機械仕掛けのコスモス・覚醒

 目覚めたのは、見慣れない建物の中だった。

「……?」
 意識が戻って初めて気づいたのは、「何かがおかしい」という感覚だった。
 あまりにもぼんやりした感情で、どう言語化すればいいのか、見当もつかない。自分のような「論理的」な存在には、非常に馴染めない感覚である。
 何かがおかしい――けれど、それが言い切れない。
 あまりにもむず痒くて、今すぐにでも暴れだしたくなる。そういう感覚が自分を包み込んでいた。

 その感情が極限に達した瞬間、俺は思わず「声」を出していた。
「ここは、いったいどこ――」
 おかしい。強烈な違和感がある。
「……えっ?」
 そう「声」を出してみて、初めてその異常に気づく。
 今の俺、ひょっとして「喉」で喋っている……?
 いつものような、電子信号ではなく?
 そう、まるで「人間」の持つ喉のような――

 おかしい。
 そもそも自分は巨大ロボット、つまり機械なのだから、人間の呼吸法なんて知っているわけがない。
 ……ひょっとして、誰かが「もしものために」記録しておいたのか?
 いつか役に立つことを想定して、自分にデータとして残しておいた、ということなのだろうか?
 だから自分は、「巨大ロボットとしての」喋り方である電子信号が使えなくなったため、無意識の中で「人間らしい発声」というやり方を取ったと?
 そして、今の自分は、その「人間らしい発声」が可能である存在――つまり、人間そのものになっていると?

 ありえない。
 初めてたどり着いた結論は、まずそれだった。
 そう。これはありえない。あってはいけないのだ。
 自分は初めから、戦闘用の巨大ロボットとして作られた。人間のような思考回路は持っているはずだが、間違ってもそれは、「人間そのもの」ではない。
 そんな存在が、なぜか今、本物の「人間」になっていると?
 そんな結果は導かれない。いや、あるわけがない。
 それは現実にとって、「存在できない」不条理な出来事だからだ。

 だが、もしその通りだとしたら。
 ……今、自分が経験している感覚は、いったい何だと言うんだろう?

「こ、これって」
 再び声を出してみて、俺は今まで気づかなかったことに気づく。
 今の自分は、屋内の中で横になっている。なぜか柔らかいものに包まれていることから考えると、たぶん布団の中みたいだった。
 ……ありえない。激しくありえないが、問題はそこだけじゃない。
「声が、高い」
 そう、今までの自分の持っていた無機質な声とは違って、今の声は間違いなく「高い」。
 たぶん、こちらの判断が間違いではなかったら――これはきっと、女の物だ。
 どうして自分の声が、「女の物」になっているのだろうか?
 もちろん、はっきり言って機械に性別など、ないものと同じだが。
 それでもこちらは、機動されてから今までずっと、自分のことを「雄」――つまり、男と認識していたわけである。
 今の自分は、いったいどんな状況に陥っているのだろうか。
 ここに来て、俺は初めて、それが怖くなった。
 感情なんて存在するわけがない機械だというのに、それが怖くて怖くて、たまらなかった。

 そんな感情に包まれて、俺が迷っている時だった。
「あれ、もう起きていらっしゃったんですか?」
 それを聞いたとたん、体が勝手に動く。
 まるで布団を吹っ飛ばすような勢いで、俺は体を起こしていた。
 ――間違いない。これはきっと、女性の声だ。
 今の自分が室内にいることを考えると、たぶんあの女性が、ここの主となるのだろう。
 ざっと見た限り、ここはあくまで普通の民家で、巨大ロボットが入るほどの大きさなどはまったくない。
 いや、普通の民家よりは規模がありそうだが――とにかく、「俺」が入れるような大きさではなかった。
 ……思考回路が、バグを起こす。
 あまりにもありえない事実の連続で、回路が壊れてしまいそうになる。

 その時、気づく。
 今の自分は、「機械」的ではなく、人間の「筋肉」で歩いていた、と言うことに。
 驚くべきところは、そこだけじゃない。
 自分の感覚が間違っていなかったら、どうやら自分は、今「長い髪」を持っているようだった。
 さっきから、動く度に、肩の方にかゆい感覚がある。
 ……自分の「高い声」のことを考えると、どうしてもあまりよくない予感がするのだが、いったいこれは――
 頭がクラクラしてきて、何も考えられない。
 機械としてはあるまじき事態を必死に無視するような形で、俺は外に出るため、目に入ってきたドアの方へと近づいた。

 ドアを開いて、「外」に出てみると。
「……っ」
 あまりにも見事な自然の風景に、言葉を失う。
 広がっているものは、とても澄み渡った青空と、果てしなく続く草原。
 冷たいけど、どこか心地いい空気が、肺にまっすぐ入ってくることを感じる。
 ……人間だ。
 今の自分は、間違いなく「人間」そのものになっている。
 もちろん、それは大いにありえないことだ。
 戦闘用の巨大ロボットが普通の人間になっています、なんて。
 そんなこと、おかしいと言われることに決まっている。

