「どこ行ったんだ、まったく……」
秀樹の家を訪れて二日くらい経った、ある日の夕暮れ。
私は珍しく外を走り回りながら、秀樹の姿を探していた。さっき、「組織」の建物の中で、秀樹の姿が見つからないことに気づいたからだ。
どこに行ったんだろう。もう外に出入りしてもいいって許可は取れたものの、やっぱり、あまり遠くまで秀樹一人で行くのは危険だ。秀樹もそれは知っていると思うけど、今はなかなか連絡がつかない。
これって、ひょっとしたら今朝のことと繋がっているのかな。
街のあっちこっちを駆け回りながら、私はそんなことを思っていた。
それは今朝のこと。
「どうした、あまり元気がないようだが」
私は廊下で出くわした秀樹に、そう話しかけた。なんでだろう。今日の秀樹は、どこか寂しそうだ。
「……別に」
「別も何もないだろう。昨日からずっと一人でいたがってるし」
「そんな時もあるよ。気にしなくていいから」
「そうなのか」
それっきり、話は途切れる。いつもの秀樹とはあまりにもかけ離れた態度で、私は少し動揺していた。もちろん、自分だって何でもないフリはしたものの、今日一日は、それが気になって仕方なかった。
最近、どうしたんだろう、秀樹って。以前、私が秀樹の家に行ってから、ずっとこんな感じだ。
何か、私には言えない事情とか、あるのかな……。
もう時間もだいぶ遅くなったからか、空はあっという間に暗くなっていた。
そういや、秀樹って晩ごはんも食べてないと思うんだけど。いちおう、その時に備えて、近くのコンビニでパンも買ってきた。秀樹の口にあうのかはわからないが。
そういや、今日の夜、雨が降るって言ってた気がする。
……やっぱり、傘もいっしょに持っていった方が良いかな。
そんなことを思いながら、私は暗くなった街を彷徨っていた。
結局、私が傘とパンを両手にして、「組織」の建物の近くにある公園に入ってきた時だった。
「……いた」
その公園の、入り口の奥にあるベンチに、秀樹はちょこんと座っていた。
もう暗いから、微かな光に頼るしかないんだけど……遠くに見えるその姿は、どこか寂しそうっていうか、朝より元気がないように思えた。
ともかく、急がないと。
私はそのまま、秀樹に向かって早足で歩いてゆく。
近づいてみたら、やっぱり秀樹は俯いたまま、ベンチにじっと座っていた。ひょっとしたら、今、私がここにいることすら気づいていないのかもしれない。
「どうしたんだ」
それに、こうやって話しかけてみても、秀樹からは返事がなかった。
本当にどうしたんだろう。やっぱり何か、悩みとかあるのかな?
「柾木とは関係ないもん」
「……どういう口調だ」
とはいえ、秀樹は少し間を置いてから、そう答えてくれた。よかった。まだ私と話すつもりではあるらしい。
「俺がどこにいたって、柾木にはどうでもいいじゃん」
「なんでだ」
「でも、俺なんか、どうせ目障りとか、そんなふうに思ってるんだろ」
「それはまた、どうしてだ」
秀樹は、まるで以前、ゆかりさんといた時のように拗ねていた。でも、今はただひねくれているだけで、こっちが嫌いになったとか、そういう感じではない。子供っぽい拗ね方というか、なんていうか。
今はそんなふうに、いじけていたい気分なのかな。
それならば、こっちもそれに合わせてあげた方がいいだろう。今の秀樹は、だいぶ落ち込んでいるようだったから。
そんなことを思いながら、私は、秀樹のとなりに腰を下ろした。
「そもそも、こっちは別にそう思っていない」
「嘘つき。いつも俺にはトゲトゲしかったくせに」
今日の秀樹は、いつもと違ってつんつんしている。今まで秀樹が、私にこんな態度を見せたことはあったのだろうか。
ひょっとしたら、秀樹はずっと、それが気になっていたのかもしれない。
以前の私が、秀樹には冷たかったことを。
もちろん、私は秀樹ではないのだから、実際にどう思っているのか、なんでいじけているのかはわからない。
でも、今までの秀樹の様子と、今日のこのいじけ方から考えてみると、少しだけ、その気持ちがわかるような気がする。
秀樹の言っているとおり、以前、ここで「別の姿」で出会うまでの私は冷たかった。私は学園に行くたびに、ずっと秀樹につんけんとした態度を取ってきた。
だが、ここで出会ってからの私は、以前に比べると遥かにやさしい。
秀樹のことだから、それをすんなりと受け入れたものの、この私の急に変わった態度が、ただの「お仕事」ではないだろうか、と疑っているのだ。
今の秀樹は、ただでさえ「別の姿」になってしまったせいで不安定なのだから、そういうことを思い始めると、だんだん辛くなってきたのだろう。今まで秀樹は、ずっとその感情を我慢してきたはずだ。
「……あの時のことが、まだ気になっていたのか」
「……」
「ごめん、それは俺の責任だと思う。あの頃は、あまり秀樹のこと、知らなかったから」
