「何日かぶりですね、高坂さん」
「はいはい」
美由美といっしょに出かけてから少し時間が経ったある日。私はなぜか、美智琉に呼ばれて「組織」の近くにあるカフェにやってきていた。
いったいどうやったのかはわからないが、美智琉、私の「端末」の番号を調べたらしい。
……まあ、たぶん美由美になんとか聞き出したんだろう。
私としては頭が痛いが、こうなった以上、仕方がない。
最近、あんまりお仕事がなくて本当によかった。
「それにしても意外だな。お前の方から俺を呼ぶだなんて」
「へ~そうですか?」
私が呆れたって口調で話すと、美智琉が知らんふりをした。こいつ、自分だってそう思っているくせに、なんでもないって顔をしている。
「別にあたし、高坂さんのこと嫌いじゃないですよ。あんまり顔は合わせたくないんですけど」
「それ、似たようなものだろ」
「嫌いじゃないから、似たものじゃありません」
「なんて強引な……」
気をつけよう。
こいつ、いろいろと私と似ているから、自分まで怒ってしまうと大変なことになる。
少なくとも、美智琉よりは私の方が大人なんだから。
だから、大人らしく落ちついた姿を見せないと――
「そういやお前、何か注文とか、しないのか?」
すでにカフェに居座って時間もそこそこ経っているというのに、美智琉はまったく、何か注文する素振りを見せなかった。
「別にいいですよ。お水でも」
「いや、ダメだろ」
「でも、もったいないんじゃないですか」
「あのな、ここは一応喫茶店なんだから……」
ダメだ。こいつ。
たぶん、懐事情のせいだと思うけど……元から強気なんだから、このままじゃ本当に何も注文しない。
「じゃ、今度は俺が奢ろう。なんでもいいから、気軽に注文してくれ」
「へーマジですか?」
「こう見えても社会人だからな。美智琉一人くらいなら平気だ」
「じゃ、遠慮なくタカりますよ? いちばん高くて、豪華なやつにしますからね?」
「はいはい、どうぞご自由に」
「こ、後悔しないでくださいね。お財布がカラッカラになってからじゃ、もう遅いんですよ」
美智琉の話に適当に相槌を打ちながら、私もメニューをじっと見る。ここにはあまり来る機会がなかったけど、メニューはなかなかいい感じだ。
「さあ、こっちはもう決めた。そっちはどうだ?」
「あたしもばっちり決めました。じゃ、いっしょに言ってみましょう」
やっぱり、ここは一つ――
『ジャンボパフェ!!』
「……えっ?」
「あ?」
まったく意図してなかったのに、美智琉と私の声が見事にハモる。
私たちはお互い、目を丸くしてから何も話せなかった。
「あ、あ、あたしはわざとじゃないですからね!」
「こっちもだ!」
とはいえ、すでに口に出した言葉を飲み込むことはできない。
ここまで来たらなんか悔しいし、結局、私は頭が痛くなってくるのを感じながらジャンボパフェを二つ注文した。
「……」
「……」
しばらくしてから、私たちは運ばれてきたジャンボパフェを口にしていた。
もちろん、誰も声一つ出さない。さっきのことが照れくさいのもあるけど、そんなことをする時間すら惜しいからだ。
目の前に、おいしいパフェがある。
こんな時に他のことを気にするだなんて、無駄に決まってるわけだ。
「う、美味いですね。ここのパフェ」
「そうだな。こっちも初めて口にしたが、そこそこ甘さがいい具合だな」
「……なんか、通みたいな言い方ですね」
「こっちもそこそこ甘い物を口にしてたから、ちょっとこだわりがあるだけだ」
でも、ちょっとびっくりした。
仕事場から近い方なのに、ここにはあんまり来た覚えがないんだけど、ここって、予想外にデザートが美味しい。
いつか、またここに来てケーキでも注文してみようかな。
――まさかこんなところに穴場があったとは。
ちょっと悔しいけど、今までずっとここに気づけなかった。
「それに、めっちゃ堂々としてるし」
「何がだ」
「今、甘い物、すごく堂々に口にしてますから。高坂さん」
「なんだ、不満か?」
そう言ってから、私はまたスプーンを手にする。あまりパフェを口にしている時に、邪魔されたくはなかった。
