それは、お姉ちゃんが「別の姿」になってから何年か後。
学園が終わって、いつものようにウキウキしながら家に帰ると、この時間には珍しく、お父さんが私のことを待っていた。
あれ、お父さん、どうしたんだろう。
私が変だなという顔をしていると、お父さんは、急にこんな事を言った。
「柾木。お前に頼みたいことがある」
「はい。なんでしょう」
「お前には、これからある機器によって『男』になって、美咲と共に『反軍』との戦いに参加してほしい」
……え?
最初、お父さんの言っている意味がまったくわからなかった。
だって、突飛すぎる。突飛ところか、言葉通りぶっ飛んでいる。
私が聞き間違えたわけではないだろうか? お父さんの話には、びっくりするほど現実味がなかった。
お父さんの話は、こうだった。
今、この世の中では、世界をこのまま維持しようとする「組織」と、世界を大きく変えようとする「集団」――通称”反軍“が張り合っている。
それは国という概念すら超えて、今、世界を支配している強力なパワーバランス。
もちろん、兆しはもっと昔からあった。だが、このようなバランスが明らかになったのは、世界の「平和」が脅かされた15年くらい前である。あらゆる不毛な争いで満ちた世の中から見ても、飛び抜けて理不尽な戦争の勃発。社会問題が引き起こした政界重鎮の暗殺。それらを見て、世界をこのままで維持したい勢力、そして世界を覆そうと思っている勢力は、自分たちの欲望をより強くし、水面下で今のような世界情勢を作り出したのだ。
別に「組織」と呼ばれているとは言え、国家と違う特別な集まりなのではない。この「組織」は、わかりやすく言うと「同じ考えを持つ」国家や有力な人々たちが集まった共同体みたいなものだ。もちろん、これは「反軍」の方も同じである。お互いに同じことをやろうと思っているからこそ力を分け合える。今までも形は違うと言え、長い歴史の中で、何度も繰り返されてきたやり方だ。
ほとんどの人には知られていないが、これは間違いなく、今、世界の現実である。様々な国や有力な団体・者だって、この「組織」、もしくは「集団」のどっちかに味方しているわけだ。だからこそ、この対立は国家を超えて、世界規模、だと言ってもいい。
私はお父さんから何度もそういう単語を聞いたことはあるが、これは普通の人には知らされていない話だ。あまりこういうのが知られると都合が良くないから、今はどっちもこの真実を隠している、とお父さんは言っていた。
もし、「組織」と「集団」の間で戦争が起こったら、きっとただでは済まない。絶対にひどいことになる。これはこの世の中で、何よりも強力な対立――「思想と思想」の戦いだからだ。
政治然り、宗教然り、人にとって、これほど「譲れない」戦いと言えるものもないだろう。これがどれだけ様々な戦争を起こしてきたのか、覚えがある人も少なくないはずだ。
その戦争を心配し、そして、「駆け引き」できる余地を残すために、「組織」と「集団」は「外」、つまり、余計な人にこの状況を知らせないようにしている。
ところで、「組織」の者は(別に「反軍」を想定したわけではないが)、世界中の技術者を集めて、いわゆるパワードスーツの一つである装置、「メカ」を作り出した。
ここで「メカ」というのは、機械的な体、つまりメカニカルバディのことである。基本的に、このメカは人間の身体的な能力を補強するため、戦争や救急用として開発されたものだ。
だが、このメカのテストが行われていた施設で、同士多発的にある「事件」が起きた。正体がわからない妙な動物――いや、「化け物」の方に若干近い生き物が、各施設に急に現れたのだ。もちろん、理由なんてわかるはずもない。関係者たちだけが知っているはずの研究施設に、いきなり不気味な生き物が姿を現したとしたら誰でも驚くのだろう。
後になって、その犯人は「反軍」であったことが明らかになった。つまり、メカのことが向こうにバレてしまったわけである。だが、重要なことはそっちじゃなかった。どうやって反軍は、「施設の中に、それも急に」あの化け物たちを登場させたのだろう。
その理由は、これまた反軍で開発された、「ある技術」であった。物資ところか、生物すらテレポートできるという想像を超えた技術。
もちろん、まだ様々な問題はあったが、これがどれくらい「組織」にとって危険な技術だったのかは説明するまでもない。
従って、あの頃から「組織」と「反軍」の中で、外には見えない「戦争」じみたことが始まった。
知らない人から見るとじゃれ合いでしかない、幼稚で粗末な「戦争ごとき」が。
