その日の夜。
「ぐーぐー」
私は、自分のとなりでスヤスヤと眠っている秀樹をじっと見つめていた。秀樹も今日はずいぶん疲れたのか、私の視線には気もつかず、ぐっすり寝ている。
その横顔は、たとえ「別の姿」だとしても、とても愛しくて、思わず顔が緩んでしまいそうだった。
今の私、幸せだな。
そんなことを思いつつも、私はどこか、不安な気持ちを抱いてしまう。
だって、私、決して「普通」の女の子ではないから。
っていうか、普通の「人」ですらない、と思う。
そんな自分の人生に、秀樹まで巻き込まれてしまい、申し訳ない、と思ってしまうくらいだ。
そもそも、今日、そして以前に秀樹とやったことは、決して「普通」ではない。
誰かの目には、とても、とても卑猥なものに見えたのだろう。
だから、時折、それがものすごく不安になる。
私は、ずっとこのままでいられるのだろうか、とか。
自分みたいな女の子が、秀樹に愛されていいのだろうか、とか――
まだまだ弱い自分だから、どうしても。
こんなくだらないことに、考えを巡らせてしまう。
そんなことを思いながらも、無事に夜を過ごし、秀樹といっしょに「組織」へ戻ってきた時だった。
「柾木ー!!」
あまりにも聞き慣れた声に、私は硬直する。それは紛れもなく、私の婚約者ってことになっている雫のものだった。
「な、なに、綾観さん?!」
秀樹もそれに気づいたのか、青ざめた顔になっている。秀樹だって、以前の雫の「強い」態度は覚えていたのだろう。今度だって、ただで済むわけがない。
「あ、あれ、橘さんじゃない。どういうこと、柾木?」
「あ、ああ、それが……」
よく考えてみると、「婚約者がいるのにもかかわらず」恋人を作ってしまったことになるため、私はどもってしまった。いや、もちろん雫だって、婚約が仮初めであることはわかっているはず……だけど……。
ど、どうしよう。ものすごく、ひどいくらい言いづらい。
実は雫が知らない間に、秀樹と恋人同士になっていました、とか、自分からはとうてい……。
「む~~柾木~~」
案の定、とでも言うべきか、雫は状況を察したようで、こっちをにらみながら頬を膨らめてきた。
「わたしという婚約者がいるのに、愛人とか作っちゃって、もう~~」
「え、愛人? 俺って愛人だったの?!」
秀樹もそれは初耳だったからか、目を丸くしている。そりゃそうだろう。私だって初めて聞かされたんだもの。
「あ、あの、雫、気を落とさないで聞いてくれ。俺と秀樹って、実は……」
「だから、愛人でしょ? むぅ、モテる男が彼氏だと、これだから大変だもんね」
「いや、そ、そうかもだが……」
ああ、なんでこんなことになってるんだろう。
自分って、気がつけば女の子を二股している、ものすごく最低な男子になっていた。
「柾木。はっきり言って。わたしとあの子、どっちが好きなの?!」
「そ、そんなこと言われても、な」
「ダメ! はっきりしない男はモテないんだからっ」
「いったいこれ、どう答えたらいいんだ……」
冗談じゃない。今、私は本気で困っている。
だって、今は雫ところか、秀樹までこっちをじっと睨んでいるのだ。
わ、私にいったいどうしろと。
これって、愛されていると喜ぶべきなんだろうか、ただのヤキモチだと思うべきなんだろうか……。
「あ、そういや、わたし、ここには用事があって来たのだった」
「な、なんだ?」
雫の話に、私はすぐ食いつく。できる限り、はやくこの場をなんとかしたかったからだ。
「んとね、これもできる妻の仕事だというかなんというか、じゃじゃーん!」
「妻も何も、まだ綾観さんと柾木って結婚もしてないだろ……あれ?」
雫が懐から出してきたのは、私のための手作り弁当だった。雫ってマメだから、時折こんな感じで、差し入れをしてくれることがある。ありがたいと言えばすごくありがたいが、今の場合は、秀樹的な意味でちょっとマイナス……かな……。
さっき、雫に「まだ結婚もしてないのに妻とか」と言っていた秀樹も、この展開は考えていなかったのか、口をぽかんと開けている。
これで勝ったとでも思ったのか、急に雫の肩に力が入ったような気がした。
「わたしは〜柾木の〜通い妻〜~」
「うーっ」
「?」
それを見た秀樹は、ものすごく悔しいという顔でこっちを見る。だ、だから、それは私のせいではない、と思うんだが……。
「柾木、なんか食べたいものない? 今すぐ買ってくる!」
「いや、それはただのパシリ……」
ああ、どうしよう。
もう、どうやって突っ込めばいいのかすらわからない。
こうして、私を置いておいたまま、二人はお互いを睨み始めた。
「ワン! ワンワンワン!!」
「ニャーニャー!!」
「……二人とも、頼むから落ちついてくれ」
もう人にすらなくなった二人を見ながら、私は頭を抱えた。っていうか、うさぎってどういう鳴き声だっけ? まさか、ぴょんぴょん?
ともかく、今の私は、まるでケンカしている犬とうさぎの中に挟まった猫……のような、そんな気持ちを味わっていた。