47.予感

「えっ、また手作りごはん?!」
 私が昨日のことを話すと、秀樹は目を丸くしていた。どうやら、雫がここまで早く再び差し入れをしてくるとは思わなかったらしい。それも以前のような、しっかりした作りのお弁当を。
「そうそう、わたしは行動する女なのだから」
「で、でも……」
 どうやら、今の秀樹ってかなりショックを受けているみたい。まあ、雫は思いついたら即行動な子だし、その行動力に驚かれるのも無理はないけど。
 ちなみに、今は珍しく、私と雫、そして秀樹が同じところ、つまり私の執務室に集まっていた。まあ、単に私と雫がいっしょにいた時、いきなり秀樹がやってきたからこうなっただけだけど。
「ほらほら、すごいでしょ? わたしはずっと昔から、こうして柾木に差し入れしてるんだから。橘さんが軽く追い越せないくらいなが~くね」
「む~~」
「それにね、わたしと柾木は、もう何年も裸のお付き合いをしてきたんだよ? いつも柾木、わたしにメロメロなんだから。だよね、柾木?」
「あ、ああ、そ、それはそう、だとは思うが……」
 どうしよう、うまく誤魔化せない。
 自分でも思い当たるところが多すぎて、否定が難しいっていうか、なんていうか……。
 秀樹の方も、雫には軽々しく勝てないと思ったからか、「う~~」と悔しそうにはするものの、なんとも言い返せずにいた。
「え、えっと、お、俺も負けちゃいられないし、そ、その~~」
「……あ?」
 そうして、ずいぶん焦っているような様子であたふたしていた秀樹は、やっと何か決めたような顔で、こっちを向く。
「ま、柾木。俺、もししばらく姿が見えなかったら、自分の手作り料理の味見のせいで死にかけてると思っておいて?」
「なんでそこまで負ける気満々なんだ」
 まだ肝心の弁当も作ってないというのに、秀樹はずいぶん後ろ向きな態度だった。
 えっと、これ、放っておいていいのかな。
 なぜか私は、秀樹のことが心配で心配でたまらなくなってしまう。

「うう、綾観さん、そこまでご機嫌じゃなくてもいいんだろうに」
「……まあ、雫も自分が秀樹に勝ったと思ってるだろうな」
 雫がスキップしながら事務室を出ていくと、秀樹はがっくりしつつため息をつく。最近の雫、秀樹のことでかなり不安だったわけだから、そういう些細なことが余計に嬉しかったのだろう。
 その代わりに、今は秀樹がものすごく落ち込んでいるわけだが。
「むぅ、俺も姉貴に料理の一つでも教えてもらったらよかったー」
「別にその、料理ってそこまで難しくはない。秀樹ならできるはずだが」
「でもな、姉貴とか、柾木とか作った料理を食べてると、どうも自信がな~……」
 だめだ。このままじゃ、せっかく秀樹もやってきたというのに、空気がどんよりしてしまう。
「と、ところで、久しぶりにここにやってきたわけだから、何か聞きたいことはないか?」
「……聞きたいこと?」
 それを聞くと、秀樹は「うーん」と考え込むような顔をする。それがなんだか面白くて、私は思わずその表情をじっと見てしまった。
「あ、そういや、こういうのはあまり聞かない方がいいかも、と思ってたけどな」
「なんだ?」
「答えてくれるの?」
「し、質問によるが」
 私が視線を逸らすと、秀樹はまた「うーん」という顔になる。そして、覚悟を決めたような顔で、私にこんなことを聞いてきた。
「じゃ、答えたくなかったら別にいいけど、柾木って、初めて綾観さんとああいうのしたとき、どんな気持ちだったの?」
「そ、そういう質問か……」
 ああ、だから秀樹はそこまで躊躇していたんだ。
 とはいえ、そういうのを気にしてしまうのはよくわかる。だって、あの頃の私は、本当に男のことが嫌いだったんだから。
「あ、やっぱりこういう質問はダメだよね? でも、ずっと気になってて……」
「別に、秀樹はそういうのを気にするのも当たり前だと思うが」
 そう、それは別に、おかしい疑問ではない。
 秀樹のことだから、私のことが心配になって、ついそういうことを聞いてみたくなったんだろう。

