16.自分にできること

 それから、午後になった頃。
「やはり、行ってみようか……」
「ん? どこを?」
 私の独り言を聞いた秀樹が、すぐ反応する。
「今日は余裕もあるし、後輩たちの練習しているところをもう一度見てみようかと――」
「俺も、俺もいっしょに行く!」
「そこまでまたメカが見たいのか」
「うんうん、どうせやることもないし」
 たしかに、それはその通りである。
 こうして、私は秀樹といっしょに、またあの訓練室へ行くことになった。

「お、先輩!」
 私が訓練室にやってきたのを見ると、休憩していた「後輩」たちがこっちに向かってくる。私が現場担当だった時に、面倒を見ることもあった後輩たちだった。
 ほとんどは私より年下の男の子たちで、あの子たちからすると、慎治や私はOBに当たる。
「どうだ。訓練は捗っているのか?」
「ええ、おかげさまで……最近は慎治先輩もやる気がありますし」
「それ、本人に聞かれたら泣くぞ」
 とは言え、その気持ちだけならよくわかる。慎治は、私から言うのもなんだが、あまり頼りがいのない性格だ。いつも軽々しいし、暇さえあれば遊び呆けようとする。たぶん、後輩たちもそれがよくわかってきたのだろう。
 やはり、変わっていない。
 私が現場を離れて、作戦部長なんかの立場になっていても、ここの雰囲気はあの時のままだった。
「そういや慎治さんって、先輩のこと口にすると拗ねるんですよね」
「そうだろうな」
「俺たちとしては、先輩がここにいてくれると助かるんですけどねぇ」
「……まあ、気持ちだけは受け取ってやるから」
 そんな私たちを、秀樹が少し離れたところでじっと見ている。
 さっきの慎治みたいに誤解されるのが嫌だからか、こっちにはなかなか近づかなかった。
「そういや柾木さん、あの人は誰っすか?」
「あ、そういや……」
 現場担当の何人も秀樹の存在に気づいたらしく、ちらちらとそっちを見ている。やはり、ここでは軽く紹介しておいたほうが良さそうだ。
「お前らも昨日、話は聞いたんだろ? 『反軍』のせいで、ここにやってこられた橘だ」
「あ、あの方ですか~。どこか可愛げがあるから、てっきり先輩の彼女かと」
「冗談はよしてくれ」
「マジでそう思ったんですよ。橘さんも、先輩のことじっと見てるし」
「まあ……そうだろうな」
 やはり、みんな秀樹と私のことを、「そういう」関係だと思っていたようだ。
 別にそんなわけじゃないけど……今のような状況なら、誤解するのも無理ではない。
 そもそも、この子たちの頭の中では、私は男で、秀樹は女の子であるはずだから。
「でも、やっぱり先輩といっしょにいるだけあってかわいいなー僕らのこと、紹介してくれてもいいっすよ?」
「だから冗談はよせと……」

 私は「別の姿」になってから、ここで暮らしつつ、慎治を含めた同僚のみんなといっしょに訓練をこなしていた。
 運動部とか、そういう体育系のノリだと言ったらわかりやすいのだろうか。
 まるで毎日合宿をしているような気持ち。「別の姿」である上に、あの時の現場担当たちは野郎ばっかだったから、ものすごく落ちつかなかったのだけど……。
 でも、そこで共に暮らした何年間は、悪くなかった。
 あの時だって慎治は今のように頼りなかったし、おかげで私は、いつもあっちこっち面倒を見て回ってばかりだったけれど。

 あの頃には私より早く現場担当になった「先輩」たちも何人かいたが、今はほぼみんな「卒業」して、ここにはいない。
 お姉ちゃんだって、私、いや、この現場担当のOBの一人だった。
 お姉ちゃんのいた時には、ずいぶん迷惑をかけていたと思う。私はあの時、「自分は女の子」といつも言ってたし、お姉ちゃんはそんな私をいつも見守ってくれていた。
 慎治とかは、今でもお姉ちゃんが 「同じ男として」 憧れであるらしい。慎治に言わせると、お姉ちゃんはかっこよくて、渋くて、ともかく「男の中の男」だそうだ。
 まあ、慎治は私ところか、お姉ちゃんに「別の姿」があることなんてまったく信じてないけど。
 ちなみに、同期に当てはまる現場担当たちもほぼ卒業しているため、私と慎治は、ここで最古参の「先輩」だったりする。

