そして、幾つかの日々が過ぎてから。
2035年の6月。夏が始まったばかりである今。
『ぴーぴー』
「な、何?!」
自分のベッドで寝ていた私は、その突飛な音に目を覚ました。
――も、ものすごくうるさいんだけど、あれ。
気を取り戻して「そっち」を見たら、そこには自分が昔から使ってきた『端末』の画面がぼんやりと浮かんでいた。
「いつも」使っている、仕事用の「端末」ではない。
――あ、ここは『本部』じゃないんだ。
私はやっと、自分が久しぶりに家に帰ってきたことを思い出す。
「うーん……」
伸びをしながらあくびをすると、本当に久しぶりである自分の部屋と、その部屋に降り注ぐ朝日が感じられた。
私も、ずいぶん昔の夢を見たな。
まさか「あの頃」の夢を見るとは、思いもしてなかった。
なぜいまさら、そんな夢を見たんだろう。
もう、恥ずかしくて、忘れたくなるくらいの記憶なのに。
「ねえ、柾木ちゃん。起きた?」
そんな事をぼんやりと思っているときに、美咲お姉ちゃんがいつものように私を呼んだ。
――そういえば、昔にはお姉ちゃんがいつも私を起こしてくれたんだよね。
さすがに今は自分で起こるんだけど、時々それを思い出すと、少し懐かしくなる。
「あら。柾木ちゃん。まだ寝ているのかな?」
それを思い出していたら、お姉ちゃんにもう一度呼ばれた。
まずい。早く行かないと。
「うーん。今起きたよ。すぐ行く、待ってて」
「あ。起きたのね。朝ごはん、出来てるから」
「わかった。ちょっと待ってね」
私はそれだけ言うと、早く服を着替えて、外に出た。
――元の姿で朝ごはんを食べるのも、こんなにゆっくり朝の準備が出来るのも、ずいぶん久しぶりだった。
いつものようにきれいに髪を結んで、顔を洗ってから居間に向かう。
あれからずいぶん時間が経ったけれど、未だに私はツインテールで、ちっこくて、いつも年下に見られる女の子だった。
「おはよう、柾木ちゃん」
外に出ると、美咲お姉ちゃんが微笑みながら私を待っていた。
あの頃から時間はだいぶ経ったが、お姉ちゃんの優しさだけは変わってない。私より遥かに大人びた印象に、長い茶色の髪。少しウェーブのかかった髪だけど、そこがまだいい、と私は思っている。
いつも思うんだけど、女の子の中の女の子、というフレーズがぴったりだ。柔らかくて、穏やかで、それに料理だってうまくて、お姉ちゃんには一生敵わない。
大学も卒業して、もう自分の道を歩いているお姉ちゃん。
「あの」お仕事はもう辞めたんだけど、今は好きな人もいるようだし、昔より平和で過ごしているような気がする。
「うん。おはよう。お姉ちゃん」
私はそう言いながら、皿の上にあるトーストを一枚取った。
ただのトーストなんだけど、やっぱりお姉ちゃんのトーストは別格で、ワップルや手作りヨーグルトもすごく美味しい。
私には、とうてい真似が出来ないくらいだ。
甘いお菓子とならば、私も少しはお姉ちゃんに勝てるんだけど。
「今日は顔が明るいね。昨日、いい夢でも見た?」
「うーん。ちょっと恥ずかしいかな。昔のことを見てたの」
私はちょっと照れながら、そんな事をお姉ちゃんに話す。
お姉ちゃんは、くすっ、と笑いながら、私の話を聞いてくれた。
「そういえば、本当に昔のことだよね。あれも」
お姉ちゃんは懐かしい顔で、私を見ながらそういった。
「あの頃に比べると、わたしたち、少しは大人になったのかな」
「お姉ちゃんはもうずいぶん大人でしょ? 私には、まだ遅いんだけど」
「あら、柾木ちゃんって、結構大人しくなってるよ?」
「そんなバレバレな嘘、つかないでよ。私も、自分がまだ子供ってことくらい、よくわかってるから」
私はそう言いながら、お姉ちゃんから目をずらした。
私も、自分の事はちゃんとわかっている。
自分の背って、子供の時からあまり伸びてない。
顔だって昔のままだし、知らない人から見れば本当に子供でしか思えない。
――もう私は、立派な学園2年生だというのに。
胸だって、ほんの少しだけど、その、しっかり出ているというのに。
「でも柾木ちゃん。背が低いとか、そんなの、あまり気にしないんじゃない」
「ま、それは……そうだけどね」
私は頷きながら、もう一度トーストを手に取る。
確かに子供扱いはちょっと頭にくるんだけど、自分は未だに、この姿が好きだった。
おかげでまだ聞きたい服が着れるわけだし、別に体が大人しくなるとか、そんなことには興味がない。
もちろん子供扱いされるのはちょっとあれだけど、私は、こんな自分のあり方がまったく嫌いじゃなかった。
背が低いと言って、別に不便なこともないし、生きるのに問題があるわけでもない。
だから、これからもずっと、このままでいいと思っていた。
自分はやっぱり、可愛くて、自分が愛することができる、私でいたいと思ったから。