それで、当たり前だが、そのやっかいな化け物が送られてくるたびに、それを片づけるのは「メカ」を装備した人間の役目になった。
その「メカ」を着用できるのは、あの頃、私が初めて「別の姿」になったばかりの時には、まだ「とりわけ若いやつ」に限られていた。
そもそも、メカというのはあの頃、開発したての装置だったし、従って、安全性を確認するためのサンプルも少なかった。
このメカは基本的に、戦争のような厳しい環境を想定して開発されたものだ。戦争用だということもあって、だいたいのメカは身体健康な男性用として開発された。少しでも対象がその「身体健康な男性」とズレてしまうと、どのような事態が起こるかまったく読めない。何せ、初期のメカは人間が着るにはかなり重たいものだった。なので、初めてからあるくらい体力がついていないと、「着る」こと自体が大変だったという事情がある。
そういう理由もあって、開発されたばかりの頃、メカを装着しても良しとされるのは「若い男性」、特に10代から20代中盤くらいの人間に限られていた。それくらいしか安全性を保証できなかったからだ。メカは体につける機械であるため、慎重に扱いたい、と偉い人たちが思っていたこともあるだろう。
もちろん、十代くらいの若い男性なら誰でもいいわけではない。心身ともに健康で、運動神経などもよく、一般人にとっては高いとされる最低限の基準を満たしていなければ、あの頃、メカを装着することはできなかった。
そういうわけで、もちろん女の子は、どれだけ若くて運動神経がいいとしても、あの頃、メカを着用することは叶わなかった。
で、あの頃にはあそこまでメカを着用できる条件が厳しかったため、動員できる人材があまりにも少なかった。しかも、これは「反軍」との戦いなので、できる限り人材集めは秘密裏で行わなければならない。この戦いがバレてしまうのは、お互いにとっても危険だった。
これを言い直すと、警察から動員したり、外から人材を迎えたりすることは難しい、ということだ。そもそも、「反軍」による「化け物」の襲撃は不規則すぎた。三日に一度という場合もあれば、一ヶ月くらい何もなかった場合もある。それに、「メカ」さえ着ていれば、化け物の息の根を止めるのはわりと簡単だ。この「仕方ない」幼稚な遊びのためだけに、優れた人材をこの「組織」の建物に腐らせるわけにはいかない。ついでに、どれだけ警察だとしても、この歪な成立過程を持つ「組織」の意見に賛成するのかどうかまでは読めなかったため、下手するとこの秘密が漏れてしまう可能性もあった。
ここまで話すと、たぶん、この状況はどこかおかしい、と思う人も出てくると思うが、それはひとまず、後に話させてほしい。
ともかく、うちの場合、当時メカの試用テストが行われていた、警察局の幹部などの親戚や息子の中、上記の条件を満たせた人物がよく選ばれた。この場合、親がこの建物で働いているため秘密保証もできるし、何より、「親だから」、その人、つまり「化け物」と戦う役目である現場担当をコントロールできる、という利点があったからだ。
とはいえ、ここまで厳しい条件を満たせる人材が、そうガバガバ出てくるわけでもない。ついでに、どれだけメカが優れているとはいえ、自分の息子などをあの機械に任せられない、と思った人も少なからずいた。
だから、その人数の調達に悩まれていた当時のお父さんは、そんなことを思ったらしい。
――ならば、運動神経などが優れている女性などを、試しに「男」としてしまえば上手くいくのでは、と。
もし、ここまでの話だったとしたら、それは突飛を超えて、理解に苦しむ考えだったのだろう。
だが、そこで出てきたのが、ちょうどその頃に開発された「ある機械」である。
それは「メカ」より先に開発された、「世界を変えるかもしれない」可能性を持つ、まだ世の中に出てない特別な機器だった。
それは決して大げさではない。何せ、その機械に秘められた技術は――
――ある人の体ごと、「姿」、つまり性別までも変化させること、だったからだ。
つまり、お姉ちゃんはこの機械の「初めて」の成功例として、「組織」の一員になったわけである。
これ以外にも事情はいろいろあったが、あの時、とりあえずお父さんに聞かれたのはここまでだった。
とはいえ、もちろん、そんなバカげた話を私が信じるわけはなかった。
「そんなわけないじゃないですか。ありえないです」
「なぜだ?」
私がそう反論すると、お父さんは厳しい口調でそう聞いてきた。
「だって、お父さんのその話は、あまりにもおかしい――」
「じゃ、美咲はなぜあんな姿になれた?」