「さあ、休憩は終わりだ。訓練に戻るぞ」
 そうして休憩時間も終わり、また訓練の時間がやってきた。
 私は少し離れたところに立って、後輩たちが訓練する姿を眺める。
 ここで直接、訓練する姿を眺めるのもずいぶん久しぶりだ。やはり今は事務職なのだから、なかなか現場まで来る時間がない。訓練する姿となればなおさらだ。

 みんなは訓練部長、つまり教官の話に従って、室内での訓練に熱中している。
 あの教官には、私の現役の時にだいぶお世話になった。有能な人だし、今のような笑えない状況にも、真撃に向き合う、尊敬すべき方だと想う。
 だが、あえていうと、みんなについ甘くなってしまうことが欠点だった。
 そもそも、私の役割でもある「作戦部長」がなんで出来上がったのかも、それが原因である。
 二年くらい前の頃、教官がつい作戦を甘く練ってしまったため、現場担当の中の一人が負傷してしまったのだ。
 あの時までは、作戦を練るのは教官の役目だった。だが、このような状況になって、「やはり作戦を練る人が別にいるべきだ」という考えが広まった。
 とはいえ、そもそもこの争いは約五年くらいしか続いてないため、何かノウハウが溜まっているわけでもない。誰か専門家が必要なのは確かたが、できたばかりの状況であるが故、どこから誰をつれてこればいいのかすらわからない。
 従って……というのもなんか変だが、「組織」の偉い人たちは考えたあげく、ここのような歪んだ状況でしかありえない人選を行う。
 たしかに頭はいい……のかはよくわからないが、頭がよく回って、メカや現場担当のみんなにも詳しく、化け物の分析にも優れている……と言われる、私があの「作戦部長」に選ばれたのだ。
 私も初めて聞いた時には耳を疑ったが、本当のことである。
 言わずもがな、普通の職場なら決してありえない、不条理に満ちた決定だった。
 まさか私も、学園生のうちにスーツを着て会社員として働く(わかりやすく言えば、だけど)なんて、思いもしなかったのだから。

 とはいえ、適正があったのかどうかは謎だが、今の私はなんとか、その会社員の役目をこなしている。作戦も練るし、みんなの分析もやる。今になっては立派な幹部の一人だ。
 後輩たちの中には、そんな私をすごいと思ってくれる子もいるようだけど、こっちとしては、かなり照れくさい。
 自分の能力が認められていることはとても嬉しいが、果たして私で大丈夫なんだろうか、ということは今でもよく思う。
 今まではうまくやってきていると思っているけれど。
 まだ、スーツを着たり幹部扱いされるのは、やっぱり慣れていない。

 私がぼんやりと、そんなことを思っていた時だった。

「みんあ、静かにしろ!」
 教官の怒鳴る声に、私は我に戻る。
 気がつけば、目の前の後輩たちは、今が訓練中というのも忘れておしゃべりに熱中していた。最近は「化け物」もあまり襲ってこなかったからか、みんなつい、気分が緩くなってしまったらしい。
 もちろん、教官も必死にみんなを落ちつかそうとしているが、どうやらみんなには、その声が届いていないようだ。
「お、お前ら、先生がうるさいって言ってるだろ!」
 ここではいちばん年上である慎治のやつも、一応なんとかしようとはしているけれど、あまり効果がない。まあ、あいつがそんなこと言っても、あまり説得力がないのは仕方ないけれど……。
 どちらにせよ、さっきまで厳しかった雰囲気が、急に乱れている。もはやここは私語まみれだ。
 ――だからさ、後に……
 ――いつ終わるんだろ、今日の訓練……
 ここまで聞こえてくるくらい、堂々と大声でしゃべる奴らまでいる。もう、訓練とかできる雰囲気じゃない。もう少しで、大騒ぎだと言われてもおかしくなさそうな状況だ。
 ……これが、仮にも「化け物」に立ち向かう、現場担当の訓練室なのか。
 まあ、わからないわけでもない。今のような「暇」な状況に、まだ学園生であるみんなが置かれているわけだ。むしろ、後輩たちの態度は年相応だと言えるのだろう。
 だが、ここにいるやつは、みんな実戦を経験している。あの化け物を、目にしているはずだ。
 どうしてここまで、みんなゆるくなってしまったのだろう?
 あまりにも緊張感のない、笑われるほどおかしい毎日を過ごしているせいで、自分たちがいったい何の状況に置かれているのかすら忘れてしまったのだろうか?
 ――なら、あいつらのために作戦を練ったり、さまざまな情報をチェックしている私は、いったいなんだろう?

