「あ~やっぱりここはちょー落ちつく」
私の部屋に戻ってくると、秀樹は見事にダメ人間になってしまった。だらけすぎて、クラスのみんな……特に女の子が見たら卒倒するに違いない。
でも、秀樹のこういう顔を見られる人は、きっとこの世の中で、私一人だけなんだろうな。
そう思うと、たしかにだらけない姿ではあるものの、少し嬉しくなった。
……今の私は相変わらず「別の姿」だったんだけど。
「もうね、ここも家みたいなものだな」
床で倒れるように横になりながら、秀樹は笑いをこぼす。
二人とも激しく運動してから帰ってきたため、自分が言うのもなんだが、部屋にはすごく男の匂いが漂っていた。今の自分にはよくわからないけど、きっとそう。
……ここはぬいぐるみばかりの可愛らしい部屋だというのに、なんていうアンバランス。
このままじゃ、顔が赤くなって頭も上げられなくなりそうだ。
「あ、そういや今の俺らって、きっと匂いも凄いんだろうな……って柾木?!」
「も、戻る」
「早すぎないか?!」
秀樹はそう話しかけてくるんだけど、そんなこと、私は知らない。
っていうか、なんでそんなこと言いながら体を起こすんだろう。「別の姿」の私の匂いでも嗅ぐつもりだったんだろうか。
このままじゃ、秀樹が心配だ。
せめて「元の姿」に早く戻って、秀樹がこれ以上堕ちないようにしなきゃ――
「や、やっと戻ってきた……」
元に戻って服も着替えた私は、急いで自分の部屋へと戻った。幸い、午前中に急な仕事は終わらせてたし、今日は家で過ごしていても大丈夫だろうと思う。
……こういう、普段はあまりにもラフすぎて怖くなるところが「組織」の幹部のいいところであり、困るところである。
まあ、いつ「反軍」が攻め込んでくるかがわからないのは、確かに困るところだが。
「おっ、柾木、戻ってきたか」
「誰かさんがこれ以上変態になっちゃうと、こっちが困るから」
私がそっと視線を逸らすと、秀樹は興味津々という顔でこっちをじっと見る。目を逸らしているのに向こうの視線を強く感じるくらいだから、ちょっと怖いレベルだ。
「ん? よく見たら、髪の毛濡れてるな」
「そりゃそうでしょ。別にシャワーとか浴びてないし」
あまりにも「元の姿」に戻ることを急いだため、今の私はさっきの「別の姿」のように、汗だくの体である。当然ではあるが、匂いとかもそのままのはずだ。匂い自体は変わっているかもしれないが。
……いつもお世話になっているというのに、やはりあの機械のことはよくわからない。
私がそんなことを思っていると、また秀樹がこっちに近づいてきた。
「たしかに、同性じゃ匂いとかよくわかんないんだよね。んじゃ、今度は――」
「だから、そういうのって恥ずかしいって言ったんじゃない」
「え、そう?」
「……まったく」
今度は「元の姿」だとは言え、こういのはやっぱり恥ずかしい。
これ以上秀樹が変態さんにならないように、私は急いでシャワーを浴びることにした。
「はあ、さっきは恥ずかしかった……」
すばやくシャワーを浴びて、服も着替えて、ようやくさっぱりできた私は、秀樹のためキッチンでお菓子や紅茶などを用意していた。
さっきは本当に、恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
匂いフェチとか、そういうのを否定するつもりはないけど、その、ほどほどにしてほしい。恥ずかしいから。
……こういうの、下手に口にしたら秀樹はまた調子に乗りそうだけど。
「おっ、柾木~おかえりっ」
私がお菓子などを載せた皿を持って自分の部屋へ戻ると、秀樹はシャワーを浴びてからぐったりとした姿勢で、ベッドでもたれかかったままこっちを待っていた。
私に続いてシャワーを浴びてきたのはありがたいけど(別にいっしょに入ったわけじゃないが)、相変わらず、すごくだらけた姿である。
「おっ、着替えたんだ。いつもとちょっと違う感じかな?」
「いや、これ普段着だけど」
今の私は、いつも家でくつろぐ時のようなラフな服装だった。
普通のTシャツに半ズボン、それにいつもと違ってポニーテールな髪型。
……まあ、服はともかくとして、こんな髪型は少し珍しいのかもしれない。家ところか、外に軽く出かける時にもよくこうするんだけど、学園でやったことはないんだから。