 だが、それならこの、「長い髪がなびく」言葉にできない感覚は、どう説明したらいいのだろうか?
 自分の「体」をやさしく撫でる、この柔らかな風の繊細な感覚は、どう証明すればいい?
 もし、今の自分が本当に機械のままだったら、この時点で処理エラーを起こしてもおかしくはない。
 ……なぜか自分は、心から強く、そう思っていた。
 心なんか存在しない機械の身だというのに、こういう言葉はすらすらと浮かんでしまう。

「えっと、靴はお履きにならなくてもよろしいんですか?」
 その声を聞いて、俺は初めて、自分が「裸足」だったことに気づく。
 玄関の前からずっと草原が続いていたからよかったものの、ひょっとしたら少し、危なかったかもしれない。
 ……そう思ったところまではいいとしても、あまりにもチグハグなこの状況に、どうすればいいのかわけがわからなくなった。
 ひとまず、ややこしいことは後に処理するとして、玄関に後ずさってから、適当な靴を履いたまま歩き出す。

 で、改めて目の前を見ると――
「これは……」
 確かに、目の前には見渡す限りの草原が広がっている。だが、決して目の前にあるのはそれだけじゃない。
 草原の向こうは、ゴツゴツとした青き山々であった。
 山々はどこまでも連なり並んでおり、その見事な景色には思わず息を呑むほどだった。機械である自分がこんなことを思うのはおかしいが、そう感じてしまったからには仕方ない。
 ついでに、向こうは絶壁になっており、ざっと見ただけでも、その高さが伺える。ここは山頂ではないが、それに近いところだと受け取っても概ね問題はないだろう。
 つまり、ここからもう少しだけ前に進むと、そのまま崖っぷちだということだ。
 今までは草原ばかりのところだと思いこんでいたが、その考えはどうやら外れだったようだ。
 ……あの女性は、こんなところで一人で暮らしていたのだろうか。
 なぜか俺は、ふいにそんなことを思い浮かべる。
 今は自分の行き場すら不確かな状況だというのに。

「あの、もうお体は大丈夫なんでしょうか?」
 そんな自分に向けて、後ろから声がかけられた。
 今まで一度も聞いたこともない、そのやさしい声に、俺は思わず戸惑う。
 ……声をかけられたことが一度もなかったわけではない。
 ただし、こんなに「心配された」ことは、決してなかった。
 戦闘用――正確に言うと見せつけ用である巨大ロボットなんかに、やさしい声をかけてくれる人間なんて、この世にいるわけがない。
 自分みたいな存在が、その声に答えても大丈夫なんだろうか。
 ……そんなことを思ってしまったのは、機動されてから初めてだった。

「は、はいっ」
 とにかく慌てて答えると、後ろの声がだんだん、こちらに近づいてくる。
「よかった。実はわたし、かなり心配してたんです」
 その声と共に、女性はゆっくりと自分の前に姿を現した。
 ……今の自分より、頭一つ背が低い。
 胸まで届くセミロングの黒髪が、後ろの日差しを受けて眩しく光る。
 素朴そうな白いブラウスと茶色のスカートが、なぜかそんな彼女には、よく似合っていた。

 ……綺麗。
 いちばん先に思い浮かべたのは、そういう味気ない言葉だった。
 普通の人間ならもっと豊かな語彙でこの女性のことを語れると思うが、ただの機械である俺には、このような陳腐な言葉がやっとである。
 しかし、不思議だ。
 どうしてただの機械である自分が、「綺麗」なんて言葉をいちばん先に思いついたのだろう?
 感情も、美しさすらもまともに判断できない存在である俺が、どうしてこの女性のことを綺麗と言い切れたのだろうか?
 わからない。
 何もかもが想定もしていなかったことの連続で、頭がぐるぐる回りそうな気がしてきた。

「あ、あ、ありがとうございますっ」
 まずい。声が裏返ってしまった。
 ……元から人間だったのならともかく、人間になった経験なんてあるわけがない機械としては、あまりにも滑稽な場面である。
「し、質問一つ、してもよろしいでしょうか」
 緊張にどもる、という反応を機動されてから初めて経験しつつ、俺は彼女に向けて、おずおずとそう話しかけた。
「はい、どうぞ」
「あ、あの、わ、私は、いったいどこで意識を失っていたのでしょうか」
 ……これで、合っているのだろうか。
 人間になんて、なったことはまったくないから、これで正しいのかどうか、到底わからない。
 もちろん、人間の「女」らしさなんてはもってのほかだ。
 自分がここまで情けなく思えたのも、また機動されてから初めてだった。

 その話を聞いた彼女は、少し考えてから――ゆっくりと、家の方を指した。
 つまり、俺たちの後ろ側の方だ。
「わたしが外に出かけてみたら、えっと、貴女がそこに倒れていたんです。あの『巨大なもの』と共に」
 その指に導かれ、ゆっくりと後ろを振り返ってみると。
 想像を遥かに超えた光景が、自分のことを待っていた。

「……へ?」
 目の前にあるのは、どこか牧歌的な香りのする民家とはあまりにもかけ離れた――
 ……かつては間違いなく自分であった、無骨な巨大ロボットの屍だった。