「たしかに、まったく困らなかったと言ったら嘘になるな」
 私は静かに、そう頷いた。
「そうだよね。あの時の柾木、男のこと、あまり好きじゃないって聞いたからな」
「ああ、だから雫と初めて出会ったときにも、かなり複雑な気持ちだった」
 そう、あの時の私は、「大嫌いな存在」であった男になっているだけでも精一杯だった。だから、雫の話をお父さんから聞かれたときには、正直、かなり困っていたことを覚えている。
 だって、私があの子にどれだけ力になれるのか、まったく読めなかったんだから。
 たしか、あの時の私は、「自分は男のことが嫌いなんだけど、雫まで嫌いになることはない」と思っていたが、いざ、自分がその「男に慣れさせるための役割」になるんだって思ったら、やっぱりどうしても戸惑いがあった。
 私は、あの子に何ができるんだろう。
 自分が力になれるんだったら嬉しくは思うけれど、だから、自分が「どうやって」力になれるかが、あの頃にはまったく見えなかった。
 男が大嫌いな私が、あの子の前では「男に慣れさせる」だなんて。
 だが、やはりあの子、雫には笑顔になってほしかったから、戸惑う時もあったけれど、なんとか頑張ってできる限りを尽くした覚えがある。
 ……もっとも、いちばん大きな問題は後にやってきたわけだが。
 その頃には、すでに私の男嫌いもだいぶ柔らかくなって、そういう悩みはせずに済んだ、というのがせめての救いかな。
「すごいよ、柾木は。俺だったら、きっとめっちゃ戸惑ってばかりで、どうしようもなかったはずだし」
「いや、あの時、俺の方も大変だったんだから」
 そう、最初のように激しく悩まなかっただけで、どうしたらいいのかわからなくなったことは以前と同じだった。いや、あの時の方がもっと強かったのかもしれない。
 何せ、ようやく男のことが嫌いじゃなくなったけれど、心の整理はまだできてなかった女の子が。
 大好きではあるものの、「ああいう目」では見られない女の子と、「別の姿」で、「男」の姿のままで、体を重ねなくてはならなかったわけだから。

 未だに、覚えている。
 雫をベッドで押し倒した時、ふと鼻をかすった、そのくすぐったい香りを。
 直接触った肌の柔らかさや、その滑らかさ、暖かさのことを。
 これを「女の子同士」と言ってもいいのかどうなのかはわからないが、初めて口づけをした時の、なんとも言えない背徳感を。
 雫の体を、自分の思いのままにしたいという、圧倒的な支配欲を。それが叶った時の、圧倒的な満足感を。
 自分が思っていたよりも、ずっと「男」に向いていた、という苦しい実感を。

 そして、自分がこういう形でしか雫と触れ合いという、どうしようもない悔しさを。

 雫は、私の「元の姿」のことを知らない。だから、私はこの「別の姿」でしか、雫と触れ合えない。
 ただいっしょにいられるなら、私はそれでよかった。別に、こういう「男女」の仲じゃなかったとしても、体を重ねなかったとしても、私は満足できた。普通より少しだけ特別な友だちだったとしても、雫との絆さえあれば、私はまったく構わなかった。
 でも、雫が私に求めるのは、「男」の役割である。あの時のように、体を重ねることである。
 雫にとって、別に私が本当の男なのかどうなのかは重要じゃない、と思うけれど、やっぱり、今の雫が私に求めているのは「男」だ。
 だから、私はどうあがいても、こんな形でしか雫を満足させられない。

 なのに、雫の体はあの頃にも、その以後にも、そして今になってもとても心地よくて。
 気持ちよくて、興奮できて、欲望をぶつけたくなって――
 私は昨日も、その以前も、そして「初めての時」も、どうしようもない気持ちで雫の体を味わった。
 こんな形でしかいっしょにいられないとしても。
 雫と私の「好き」が、お互いに違う形だとしても。
 私は、雫といっしょにいたかったのだから。
 雫が求める、「都合のいい彼氏」という存在になりたい、と願ったから。

「……柾木?」
 でも、今の私には、目の前の秀樹がいる。
 私にとって、雫は誰よりも大切な存在だ。だが、私と雫の「好き」は、やっぱり違うって、よくわかっている。
 たぶん、私にとって雫の「好き」に当てはまるのは、きっと秀樹の方。雫が私に対して抱いている感情は、きっと、私が秀樹に対して抱いている「ソレ」と同じはずだから。
 いっしょにいたいのに、誰よりも近くにいたいのに、「好き」が違うだけで、ここまで辛い気持ちになれるとは思わなかった。

 ……雫、私。
 いったい、どうしたらいいんだろう?