私だって、別にツインテだけやってるわけじゃないんだ。ツインテの方が好きではあるけど、こっちが動く時には楽だから。気分によってちょくちょくと変えている。
「へ~」
「な、何か悪いの?!」
「いやいや、すごく新鮮だなーと思って。こういう柾木さんもありなんだな」
「ほ、褒めても何も出ないんだから」
また素直に褒めてくれる秀樹に、私は思わずそっぽを向く。
やはり、私はこういう素直な攻撃にいちばん弱いみたい。
「っていうか、秀樹っていつも私のことすごく褒めてくるけど、その、……楽しいの?」
「うん、とても」
「うっ」
あまりにもすんなりと秀樹が答えてくれたため、私はまた照れてしまう。こういう愛情表現、嫌なわけじゃないけど、反応に困る。
「わ、私、家だとだいたいこんな服しか着ない。外でもそう。黒ロリとか、そういうのは時々楽しむだけ」
「そうなんだ。へ~」
「……あんまり驚かないんだね」
「まあ、今まで柾木さん、ずっとそうしてたし」
……それもそうだった。
以前、デートの時にも似たような服装だったし、それに気づくのも自然か。
ちなみに今、秀樹はベッドにもたれかかった形で床に座っている。代わりに私は、普通にベッドに足をかけて座っていた。
……秀樹といっしょに、自分の部屋でくつろいでいる私。
こう改めて考えてみると、今、この状況がどれくらい異常なのかわかってしまう。
だって、6月まで私、秀樹のことを目障りだと思ってたんだ。なのに、今はデートところか、こうやっていっしょに自分の部屋でくつろいでるんだから、おかしいとしか言えない状況である。
まあ、付き合ってるし、当たり前ではあるけど。
今までどれだけ色んなことがあったとは言え、私たち、やっぱり進歩が早すぎる。
「うーん、それにしても暇だな」
私がそんなことを思っていたら、秀樹はおねだりするような眼差しでこっちをじっと見ていた。
「……そこまで暇なの?」
「まあ、柾木といっしょにいるだけで退屈しないけど、いっしょに遊んでくれたら、もっと嬉しいかもね?」
「ぐぬぬ……」
たしかに、せっかくいっしょにいるというのに、何もしないままと言うのは惜しいのかもしれない。
仕方ないけど、「アレ」でも見せてみようかな。
「じゃ、その、……写真でも見る?」
「え? 柾木の写真なのか?」
「まあ……そだけど」
ここで、私は思わず秀樹から視線を逸らす。
恥ずかしいんだ。自分の写真、他の人に見せるのは。その写真の中で「別の姿」が混ざっているとなおさら。
「マジ? 超見たい! 早く早く!!」
「ま、まったく、せっかち屋さんだから」
視線を逸らしたまま、私は自分の「端末」を呼び出す。秀樹に写真を見せるわけだから、今の時代、取れる行動はそれだけだった。
……なんか、今度も私、秀樹に負けたような気がするんだけど。
ともかく、こうやって私は、自分から秀樹に子供の頃の写真を見せることになった。
「へ~かわいい~やっぱ昔の柾木さんも可愛かったんだ」
「な、何言ってんの、まったく」
まず子供の頃の写真を見せたら、案の定、秀樹はすごく興奮していた。いや、嬉しいのは嬉しいけど、この恥ずかしい気持ちはどう言葉にしたらいいんだろう……。
「っていうか、この頃と今と、柾木ってあんま変わってないね」
「ま、そ、そうかな」
「うん、かわいいのはそのまま」
「だ、だからやめてって……」
ダメだ。このままじゃ、また私だけ恥ずかしくなってしまう。
そう思って無理やりに次の写真に移ったら、今度は「組織」に入ったばかりの頃の、私の「別の姿」の写真が出てきた。
「へ~初めてはこんな感じだったんだね」
「は、は、恥ずかしい……」
やはり、自分の「別の姿」の写真を誰かに見せるのは勇気がいる。それも相手が秀樹ならなおさら。
そもそも、今の「別の姿」とは違って、この頃の私、「元」と「別」の姿がほぼ似たようなものだったから。
「この頃はまた面影が残ってるなぁ。面白いね」
「……自分事じゃないと思って」
「え、やっぱりこの頃の姿、嫌なの?」
「ま、ちょ、ちょっとガキっぽいから……」
とは言え、これは「元の姿」を知り尽くしている私だから出せる意見で、他の人から見ると、たぶん元の方とあんまり変わらないと思う……気がする。
自分から見ても、この頃にはまたちゃんと「元の姿」の面影が残っているし、じっと眺めてるとかなりこそばゆい。