「不満じゃないですけど……ちょっとびっくりしました」
「そうか」
「こういうのを、その、昔の言葉でギャップ萌えって言うんですかね」
「知らん」
なぜだろう。少し悔しくなってしまった。
やはり、そろそろこっちからも反撃しておきたい。
「お前も、なんでもいいって言ったのに、意外とパフェに落ちついたな」
「じゃ、ジャンボですから」
そう言ってから、美智琉はぷいっと視線を逸らす。やはり、自分でも照れくさかったようだ。
そもそも、当たり前ではあるけど、ここにはジャンボパフェより高い食べ物、いくらでもあるから。
「だってここまで大きいんですよ? これ以上、何が豪華だと言うんですか?」
「こういうカフェ、あまり来たことないのか」
「まあ、そうですね。飲み物とかも変に高いですし、はっきり言って怖いです。これくらいの贅沢がちょうど落ちつく感じ」
その話を聞いて、私は美由美のことを思い出した。
たぶん、美智琉がそうなら、きっと美由美だってそうなんだろう。
「だ、だからこれくらいで十分ですよ。決して遠慮してるわけじゃないんですからね」
「そうか。それはどうもありがたいな」
「心が籠もってないですよ、そのセリフ!」
とはいえ、よく考えてみるとずいぶん意外だ。
まさか、美智琉といっしょに馴染みのないところでパフェを口にするとは。
ある意味、秀樹と恋人同士になったことよりすごい出来事かもしれない。
「甘い物、好きか?」
「甘い物が嫌いな女の子って、そこそこレアだと思いますけど」
「……つまり、好きってことだな?」
「に、二度言わせないでくださいっ!」
そう言いながら、美智琉は頭をブンブンと振ってみせる。
それがどこかかわいくて、私は自分の感情が顔に出ないよう、なんとか頑張るしかなかった。
いつか、お菓子でも持ってきてこようかな。
きっと、美智琉はものすごく悔しい顔をしてくれるんだろう。
「そ、それはともかく!」
このままじゃ押されてしまうとでも思ったのか、美智琉は急に声を高めた。
「今日高坂さんを呼んだ理由はですね。あたしがどうしても話しておきたいことがあったからです」
「まあ、そうだろう」
それはすでにわかっていた。
そもそも、私のことをあんまりよく思ってないらしい美智琉が、無理してこっちを呼び出した理由なんて、それくらいしか思いつかない。
……まあ、たぶんこっちとしてはかなり頭が痛い用件だと思うけど。
「なんか、こういうの口にすると、他人に家庭事情をぺらぺら喋ってる気がして好きじゃないですけど」
そう言い出してから、しばらく間をおいて、美智琉は話を続けた。
「実は、高坂さんと姉さんがうちに来てた日に、朝まで父がいたんですよ」
「……は?」
いきなりすぎる話に、私は言葉を失う。
そういや、美由美の父って、あんまり家に戻らず、外で酒を飲んでばかりって聞いた覚えがあった。
……ついでに、家に戻るといつも子供たちに暴言ばかり吐いているってことも。
「つまり、外でフラフラしていた父が、やっと家に帰ってきたってことか?」
「そう。あの時、姉さんには話さなかったんですけどね」
でも、その気持ちはよくわかる。
どこの誰かも知らないやつの前で、そんなこと、話せるわけがない。
「あいつ、いつも酔ってきたらうるさくて……高坂さんじゃなくても、姉さんにこんなこと喋ったら苦しむから、あんまり言いたくなかったのでした」
「そうか」
「姉さん、変に自分のこと追い込もうとするから、こっちから見ても痛々しいし」
そんなことを話している美智琉の顔は、気持ちのせいか、ちょっと寂しく見える。
やはり、いつもトゲトゲしいことばかり口にしてても、姉である美由美のこと、大切にしてるんだろうな。
自分にも姉がいるから、その気持ちはよく伝わってくる。
……不器用なことまで自分に似ているのは、いったいなんでだろう。
「今の話、美由美にはちゃんと伝えたか」
「まあ、あの時には高坂さんがいたからそうなっただけですからね。姉さんがあそこに戻ってから、きちんと伝えましたよ」
ここで、美智琉は軽くため息をつく。
