15.あの子との関係

 前回の話に戻る。
 雫の警戒はしばらく続いたが、時間が経つに連れて、私たちの距離は少しづつ縮まった。雫が私を、「頼っても良い」人だと信じてくれたおかげだった。
 それだけでも私は十分嬉しかったが、ここで、最初にはまったく考えもしなかった問題ができた。
 ……雫が私に、本気で惚れてしまったのだ。

 自分から言うのもなんだが、雫はあの時から、私に言葉通り、「身も心も」依存することになってしまった。
 もちろん、雫が私に頼ってくれるのはとてもありがたい。むしろ嬉しいけど……それでも、心の中が複雑になるのは仕方がなかった。
 だって、私は「女の子」なのだから。
 今のような状況をどう判断すればいいのか、自分にはまったくわからない。

 もちろん、雫は間違いなく、「本当のこと」を知っている。だから、私を完全に男と見ているわけではない。
 ただ、私のことを、心から好きになってくれただけ。「男」として、私を求めているだけ。
 私たちがやっているのは、ただ、お互いの合意の上で繰り返されている、いわゆるおままごとみたいなものだ。
 それが「婚約」という名を持ってしまったのが、辛いと言えば辛いところだが。

 だけど、いつまでもこんな関係がずっと続くわけにはいかない。
 雫は頭のいい子だ。ついでに、他人のことを察してあげられる、やさしい子でもある。
 だから、この瞬間にも、いつかは終わりがくるのだろう。
 でも、今の雫は、まだこの関係がずっと続いてほしいと願っている。
 私も、雫といっしょにいたい。
 できるのなら、ずっと彼氏でいたい。婚約者でいたい。そう思わないわけでもない。
 それしか、雫といっしょにいられないとしたら。
 たとえ、私が、雫を「ああいう」目で見られない、としても。

「柾木も大変だなぁ」
 私が何も言わずにいると、秀樹は何かを察したような顔で、そんなことを口にした。
 はっきり言って、雫の許可なしにこんな事情、喋られるわけがないので、その反応はかなり助かる。お姉ちゃんなどはもう知っているけど。
「でも、それは柾木の事情だもんね。別にいいよ。話さなくても」
「助かる」
 でも、雫と私の関係は、ただの「仮の婚約」だけじゃない。
 私たちは、すでに、「体のつながり」が存在する。つまり、「本番」だ。そんな関係になったのは二年くらい前。雫が自ら求めてきたのがきっかけだった。
 ――わたし、柾木と一つになりたい。
 もちろん、初めてから私がそれを受け入れたわけではない。そもそも、これは私たち二人だけの問題ではなかった。だが、雫から「許可もらってきたよ」って、私たちの親に話をつけてきたと言われると、こっちにはどうしようがない。
 もし、これで雫の恐怖が、少しでも和らぐのなら。
 結局、私は「避妊はしっかりとすること」などを条件に、それに応じた。
 別に、今の世の中、「好きな子と体で結ばれる」のは、学園生ならばおかしいわけじゃないし。みんながみんな、やっているわけでもないけど。
 今の時代、「好きならば」、それもおかしい行為じゃない。
 問題は、雫と私が「普通のカップル」ではなかったこと、ただそれだけだった。

「あのね、柾木」
 それは、昨年の真冬の夜のことだった。
 私たちは静かな公園の、ぽつんと置かれたベンチに座っていた。空気は冷たくて、息をするだけで、目の前が白くなっていった。
 雫はまるで恋人のように、私にベタついていた。もちろん、すでに婚約も済ませているわけだから、雫が変なことをしたわけではない。私と腕を組んで、肩にもたれかかっただけだ。
 今、他の人があまりいなくて、よかった。
 それがちょっと照れくさかった私は、そんなことを思いながらも、雫の肩をそっと抱いた。とは言え、このような夜の公園にも、行き交う人たちはいる。人たちは、私たちのことを目にすると、まるで約束でもしたように視線を逸した。
 ……ひょっとして、私が実は男じゃなく、女の子だと気づいてしまったのかな。
 と思った私だが、もちろん、そんなわけではない。よく考えてみると、今の私はスーツを着た男なのだ。それに「制服を着た女の子」がべったりとついてるから、どうしても怪しく見えてしまう。
 ああ、そういう理由だったのか。
 そんなことをぼんやりと思っていた時だった。
「柾木ー返事してよー」
「あ、ごめん。話しかけてたのか」
 そういや、雫が隣でずっと、私を呼んでいたような気がする。さっきまでぼうっとしていたから、つい聞き逃していたようだ。
「あのね、今、とても暖かいな、って」
「そうか」
「うん。だって、柾木といちゃついてるし」
「……そうか」
 雫って、こうやってベタつくの、本当に好きなんだよね。
 もちろん、私だってそういうのは嫌いじゃない。同性の友だちとこんなふうに時間を過ごすのは、むしろ私の憧れだった。
 でも、今のこの瞬間は、どう解析すればいいのだろう。
 私が雫の彼氏にちゃんとなれていたら、それでいいとは思うけど……。
「柾木といっしょにいて、よかった」
 そんな私のことは構わずに、雫は話を続ける。
「わたしね、えっちなことがここまで嬉しくて、気持ちよくて、幸せだなんて、柾木のおかげで初めて知ったよ」
「ちょっと、それをここで言うのか?!」
「でも、喋れるところ、他にないし」
「まあ、そうだが……」
 雫は私を褒める時、チャットとかじゃなくて、こうやって、直接顔を合わせたがる。それはそれで嬉しいけど、こんな時には、ちょっと恥ずかしい。今は夜なんだし、雫の声も小さいから、大丈夫だとは思うけど。
「だからね、ありがとう」
 雫はそう言いながら、自分の右手を私の大きな左手へと伸ばして、ぎゅっと掴む。
 まるで、自分の心までもぎゅっと掴まれたような、どうしようもない気持ちが、私を襲った。
「わたしの彼氏になってくれて、ほんとうにありがとね」
 こっちを覗き込むような姿勢で、そんなことを口にする雫。
 近くにある街灯の光が、そんな雫の、照れてる顔を眩しく照らす。
 私は、その時、どんなことを喋ればいいのか、まったくわからなくなった。