……こんな童顔だったのに、なんで今になってはあそこまで硬い顔になったんだろう。
あの頃にもそうだったけど、今になっても「別の姿」の変化は謎だ。背もいきなりぐんと伸びたし。この頃にはまだ、「元の姿」とそこまで変わらなかったのに。
「でもよく考えてみると、この頃の柾木さん、男のこと、嫌いだったよね」
「……まあ」
私は静かに頷く。
この写真の頃を考えると、やはりそれはあまり思い出したくなかった。
「やっぱり複雑な気持ちだったりしたの?」
「かなり、ね」
そっと視線を逸らしてから、私は再び頷いた。
あの頃、みんなにからかわれたことや、「別の姿」に戸惑ったことなど、様々なことが蘇ってくる。
その中には、極めてひどい記憶もあった。
今になっては、本当に思い出したくもないヤバいやつが――
「そういやこの頃の柾木、女の子っぽいから、誤解?とかされたかもしれないね」
だからなんだろうか。秀樹が何気なく口にしたその話に、私はついこう反応してしまった。
「思い出したくはないけどね。まあ、あの姿で女装して登校してもバレなかったし……」
「へ?」
しまった。
なんでこんなこと、自分から言い出したんだろう。
「柾木さん、今なんて?」
「……」
恥ずかしい。
私はしばらく、秀樹の前でずっと頭を上げられなかった。
事情はこうだった。
私はあの頃、登校する時には「組織」から家に戻って、そこで「機械」を通じて「元の姿」に戻っていた。今でもそうだし、昔だってそれは変わらない。
で、あの頃の私は「現場担当」だったし、訓練やら急に攻めてくる「反軍」やらで、あんまり時間に余裕がなかった。いつも待機している必要があるから、登校だって自分の想いのままにはできない。まあ、「作戦部長」になって今では、やるべき仕事が多すぎてあんまり行けなくなったけど。
でも、どれだけ時間がない私だって、無理やり登校しなければならない時はあった。
あの頃はまた義務教育だったから、やはり出席日数を満たさないといろいろ困ることが多かったんだ。
もちろん、時間もないのにわざわざ家まで戻って、「元の姿」になる余裕はない。
とは言え、「あの日」の前まではどうにか時間を作って、遅刻してでも「元の姿」で学園に行った。何があっても、それは私にとって、やらなければいけないことだった。
だが、「あの日」だけはどうしても、それができなかった。
今すぐ、「組織」から登校しないといけない状況がやってきたんだ。
……まあ、これ以上は言わなくてもわかると思うけど。
結局私は、生まれていちばん悲惨な目に会った。
なぜかすでに用意されていたカツラとか、そういうのでなんとか誤魔化してから、私は「別の姿」で登校してしまったんだ。
……あの時のことは、あまり思い出したくない。考えるだけで最悪だから。
だって、「別の姿」である。どれだけ元の方と似たような姿だとしても、「別の姿」なんだ。
そんな体で、いつものように女の子用の制服を着て、下着もきちんと「いつもの」ものを着て、なんとか声を誤魔化して、一日中学園で時間を過ごした。
――死にたい。今すぐ消えてしまいたい。
あの時の私は、どれだけそう思っていたか。
もしバレたらどうしよう。そうなったら私はもう終わりだ。きっと軽滅されるんだろう。マジで死んじゃうかもしれない。そもそも、「女の子」が女装とか、どういう屈辱なんだ。
何度も何度も、あの時の自分はそんなことを思っていたはずだ。
結局、私のような状況を想像できる人間が誰もいなかったおかげで、その時にはなんとかなった。でも、あの時のことはやっぱりずっと忘れたままでいたい。
「大変だったな。柾木さんも」
最後まで私の話を聞いた秀樹は、一人でそう頷いた。
「そんなの、誰にも話せなかったんだろ? きっと苦しかったはずなのに」
「も、もう昔のことだから」
だけど、私は秀樹の前では必死で強がる。
ここで弱いところがバレてしまったら、もう秀樹と目も合わせられない。
「俺にはああいうの、想像しかできないけどさ」
それでも、秀樹は私の話をしっかり聞いてくれた。
「辛かったって、認めてもいいと思うよ」
……いつも、秀樹はこんなふうに、私を慰めてくれた。
「でもよく考えてみると面白いなぁ。柾木って、今は男のこと嫌じゃないって話だよね?」