美由美って、それを聞いてどんな気持ちになったんだろう。それを聞くと、どうしてもそれを考え込んでしまう。
「複雑な顔ですね、高坂さん」
気がつくと、美智琉が目の前でこっちをじっと覗き込んでいた。
「その気持ちはあたしにもよくわかりますよ。うちの姉さん。ちょっと頼りないんですよね」
「いや、そんな理由だけじゃなくて」
一人で納得している美智琉に、私はツッコミを入れる。
たしかに美由美って、危ないっていうか、守ってあげたいとも思うけど、たぶん、もっと近くなりたい理由はそれだけじゃない。
「でも、高坂さん」
なぜだろう。
美智琉の瞳が、とても真剣に見えた。
「うちの姉さんが、これから控えめじゃなくなって、自分のことを出すことになっても、今までのように好きになってくれます?」
チクリ、と。
心に何か、鋭いものが突き刺さった気がした。
「今の姉さんって、妹であるあたしから見るとつまんない。自分のこともまったく前に出さないし、いつも譲ってばかりだし」
「そうか」
「実は、うちの姉さん、元からああいう性格なんじゃないんです。まあ、あたしよりはお淑やかだと思いますけど、人並みに自分勝手だし、好奇心もマシマシ」
それは、以前、美由美といっしょにテニスをやった時、だいたい察していた。
今までの美由美の性格は、きっと「本当」の美由美の一部でしかないんだろう。
「でも、もし姉さんが、以前より素直に『自分』のことを出せるようになったら」
美智琉らしくない、だいぶ落ちついた口調。
それは、今から話すことが自分の本心であることをよく示していた。
「嫌いになったり、面倒だと思ったり、しないんですか?」
「そんなわけないだろ」
「そりゃ口だけなら誰でもそう言えます。でも」
いつもの美智琉らしくない、鋭い眼差し。
「本当にそうなったら、今話したように行動できるって、胸を張って言えますか?」
きっと、美智琉は姉である美由美のことが大好きなんだろう。
自分のことじゃないのに、ここまで真剣に話すくらいだから。
「今、高坂さんは姉さんのこと、大切にしてくれてますけど。もし姉さんが『変わって』しまっても、『自分を出す』ことになっても、その気持ちに変わりはないのか」
だからかな、今の美智琉は妙に大人びて見える。
「あたしは、どうもそれが心配であるだけです」
きっと、これを口にすると、美智琉は怒るんだろうけど。
この子は、ただ自分勝手で、わがままな女の子だけじゃない。
「俺は」
しばらくしてから、私は口を開いた。
「美由美について、今までほぼ何も知らなかったが、これからはもっと、近くなりたいと思ってる」
自分の心を誰かに打ち明けるのは、難しい。
その心が自分でも説明しづらい時は尚更だ。
「以前、出かけた時に気づいた。未だに自分が見てきた美由美は、あくまでその一部に過ぎないってことを。たしか、美智琉が言ってる通り、自分が考えてなかったところも、これからはたくさん見えてくるんだろう」
「……」
「だが、それでいい。俺は美由美が、ノビノビしてくれたらいい、と思ってるから」
「へえ、そうですか」
美智琉は妙な顔をしている。ここからはその表情の理由がよくわからないが、きっと自分なりに、何か考えていたはずだ。
「たしかにそれは悪くない考えですね。あたしもそう思います。でも」
「心配なのか」
「姉さんの素顔が見たい、って高坂さんの気持ちはわかりますが、人間、いざそれを見られると考えが変わったりしますからね」
「……」
「今の姉さん、あんまり自分のことを出さないから、面白みがない……と思えるかもしれないですけど、逆に言うと、本当の姿を見て嫌われることもない、ってことですもんね。下手すると、こんな素顔なんか知らない方がよかった、になるかもしれないですし」
美智琉の話は、鋭い。
これは決して、私と美由美が近づくのが嫌だから口任せで出てきた話じゃないと、私は思った。
「悪い意味じゃないですよ。ただし、姉さんの妹としては、ちょっと勝手に許せないだけです」
美智琉は、いい妹だな。やっぱり美由美のこと、いつも気遣っている。
美由美の前では素っ気ないくせに、私が相手になると、ここまで厳しくなるんだ。