「お前ら、いい加減にしろ!」
 気がついたら、私はあいつらに向けて、本気で大きな声を出していた。自分では滅多に出すことのない、力のこもった低い声だ。
 あそこまでうるさかった向こう側が、急に静まり返る。
 ようやく、今、ここに「誰」がいるのか、わかってきたようだった。
「どれだけメカを装備しているとは言え、お前らが向き合うのはただの動物じゃない化け物だ。もしあの化け物たちを外に漏らしたりしたら、何がどうなるのか、まったく思ってないのか?!」
 誰も、それに答えようとしない。
 男も「女」も、みんな決まったように、こっちから視線を逸すだけだった。
「それところか、下手するとお前らだって危険になる。すでに何度も現場を経験した奴らが、どうしてここまで危機感が足りないんだ?」
 いったん怒鳴りだしたら、自分でも止まらない。
 さっきまで感じていたイライラや、ここで感じてきた不条理が、一気に爆発したような気持ちだった。

「今までここで、いったい何を学んだんだ。お前らはそれすら覚えていないアホか?!」
 今、こうやってあいつらに怒鳴っているのが、とてもつらい。
 別に、あいつらが馬鹿なのは今に始まったものじゃない。まだ学園生であるわけだから、子供じみているのも当たり前だ。ここでの生活は合宿みたいなものだし、つい気が緩むのもよくわかる。
 だが、私としては、とても苦しい。
 「組織」と「反軍」が繰り返しているただのおままごとと、やる気なんてこれっぽっちもない、気が完全に抜けているこの現場。どの意味、とても似合っている、と言えなくもない風景。
 どうしてこんな不条理で、おかしな状況だというのに、私はここまで本気に怒っているのだろう。
 それだというのに、なぜ私は「別の姿」になって、ここまでつらい思いをしなければいけないのだろう。
 自分を隠して、昔の自分に後ろじみた思いを抱いて。
 どうして、私は。
「そこまでしてくれ、柾木! あとで俺がキツく言っておくから――」
 後ろから慎治の声が聞こえてくるような気がしたが、私はそれでも、怒りを抑えることができなかった。
 そういや、今、秀樹がここにいたっけ。
 ……これを見て、いったいどんなことを思ったのだろう。

 その場がなんとか収まってから、私と秀樹は執務室へと帰っていた。
「柾木って、本気なんだよね」
 私が何も言わずに歩いていると、ふと、秀樹がそんなことを口にする。
「そう思うのか」
「うん。俺が学園で何度か見てきた、あの『高坂さん』みたいな感じ」
「……そうか」
 これは、褒めてくれてるのだろうか。
 今の私には、それがよくわからなかった。

 秀樹はこれから調査があるので、一応別れることにした。私も仕事があるし、これからは忙しくなる。 
 だから、とりあえず、さっきのことは忘れよう。
 そんなことを思いながら、執務室に一人で向かっている時だった。
「美由美?」
 私の執務室のドアの前に、美由美が立っている。何か用事でもあるような顔だ。
「あ、そう言えば、昨日も……」
 以前のことを思い出す。美由美はあの時にも、私に何かを言おうとしていた。たぶん、今日ここにいるのもそれが理由だろう。
 やはり、何か事情があるのだろうか。
「え、えっと、今日も忙しいんでしたら……」
 私の顔を察したからか、美由美は今日も控えめな態度だった。美由美のことだから、このまま放って置くと、以前のようにすぐ身を引くのだろう。
「じゃ、し、失礼しますっ!」
「……いや、その、美由美?」
 私がどうしようか迷っていた時に、美由美はそれだけを残し、すぐ消えてしまった。
 大丈夫なんだろうか。
 美由美が大丈夫だったら、それでいいんだけど。