――お仕事の自分は、こんなに可愛くいられないわけだしね。
「そういえば、わたし、まだはっきりと覚えてるの」
「え、何を?」
私が驚いた顔をすると、お姉ちゃんは楽しそうな笑顔で、こう言った。
「小学校の時ね。柾木ちゃんがよく言ったんでしょ? クラスメイトの男の子たちが、いつもからかってばかりだって」
「あ。確かにそれ、言ってたよね」
「いつも涙目で、帰ってきた後に『男なんて大嫌い!』って言ってたよね。その時の柾木ちゃん、申し訳ないんだけど、その、すごく可愛かった」
「もう、お姉ちゃん。いつの話なの、それ」
「だって、今もそうでしょ? あ、ちょっと昔の話だよね。今はもうすっかりだし」
「当たり前じゃない。私も、もう昔とだいぶ変わったから」
そう言いながら、昔のことを少し思い出す。
今も少しはそうだけど、私は幼い頃、男の子たちによくからかわれた。
それは私がちっちゃくて負けず嫌いなこともあったんだけど、それ以前に、私の名前と姿とのアンバランスが大きかった。
だって、高坂「柾木」と来て、それが女の子だと思ってくれる人は、あまりいない。
おかげで、私は小学校の頃、いつもクラスの男たちの目当てになった。
あいつらがあまりもしつこかったから、その結果、私はいつの間にか男嫌いになっていた。
――その時は、本当に、男なんて低脳な奴ばかりだと思っていたから。
「でもおかしいね。柾木って私よりは男っぽく育てられているんでしょ? むしろ、その子たちとはよく気が合いそうだったけどね」
「冗談でもそんなの言わないで。こっちは大変だったんだから」
「だけど、私としたらちょっと不思議だよね。そこまでからかわれたと言うのに、なぜこの名前はいやだ、って言わなかったの?」
「……多分、そこまで嫌じゃないから」
「よく男に間違えるし、似合わないって言われるし、可愛くもないのに?」
「でも、お父さんが付けてくれた大事な名前だもの。ちゃんと自分の名前だ、と思っているから、じゃないかな」
私はそう言いながら、残っていたパンを口にした。
お姉ちゃんが言うとおり、この名前で大変な目に会ったのは一度二度じゃない。
特に小学校の時は、それのせいで酷い目にあったりした。
でも、なぜだろう。
私は、「高坂柾木」と言う、自分の名前が嫌いじゃなかった。
それは、ひょっとしたら、その名前が「美咲」というお姉ちゃんのと対になっているからかも知れない。
もしかしかったら、自分がお姉ちゃんよりは男らしく育てられたから、この名前も嫌いじゃなかったかも知れない。
それじゃなかったら、これが「お父さん」のつけてくれた、思いが込められた名前だからかも知れない。
でも、これだけは言える。
私は、今までこの名前を後悔したのが一度もない、と。
「あはは、柾木ちゃん、難しい顔してる」
私がそんなのを考えていたとき、お姉ちゃんが私を見ながら、くすっ、と笑った。
「ごめん。そんなつもりではなかったの。ただね、気になったから、つい」
お姉ちゃんはそう言いながら、ごめんなさい、と頭を下げた。
「そんな、謝らなくていいの。私のせいでしょ?」
そう言いながら手を振ると、お姉ちゃんはいつものように微笑みながら、突然こんなことを聞いてきた。
「ありがとうね。では、柾木ちゃん。今は好きな人いる?」
ぷっ!!
「な、なに言ってんの?!」
「あら。すごく驚いてるね。もしかしたら、図星だったかも」
「そんなのない! 私、まだ好きな人、いないから」
「おかしいな。最近よく言うんでしょ? あの子のこと」
「いや。あいつはね、違うの。ちゃんと話したこともないし。いやいや、その前にね……」
私はそう言いながら、必死で首を横に振った。
そういえば、あいつのこと、お姉ちゃんに話したことがあったんだ。
でも、違う。
あいつとはそんな関係じゃない。
って言うか、本当に何の関係もない。
ちょっと頭に来た時に、うっかりとお姉ちゃんに言っちゃっただけだ。
……お姉ちゃんは、いったい何を考えているんだろう?
あいつと私の関係、勘違いしてなかったらいいんだけど。
「あ、そろそろ時間ね」
そんなに顔を赤くしていた時に、お姉ちゃんがそう言いながら私を見た。
「え、もうそんなになったの?」
「うん。今日は早いね。ちょっと話しすぎたかしら」
「そうかもね。こんな機会、最近はあまりなかったから」
私はそう言いながら、腰を上げた。
お姉ちゃんと話すのが楽しくて、つい長くなってしまった。
お姉ちゃんが「本部」を出てから、こんな時間もあまり持てなかったんだ。
だから、今のこの瞬間が、私はとてもうれしい。
「では、いってらっしゃい」
「うん。行ってくるね。お姉ちゃん」
私はそう挨拶をしながら、いつも乗っている車に座った。
久しぶりだな。学校に行くのは。
しーちゃん。今、元気にしてるのかなー…...