それを聞いて、私はどう答えればいいのかわからなくなった。
あの時、お姉ちゃんは誰から見ても、「男」であった。それは私が何度も確かめたから、間違いない。
どれだけありえないと思っても、それは紛れもない現実であった。
どうしてそんな「現実」が成立できるのか、私は今までずっと、知らないふりをし続けていた。それが今になって、こんな形で返ってきただけだ。
「でも、世界がそんなことになってるなんて、バカな……」
そこまで言い出したけど、私はどうしても、話を続けることができない。
言いたいことなんて、数えきれないほどある。
仮にそれが本当だとして、なんで私じゃないとダメなんだろう。
そもそも、なぜお姉ちゃんはあそこまでならないとならなかったのか。
「組織」と「反軍」の戦いっていったいなんだ。
どうしてお父さんは、そんな機器なんかに私たち姉妹を軽く渡せるのだろうか。
その他だって、いろいろ、いろいろ……。
だけど、今言えそうなことは、一つくらいしかなかった。
他のことは後に聞いてもいいとして、これだけは、何があっても譲れない。
だって、私は本当にその頃、男のことが大嫌いだったから。
「で、でも、私はあんな姿なんてなりたくないです。男なんて低脳ですから。自分がああなると思っただけで、吐き気がするくらいなのに」
だから私は、きちんと自分の意思を伝える。やはりこれだけは、どうしても譲れなかった。
あの頃まで、私は男のことが大嫌いだった。実は、嫌いなところか、「男なんてみんな最低」とすら思っていた。
もちろん、小学校の頃、自分が強気だったためよくからかわれたことも原因の一つである。
だが、私にとっては、それより子供の頃、自分の名前をからかわれた、という経験の方が強かった。
お父さんからもらった大切な名前なのに、幼稚園の頃、あいつらはそれをからかってばかりだったからだ。
その時、自分の名前について非常につらいことがあったのもあいつら、男が嫌いになる原因のひとつになった。
そういうわけで、私、高坂柾木にとって、あの時、男なんかはお父さんと大人でもない限り、みんな大嫌いな存在であった。
なのに、お父さんはあの時、自分にその、「大嫌いな、低能な存在」になれと言った。
自分の大切な名前を、笑いものにした奴らと同じ存在になれ、と言った。
そんな理不尽なことを、あの頃の私が受け入れられるわけがない。
どれだけお父さんのことを尊敬していた私だとしても、それだけは到底、受け入れられないものだった。
「お前がこれをやらなかったら、我々は「化け物」なんかに負けてしまうかもしれない。そうなったらもう終わりだ。お前はそうなった世の中を見てみたいのか?」
だが、お父さんはそんな私の考えを受け入れてくれなかった。
こうなると、私は何も言い返せない。
お父さんの話に納得するわけではないが、今、お父さんに自分の話は届かないってはっきりとわかったからだ。
それに、あの時、私の頭に浮かんできたのはお姉ちゃんの変わり果てた姿だった。
お姉ちゃんだって、こんなことは嫌に決まっているだろうに、自分より先に「別の姿」になっている。そんなお姉ちゃんに、私はどうあしらっていたか。
――「知らない人」だなんて。お姉ちゃんはあの頃、私がさりげなく口にしたその一言に、どれほど深く傷ついたのだろう。
そんな私に、これを断る資格なんて、果たしてあるのだろうか。
「……やります」
そこまで考えると、私にはどうしても、それ以上お父さんの話を断ることができなかった。
もちろん、自分がお父さんの話を断るなんてできないとも思ったが、やはりお姉ちゃんに負い目を感じていたのが大きい。
お姉ちゃんだって、好きでそんな姿になったわけじゃない。そんなお姉ちゃんを傷つけた自分も、そのような目に遭うのは当然の話だった。
私に断る権利なんか、ない。
さっきまで考えていた理不尽なことだって、お姉ちゃんのことを思い浮かべると、どこか頭の深いところに消えてしまった。
いつの間にか、家の空いた部屋には、バカみたいに大きな謎の機械が置かれてあった。
あまりにもデカくて、わりと大きな部屋の半分も喰っているくらいである。
――そういや、お姉ちゃんも「あんな姿」になる時には、いつもは閉ざされていたある部屋に出入りしてたっけ。
その時になって、初めて私はその事実に気づく。
初めてそれを見た時、私は、なぜか最初にコンピューターと呼ばれた、大きな機械を思い浮かべた。
それもこの機械のように、無駄にデカかったからよく覚えている。古臭い外見に、そのバカみたいな大きさ。まさに「最初のコンピューター」にぴったりだった。まあ、私もそこまであちらに詳しくはないけれど……。
