃ話せないよね。綾観さんもすごいなぁ」
「別に隠すとか、そういうつもりじゃなかったんだが……これだけは仕方なかった。ごめん」
「それはもういいよ。柾木のことだから、悩んで当然だよ」
秀樹はどうしても、私がこの件で謝るのが気に食わないらしい。
でも、こっちとしてはわかってもらえて、素直に嬉しかった。
――雫のこと、理解してくれて、本当にありがたかった。
「それじゃ、最近の柾木はずいぶん大変だったんだろうな。一人で悩んだりして」
「そ、それはそうだが」
やはり、秀樹の前では嘘がつけない。
今のやり取りで、改めてそれを痛感した。
「でも、それじゃ仕方ないな。俺だって、もしそうなったら悩んじゃうよ」
秀樹は、私の前でウンウンと頷く。いつものように、素直で、隠し事一つもない表情だった。
秀樹は私のこと、真剣に考えてくれてるんだ。
それが、今はとてもありがたく思える。
こういうの、誰かに打ち明けたいと思っても、なかなかできないんだから。
「で、俺は今、どうしたらいいのか悩んでるわけだが……」
だから、私は自然に、そんなことを話していた。
だって、以前からずっと、私はそればかり考えてきたんだから。
別に、自分で考えないとか、そういうわけじゃない。ただ、少しだけ、助けがほしかっただけだ。
やはり、私一人だけじゃ、どうしたらいいのか、わからなくなったから――
「それは柾木と綾觀さん、二人の問題だろ?」
でも、秀樹の反応は、予想外だった。
冷たい声ってわけじゃないけど、いつもの甘やかすような口調とはかなり違う。
「俺だって、柾木の力になってあげたい。心からそう思ってる。でも、これは俺が関わっちゃいけない問題だと思う」
「そうか」
「だって、俺はこれについては、まったくの第三者でしょ?」
それは、一見冷たく思えて、そこまで間違ってない話だった。
たしかに、秀樹は私の恋人なのだが――ここでの当事者は、私と雫、二人である。
たぶん、秀樹はそれがわかり切っていたからこそ、そんなことを言ってきたのだろう。
「これは柾木と綾観さん、二人が決めるべき問題だよ。俺は背中を押してあげることはできるけど、それ以上はできそうにない」
「……」
「だから俺はこんなことしかできないけど、柾木のこと、心配してないよ。きっと大丈夫だって、思ってるからね」
「そう、なのか」
まるで絶対的なことでも口にするように、秀樹はそう言い切る。
なぜだろう。今の私には、秀樹がとても、とても大人びてみえた。
凛々しいっていうか、頼りになるっていうか。いつもの甘ったるい態度とは、だいぶ違う。
ひょっとして、私が知っている秀樹はまだまだ序の口だったのかな。
もうわかっていたつもりでいたので、少しだけ焦る。
「そもそも、綾観さんって柾木のこと、頼ってるんでしょ? だからもうちょっとだけ、自信持ってもいいと思うよ」
「……そうか」
「綾観さんは、柾木のこと信じてると言ったらしいけどさ。俺だって、柾木のこと、信じてるからな」
「秀樹……」
「だから、心配とか、実はあんまりしてない。柾木だからね」
少し、うるっと来た。
自分って、こんなに頼られていたのかと、初めて気づく。
雫も、秀樹も、私のことを、ここまで信じてくれてたんだ。
自分ってそこまで評価されていいのか、と迷ってしまうけれど、今は、素直にそれが嬉しい。
……こんな感情を外に出すのは、ちょっと照れくさいけれど。
そんなことをぼんやりと思っていたら、目の前の秀樹は、いつの間にかニヤニヤと笑っていた。
い、今の自分の様子、そこまでおかしかったのかな。
恥ずかしい……ってこともあるけど、なぜか気になってしまう。
「……なんでそんな顔してるんだ」
「だって、柾木が綾観さんのこと、大切にしてるって、伝わってきたから」
「そ、そうなのか……」
そんなことを言われると、秀樹のこと、まっすぐに見られない。
やはり、私、考えてること、そのまま顔に出る性格だったのかな。自分ではよくわからないし、今は秀樹に聞いてみる勇気もない。
「でも、ちょっと妬いちゃうなぁ」
「ど、どこがだ?」
「柾木と綾観さんの関係のこと」
そんなことを口にした秀樹は、急に寂しそうな顔をする。まるで子供のようで大人のような、上手く言えない表情だった。
「柾木って、綾観さんといっしょの時には表情が変わるんだよね。俺には見せない顔、してる」
「そうだったのか」
「うん、それが以前から、ずっと羨ましいっていうか、憧れでさ」
私、雫といっしょならそこまでいつもと違ってたんだ。
昔から肌で感じていたことではあるけど、まさか、秀樹に気づかれるとは思わなかった。
「たぶん俺、死ぬまで柾木と綾觀さんの関係、羨むんだろうね。どれだけ俺が柾木のこと好きだとしても、ああいう関係には、たどり着けないと思うから」
「そう、なのか」
「あ~あ。少なくてもこんなところは、綾観さんに完全に負けちゃったな。ちょっと悔しいかも。好きな気持ちだけなら、絶対に負けないつもりだったのに」
「……まったく」
秀樹はあそこまで、私のこと、好きなんだ。雫と私の関係に憧れてしまうほどに。
なぜだろう、それがとても嬉しい。
もちろん、それを顔に出したりは決してしないけれど、私は心の底から、そんなことを思った。
この人と付き合って、本当によかったって。
だからこそ、今までの関係が続かなくなって、雫を悲しませてしまったのは辛いけれど、それでも、雫の心遣いを大切にしたいって。
――雫は、誰よりも私のことを考えて、そんな辛いこと、言ってくれたんだから。
私は、精一杯その気持ちに報わってあげたい。
その時、いきなり私の「端末」が、新着メッセージを知らせてきた。
――明日、話したいことがあるの。だから会いたい。
それは、雫からのメッセージ。いつもと違って、だいぶ味気ないものだった。
……雫が、自分の気持ちを決めたような感覚。
なぜか私は、そんな予感がした。
「今のメッセージ、綾観さんから?」
秀樹もそれに気づいたか、こっちを見ながらそう聞いてくる。
私は静かに、頷いてみせた。
「明日、会うことになった」
「そうなんだ、あれ、そういや――」
そこまで話して、秀樹は急に、何か気づいたような顔になる。
「明日、午後から雨なんじゃなかったっけ」
私たちの間にだけ降っていた雨は。
どうやら、今度は現実にまで影響力を及ぼせたらしい。