「今の柾木、やっぱり複雑そうな顔してるから、代わりに俺がたくさん喋るね」
 私のことを考えてくれたのか、それ以来、秀樹はこっちを見ながら、さんざん愚痴をこぼした。
 たとえば、下着がびったりとしすぎて気になるとか、明らかに慎治に異性と見られていて腹立つとか、そういう類いのものだ。
 その愚痴を、私は黙ってずっと聞いてやった。今、秀樹が経験している辛さなんかに、共感してあげられるのは自分くらいしかいないとわかっていたからだ。
 別に、好きとか、嫌いとか、そういうわけじゃない。
 今、秀樹には自分が必要だろうと、そう思ったからだった。
 それに、よく考えると、今のこの状況は、秀樹の思いやりみたいなものだし。こっちとしても、その心遣いはありがたい。
「でね、今度は何があったかというとー」
 そういや、私も秀樹に、聞いておきたいことがあった。
「ところで、注射はちゃんと打ってもらったか?」
「あ、あれのことだよね?」
 秀樹も覚えがあるからか、そう言いながらこっちの顔をじっと見る。
「ありゃ痛かったな~。なんなのかはよくわかんないけど。あれって何?」
「別に変なものじゃない。俺も定期的に打ってもらっているやつだ」
「そうなの?」
 あの注射は、怪しいものなんかじゃない。あれはただ、「精神を安定させる」ための薬の入った注射だ。 要するに、「いきなり変化した体のせいで、ホルモンなどがおかしくなることを防止するため、体に薬を打つわけだ。
 私も「別の姿」になってから、ほぼ定期的に、ずっと注射を打たれてきた。今の私が、「変化した体」のせいであまり精神的な影響を受けていないのは、あの注射のおかげだ。ホルモンとか、精神に与える影響は馬鹿にできないのだから。
 もちろん、こうなっている以上、「まったく影響がない」と言われたら嘘になる。けれど、少なくとも「人が変わった」レベルにならない程度で済んでいるのは、あの薬のおかげだ。
「そんなやつだったのか……」
 改めて、今の自分の置かれた環境について考え込んでいるのか、秀樹はしばらく、何も言わなかった。それは決して、おかしな反応ではない。自分なんかは、こうなってから「誰かを孕ませるとか、できちゃうんだ」と思ってしまい、ものすごく複雑な気持ちになったことがある。
 やはり、ここはもう一度、押しておくべきなんだろうか。
「もし、辛いことがあったら、遠慮なく俺の方に連絡してくれ。せっかく同じところで過ごしているわけだ。あまり控える必要はないからな」
 こんなことを口にするだけでも、やっぱり私はすごく悩んでしまう。自分の心は、ちゃんと秀樹に伝わっているのだろうか。あまり素直に何かを伝えるのが下手なので、どうしても自信が持てなくなる。
 だけど、秀樹はこっちを見ながら、力強く、そう頷いてくれた。
「わかったよ。俺は柾木が、自分のこと心配してくれただけで十分嬉しいけどね」
「……別に、心配とかではない」
「んじゃ?」
「……こっちも用事があるから、ちょっと失礼する」
「え~?」
 やはり、こいつのことなんか、好きじゃない。
 でも、今は心配だから、私にできることならば、力になりたい。そう思ってるだけだ。