ともかく、私はそれが置かれてあるところにガラスの引き戸を引いて入る。
お父さんに聞いたとおりに機械を作動させてから、私はしばらく、目をつぶってじっとしていた。
すべてが終わってから、私はゆっくりと目覚めた。
「……うん?」
最初はいつものような感じだったが、すぐに私は、自分が「変わった」ことに気づいた。
何より、体の重さが違う。
今までと違って、明らかに、体全体が「重い」気がした。
それになぜか、どっしりとした感覚が体を支配していた。そんな感覚、私に似合うはずがない。
私は、本当に「アレ」に変わったのだろうか。
ゆっくりと体を起こして、外に出る。
いったん外に出てみたら、自分が「変わった」のがすぐ伝わってきた。
なにせ、今までと違って部屋の中が「小さく」感じられたからだ。
この部屋は、もっと広くて大きかったはず。
でも、今、私の目にこの部屋は、ちょっと狭く感じる。
もちろん、部屋が変わったからではない。変わったのは、私一人だけだ。
……怖い。
「美咲、お姉ちゃん」
なぜか、私はお姉ちゃんの名前をつぶやいていた。
そしたら、今まで聞いたことのない、「私」らしくない声が耳に届く。
私の声は、ここまで低いもんじゃない。
正直、これを耳にしたのはかなりの衝撃だった。
だが、問題はそこじゃない。
私は今、全力で無視している「ある」ものがあった。
できる限り、自覚したくなかったからだった。
とは言え、いつまでもそれを無視しつづけるわけにはいかない。
だから、私はすぐ近くにある、鏡の方へと近づいた。
「……ありえない」
「それ」を見てから、私は何を言えばいいのかわからなくなる。
覚悟はしていたつもりだけど、いざ見てみれば、それは私の予想を遥かに超えたものだった。
私の姿が、変わっている。
もちろん、それは知っていた。でも、知っているのと「経験」している、それを「確認」しているというのは、だいぶ違う。
今の私は、ものすごく引きずった――あまりよくない顔色をしていた。
まず、私の背はここまで高くない。元から背についてあまり不満がなかったからか、それがとても気にかかった。
それに、髪だって「男のように」だいぶ短くなっている。
自分らしいところが消えた気がして、今すぐにでも泣き出したくなるくらいだ。
体がどっしりしているのも気に入らない。私は自分の、普通の女の子よりやわらかなところが好きだった。
でもこの体は私にとって、いらないくらいに逞しい。もちろん「元の自分」に比べたらそう見えるくらいだけど、ともかく、気に食わなかった。
それに、その、胸がない。
「……」
こう見えても、胸は少しだけ出ていたはずだった。私にとってはそれで十分だったし、満足していた。
だが、今はその小さな膨らみすらない。ないどころか、胸板がある。
――泣きたい。
ここまで泣きたかったのは、昔、クラスの男たちにからかわれた以来だった。
鏡の向こうに、呆気無い自分の表情が見える。どう見ても、それは「見慣れた」自分の姿ではなかった。
辛うじて自分だというのはわかるくらいだが、それでも私は、ここまで「固い」顔ではない。
もちろん、その、男の中から見ると女顔のように見えると思うけど、私から見ると、ただの「男」だった。
私が、あんなガキ共と同じ存在になったなんて。
一番我慢できないのは、この情けない姿じゃない。今、この鏡に写ってないところだった。
私はどの意味、今まですごく頑張っていたかもしれない。「アレ」を意識しないため、私は最善を尽くしたのだ。
それはもちろん、その、し、下の方である。
私は、その、そういうのには何の興味も持っていない。
ああいう性欲とか、そういうのは男だけが持っているものだと思っていた。
今どき古い考え方だと言われるかもしれないけど、私にはまったく縁がない、そんな話だと思っていた。
でも、今のような状況なら、否定することすら無理だ。
私に、そ、その、男の、そ、その、アレ、が……。
「……っ」
はっきり言って、それはあまりにも未知なる領域だった。
ああいうの、知りたくもなかった。
私が、その、ああいうのができるだなんて、知りたくもなかったんだ。
なのに、なんで今、私はこんな状況になっているのだろう。
この「よくわからない」気分を、どう説明すればいいのだろうか。
見たくない。見るのが怖い。
でも、いつかは見るしかない。自分が「異なる存在」になってしまった、一番の証を。
――なぜ、私はこうならなければいけなかったんだろう。