 そうやって美由美が去ってから、私は自分の執務室に戻ってくる。
 まるでそれを待っていたかのように、雫からのメッセージが端末に届いた。
『柾木って、今、時間ある?』
『どうした?』
 なぜだろう。
 どこかいじけているような雫の口調が、少し気にかかる。
『別に~』
 ――やっぱり、昼に秀樹と出会ったのが原因なのかな。
 雫のことだから、それに誤解したり、ヤキモチしちゃったのかもしれない。
 こちらがフォローしておくべきかどうか、少し悩む。
『じゃ、また明日ね』
 そんなことを思っていたら、雫から勝手にチャットが途切れた。
 仕方ない。フォローは後にでもしておこう。

 それからしばらくは、自分のやるべきこと、つまりお仕事をこなしていた。
 いつもより量は少ないが、これもしっかりやっておかないと困る。
「もう11時か。早いな」
 そんなことを思いながらも、いつものように作業をやっていた時だった。
「ひっく、ひっく……」
 誰かの泣き声が、廊下の方から聞こえてくる。
 この時間に、いったい誰なんだろう。
 ちょっと、この声、どこかで聞いたような……まさか?

 すぐドアを開けてみると、廊下の向こうから、誰かがこっちに向かって歩いていた。
 今の廊下は暗いからか、誰なのかはよく見えない。
 たぶん、他の階だったらまだ明かりがついてあると思うが、事務室などが集まっているこの階は、これくらいの時間になると灯を消すことになっていた。以前、ここは合同庁舎だったため、エコを気にかけてきたことの名残である。もちろん、緊急事態には話が別だが。
 ともかく、向こうは暗くてよく見えなかったが、その声で、向こうの人が誰なのかはすぐわかった。
「ふええ……ぐすん……柾木?」
 それは他でもない、秀樹だった。
 昼に見た姿と比べてみても、ずいぶん弱くなっている。何かあったのだろうか。
「どうしたんだ」
 私が聞いてみても、秀樹はすぐ答えてくれない。ただ、私の前で、すすり泣いているだけだった。
「べ、別に、なんでもない」
「どこのなんでもないやつが、そこまで泣きじゃくってるんだ」
 どこか意地っ張りっぽい秀樹を見ながら、私は呆れてしまった。もちろん、その気持ちはわかる。たぶん、私の前ではあまり弱い姿を見せたくないのだろう。男なんだし、おかしな反応でもない。
「ほ、ほんとになんでもないのに」
「別にからかわないから、そこまで辛いなら話した方がいい」
「……ほんとに?」
「ああ」
 私がそう頷いてみせると、秀樹も少しは、心がゆるんだようだった。
「別に大したことじゃないんだけど、さっき、夜遅くまで調査を受けていて、急に昔のことなんか言ってくるんだから……」
「そうか」
 別に、秀樹の昔のことなんかは知らない私だけど、それで辛かったのはわかる気がした。
 こんな見知らぬところで、急に昔のことが出てきて、動揺するなと言うのがおかしい。
 でも、あくまで他人である私には、秀樹の事情が何なのかなんて、わかる術もない。

 だから、私ができるのは、そのまま秀樹を抱きしめてあげることだった。
「え?」
「辛かったんだろうな。その気持ちは、自分でもよくわかる」
 今の秀樹は私より体が小さいからか、私の懐にすっぽりと収まった。
 もちろん、私が今の秀樹のような経験をしたわけではない。だけど、自分だって「別の姿」になっているわけだし、その気持ち、他人事には思えなかった。
 廊下に残っているわずかな光たちが、そんな私と秀樹を、微かに照らす。この暗い廊下に、その光たちは何よりも輝いているようだった。
「ありがと」
 私の腕の中で、秀樹は、ただそれだけを口にする。
 それだけでも、私はどこか、自分が救われたような、ほっとした気持ちになれた。
 秀樹にははっきり言って、何の罪もない。ただ、自分のせいでこんな出来事に巻き込まれただけだ。
 それなのに、こんな野郎である私のことを「あの高坂さん」だと信じてくれて、今もこうして、安心してくれている。
 何か、私にできることがあったらいいのに。
 今の私は、心からそう思っていた。

 そういえば。
 今のような状況なら、まだ「あれ」をやる余裕くらいはあるんじゃないだろうか。