空気を変えたかったんだろうか。秀樹が急にそんなことを言い出した。
「ま、そ、そうだけど」
「でも、俺と初めて出会った時には、その、かなり冷たかった気がするんだよね」
「い、いや、それは――」
やっぱり、秀樹はいじわるだ。
いつも私に優しいし、慰めてくれるけど、こんなふうに私のこと、からかってくるから。
「あはは、これ以上は聞かないほうがいいのかな~?」
「うっ……」
「まだまだ俺の気づいてない柾木の姿、いっぱいあるんだろうな。『別の姿』での口調、今とはまったく違うから、時々見逃したりしてしまう」
「そんなことは知らない。そもそも、あんな姿でこんな喋り方するとおかしいことに決まってるんじゃない」
「ま、口調のこと考えないといつもの柾木だし、それはそれで面白いけどね」
「そ、そこまでいつも通りなのかはよくわからないけど……」
でも、こんなやりとりも私は、嫌いじゃない。
たしかに私は素直じゃないけど、秀樹といっしょならこのやりとりの方がしっくりくる気がした。
それから、どれほど時間が経ったんだろう。
おぼろげな意識のまま、私はふと目覚めた。
まだ、周りは暗い。
だから、思わずそう口ずさんだ。
「なんで俺がこの時間で……っ?!」
自分の喉から出てきた声に、私は一気に眠りから覚める。
だって、今の自分の声、すごく高い。いや、自分としては低く喋ってたつもりだけど、あんまり役に立ってない。
何も考えてなかったけど、今、自分は「元の姿」なんだ。ここは紛れもなく、自分の家である。
ともかく、その事実に焦った私が周りを見渡すと――
「にやにや」
言葉通り、秀樹がニヤニヤしながら、暗闇の中でこっちをじーっと見つめていた。
「なななな、何?!」
「柾木さん、さっきはやけに低い音程で喋っていましたね?」
「そ、そんなことどうでもいいけど、なんで秀樹が今――」
「まあ、こんな時じゃないとじっくりと眺められないからね。えへへ」
「う、ううっ」
気がつけば、私は恥ずかしくなったあげく布団の中に丸く潜り、体をぎゅっと縮めていた。
恥ずかしい。これは本当に恥ずかしい。
今すぐにでも、体が勝手にジダバタしそうで怖いくらいだった。
「おーい、柾木さん? ひょっとして今照れてます?」
「う、うるさい。わかってるくせに」
「うーん、さっきのアレ、そこまで恥ずかしがることかな?」
「た、他人事だからってそんなふうに言わなくても……」
相変わらず体を丸くして、私はそっぽを向いたままそう答える。
きっと、秀樹からは布団に潜った私が自分から背を向けているように見えてるんだろう。それはきっと、とても見事な円形に違いない。
「ところで柾木さん、いつまでお布団に潜ったままでいるおつもりでしょうか?」
「し、知らないっ」
私、自分の「元の姿」の時、「別の姿」の口調で話すの、すごく恥ずかしい。
逆の場合もそうだけど、あんまり声に似合わない口調は使いたくなかった。
なのに、よりにもよって、秀樹にこれを聞かされてしまうだなんて。
どうしよう。このままじゃ私、布団から絶対に出られない……。
「わかった。俺が悪かったよ。俺はただ、柾木のかわいい寝顔が見たかっただけなんだ」
「そ、それだけのために、布団から出てずっと私のこと、眺めてたの?」
「そりゃやるさ。近くでじっと見るのと、こんな距離で眺めてるのとはまた違うからね」
「ど、どうせ今はまだ暗いから、ちゃんと見えないのに……」
私がそういじけていると、秀樹は私の潜ってる布団の上に手をおいた。そして、まるで猫を撫でるような手つきで、その布団……っていうか、私を優しく撫でる。
「ごめん。今度は俺がほんとに悪かった。だから、もう出てくれない?」
「……今度だけだから」
私はようやく、布団から頭を出して秀樹の方を見た。相変わらず……というのもなんだけど、すごくムカつく顔をしている。いつものさやわかな笑顔も、今だけは少し悔しい。
「これからは絶対許さないから。わ、わかった?」
「はい、やりませんっ」
「うっ」
そこで敬礼までされると、こっちは返す言葉もない。
やっぱり私、秀樹のこと、本気で大好きなようだ。
でも、さすがに今度の出来事は恥ずかしかったな。
もし「あの時のこと」がなかったら、人生最大の恥だったかもしれない。
でも、今度は秀樹がいっしょにいてくれた。
だから、私はまだ、胸を張っていられる。