そんなことを言ったものの、秀樹は相変わらずじっとしている。今回はどうも、容易くは行かなさそうだ。
でも、私はこのようにいじけている秀樹に付き合ってやろうと思う。今のようにひねくれている秀樹には、それがいちばんいい。
……なんだか、いつもと関係が逆になったような気がする。
「でも、今までの柾木は、こうなった俺が可哀想なんだから、仕方なく付き合ってくれてるんじゃないの?」
「違う」
「以前にはそこまで嫌だったのに?」
今日の秀樹は、手強い。
それを聞いた私は、心に何かがグサッと刺さったような気持ちになった。最近、それは自分の間違いって、ようやく気づいたばかりなのに。
「……それは、俺が素直じゃないから」
だから、私は辛くなる気持ちを抑えて、こう答えた。
変だな。「自分は素直じゃない」って。たしかにそうなんだけど、それじゃ、こんなことを口にしている自分は、いったいなんだろう。滑稽だ。
「でも、今は違う。別にそうしたいわけじゃない」
「……」
「自分って、そういうの自然にできないから、そうなってただけだ」
これも本当のことだった。私は子供の頃から、誰かに素直に気持ちを伝えるのが下手だった。たぶん、これはお父さんからの譲りだと思う。
ぐぅぅー
その時、秀樹のお腹が大きく鳴った。
やっぱり、晩ごはん、食べてなかったんだ。周りから聞いた話で、どうやら夕暮れ前からいなくなったようだったから、想定はしていたけれど……。
「パン、食うか?」
私が持ってきたアンパンを差し出すと、秀樹は少し迷ってから、それを手にした。まるでリスでもあるように、それをもぐもぐと口にする。
こんな秀樹は、やっぱり初めてだった。
それくらい、私に嫌われてるかもしれないってことが、怖かったのだろうか。
「怖かったんだろうな」
秀樹がパンを食べ終わる頃、私はそんなことを口にした。そろそろまた話してもいいかな、と思ったからだ。
「その、俺の態度が急に変わったから、どっちなのかわからなくて。さっきも言ったけど、それは全部、自分の責任だと思う。悪かった」
しばらく、沈黙が流れる。
私たちは、何もしゃべらないまま、ずっとそうして黙っていた。
自分の心は、ちゃんと秀樹に伝わったのだろうか。あまりこういうのが得意じゃないし、今は「別の姿」だから、余計に心配してしまう。
「それで、ずっと不安にさせていたなら、ごめん」
「……」
秀樹は、答えない。
でも、きっと、私の話をちゃんと聞いているはずだ。
「だから、もう帰ろう。周りも暗いだろ?」
私がそう話しかけたら、秀樹は急に、こんなことを言ってきた。
「おんぶして」
「あ?」
「おんぶ。俺はおんぶされたいの」
……なんだろ。今日の秀樹、すごく子供っぽい。
やっぱり、今までいろいろなこと、我慢してたんだ。
「もうすぐ、雨が降るかもしれないのに?」
「んじゃ、傘は俺が持つ。おんぶして」
今日の秀樹は、これっぽっちも譲る気がなさそうだ。こうなったら仕方ない。今の私なら、できないわけでもないし。
「仕方ないな」
それに、これくらいで秀樹の気持ちが晴れるなら、それでよかった。
やっぱり今日の出来事は、私が秀樹のことを、理不尽に扱っていたせいだから。
私が秀樹をおんぶして帰る時、空からは雨が降りはじめていた。
当たり前だけど、「別の姿」でも秀樹は重かったし、こんな雨の中、誰かを背に乗せてから帰るのはちょっと大変だった。
でも、まあ、できないわけではない。どうにかできるように、私は体から、力を絞り出す。
秀樹は傘をさしたまま、私の背に顔を埋めていた。どうやら、その姿勢が心地よいらしい。
……なぜか、ちょっとくすぐったい気持ちになった。
今の私たちって、いったいなんだろう。
心が、すごくドキドキする。
今は自分の後ろにいる秀樹に、心を奪われてしまったようだ。
バレてないよね、これ。
こんなの、バレちゃったら、ものすごく恥ずかしい。
今日のことで、わかったことがある。
以前にも思ってたけど、やっぱり秀樹って、普通の男の子だ。
大人しかったり、そういうところはちゃんとあるんだけど、年相応というか、自分のように、弱いところとか、もろいところもちゃんとある、そんな男の子なんだ。
でも、それを明かすことは辛いから、わざと何でもないフリをしているだけ。
そこは、とても、自分自身とよく似ている。
「気持ちいいのか?」
そんなことを思いながら、私は秀樹にそう聞く。できる限り、優しい声を意識したけど、どうだったのかな。
「……うん」
ちょっと間を置いてから、秀樹はそう答えてくれた。自分がそれに安心していると、ふと、後ろからこんな声が聞こえてくる。
「今日は、ごめんね。俺がわがままで」
やっぱり、秀樹は秀樹だ。
思わず苦笑いをこぼしながら、私はそんなことを思った。