私にもお姉ちゃんがいるから、美智琉の気持ちが真剣だというのはよく伝わってきた。
まあ、私と性格が似ているから、素直な態度はこれからも期待できないんだろうけど。
「まあ、別に高坂さんのこと、信じてないとか、そういうんじゃないですよ」
自分でも言い過ぎたとでも思ったんだろうか、美智琉が急にフォローを入れた。
「以前、姉さんと出かけたんですよね。もう知ってるとは思うんですが」
「お前がそれに気づいたことに、か」
私の話に、美智琉は静かに頷く。そういや、あの時にも美智琉って、お出かけのこと、そこまで反対しなかったな。
「姉さん、あの日の夜はすごく調子が良さそうでした。久しぶりに羽を伸ばした感じっていうか、なんというか」
「それは、よかったな」
「あたし、その意味では高坂さんのこと、信じてるんですよ」
こっちから視線を逸し、美智琉はそんなことを口にする。
……照れてるな、こりゃ。
もちろん、私は絶対に、そういう指摘はしない。こっちだって照れくさいから。
「あたしとしては、ちょ、ちょっと気に食わないんですけど。そこについては本当にありがたいって思ってます」
「そうか」
「も、もちろん、あなたなんかを認めることは絶対にないんですけどね」
たぶん、美智琉は「あなたのこと、疑ってばかりじゃない」ということが伝えたかったと思う。
私が、美由美にとって頼りになっている人だから。
美智琉って、確かにワガママっていうか、強気なところはあるんだけど。
……自分よりも、他人のことを気遣える、やさしいところだってちゃんとあるんだ。
でも、だからこそ、私は美由美に仕返しをしてやりたくなる。
このまま、自分だけやられて終わりだなんて、ちょっと、かなり悔しい。
「ところで、こっちも一つ、質問していいか」
「な、なんです?」
実は、以前からずっと気になっていた。
今日、こうやって美智琉から呼ばれて、ようやく質問する気になった。
「お前、あまり俺のこと好きじゃないらしいが、こうやって呼び出してまで話してきた理由はなんだ?」
「えっ?」
ここに来て、美智琉の顔が赤くなる。
……自分の見間違いかもしれないけど、なんとなくそんな気がした。
「い、言ったんじゃないですか。あなたのこと、嫌いとか、そういうわけじゃないって」
「でも、気に入らないとも言ったんだろ」
「あ、あんたみたいな人と姉さんがいい雰囲気になると、姉さんが可哀想なんだから。せめて、こうやってあたしからフォローは入れておこうかと」
いや、美智琉って。
私の「元の姿」を知ってたら、どういうふうに出たんだろ?
「だから、俺にはその、やましい感情なんか、これっぽっちもないって」
「そんなこと、男の人に聞かれて信じるバカがどこにいますか」
「いや、俺にはその、付き合ってる人、いるから」
「ふーんだ。いかなる状況にも対応するのが人間っていうものです」
「どういう意味だ」
本当に、美智琉は素直じゃないなぁ。
でも、それを口にすることはできない。
「ま、け、結論はですね」
ここで、美智琉はムリヤリに話を締めようとする。
その様子から見ると、やっぱり照れているようだった。
「う、うちの姉さんに気軽に近づかないでください! ってことです」
「それは美由美が決めるものだろ」
「ししし、知りません! あたしだって、姉さんの妹なんですから!」
「はいはい。そうですか」
「ぐぬぬ~……」
相変わらず、あまり可愛げのない女の子だ。
……いや、それはこっちだってきっと同じなんだけど。
っていうか、さっきには感謝を伝えてたはずなのに、今度は近づくなって、こっちにどうしろっていうんだ。
話、チグハグすぎ。
まあ、それが美智琉なりの不器用な優しさ……だとは思うが。
「あ、あたし、選択肢間違えたのかな……」
「だから、なんの選択肢だ」
そうツッコミを入れる私だけど、今のこの瞬間が、決して嫌いにはなれない。
なぜだろう。どこか、美智琉ともっと近くなったような気がした。
いや、ものすごく敵意を出していたはずなのに。
なんでそんなふうに思ってしまったんだろう……。