私は、今、一番嫌いなものになった。
男なんて低脳だし、いつも変なことばかりやってるし、相手にする価値すらない。今までの私はそう信じて迷わなかったし、あんな奴らとは話もしたくない、とさえ思っていた。
どれだけお姉ちゃんが「あの姿」になれるとしても、それだけは譲らなかった。
でも、今の私は、そこまで嫌っていた「男」になっているんじゃないか。
どんだけ滑稽なものだろう。私は今から、自分が一番嫌いな存在になって、その嫌いな存在の群れで生きなければならない。
あそこの男たち――お姉ちゃんのように「メカ」を着て化け物と戦う人――については、まだ話すら聞いてない。だが、きっと、ひどく野蛮な奴らの集まりに違いないだろう。
それなのに、私はやらなければならない。お父さんの話には、逆らえないのだから。
それに、私には「罪」がある。
かつて、似たような道を辿ったお姉ちゃんに犯した、許されない罪が。
そうして、私が渋々と「別の姿」で部屋を出たら、お父さんはいつものような眼差しでこっちを見ていた。
自分の娘がこうなってしまったと言うのに、お父さんはなんて冷たいのだろう。
そんなことを思っていた時、お父さんはいつものような口調で、突然、さっきのようなひどいことを言ってきた。
「これから『あの姿』で喋る時には、男らしい口調を心がけろ。また、自分のことは『俺』と言え。わかったか?」
「……はい?」
その時、私は目の前が暗くなっていくような気がした。
こんな姿になっただけでも涙が出てきそうなのに、なんで、お父さんはこんなことばかり仰るのだろう。
もちろん、そんなこと、私が受け入れるわけがない。
「でも、さすがにそれは……」
「お前はそうでもしなければ、男のことが嫌いだから中途半端な振る舞いしかできないだろう。だから、事前に釘を刺しておきたいだけだ」
その話を聞いて、私は何も言い返せなかった。事実、お父さんの言うとおりだったからだ。
それに、自分から考えてみても、「この姿」でいつものような口調のままでいるのは気持ち悪い。
あの頃にはまだ「別の姿」でも声が高い方だったけれど、私はこんな姿で、いつものような口調で喋るのはものすごく恥ずかしかった。
なら、今は嫌でもお父さんの言う通りにした方がいい。
もう、私はこうなってしまったのだから。
こうして自分の意志とは関係なく、私はこの姿である時には、「男らしい」口調で喋るようになった。
とはいえ、別に自分が「男」であるのを認めたわけではない。姿はこうなっちゃったけど、私は自分が女の子だということをはっきりとわかっていた。
だから初めて、一緒に「戦闘」をすることになった男の子たちと出会った時にも、共に「組織」の施設で暮らしながら訓練などをしていったその以後にも、自分は女の子だって、めげずに言い続けた。
でも、信じてくれた人なんて誰もいなかった。
それはおかしい話じゃない。そもそも、今の私は誰からどう見ても男だ。なのに、信じてほしいって、きっとありえない話だったのだろう。
あの機械のことを知っている人なんて、「組織」の中でもほんの僅かだったし、これで信じろという方がどうにかしている。
当たり前だけど、私がそんなことを言い続けたって、ただからかわれ、バカにされるだけだった。
とはいえ、別にからかってばかりだったわけでもない。むしろみんな私と親しくしてくれて、まるで友達のように接してくれた。こっちはこれっぽっちも、そんなつもりなんてなかったというのに。
からかわれれたのも友情の証、とでも言ったらいいのだろうか。
初めては地獄のようだった「低脳」な男たちと暮らす生活にも、時間が経つにつれて、だんだん慣れていった。
そんな感じで、何年も時間が経ってから――現在。
私、高坂柾木はここ、「組織」の「作戦部長」という、あの頃には考えたこともない、若干偉い役職についている。
あの頃の理不尽やら疑問やらを、「現実」と受け入れて。
ここまでは昔のお話。
私も今は、この歪んだ状況にすっかり慣れた人間になってしまった。
「はあ……」
そんなことを思い出しながら、私は「いつものように」入っていた、機械のある部屋から出る。
ようやく作動が終わって、「別の姿」になれたからだ。
久しぶりに昔のことを思い出したせいか、思わず、横にある鏡に視線を向ける。
そこには「過去」ではなく、今、つまり、「組織」で働き慣れた自分の「別の姿」があった。
昔とは遥かに変わった、若干ゴツい印象(そこまで硬い印象じゃないけど)。
もう「元の姿」まで行かなくても、何年か前の「別の姿」と今のこの姿を比べてみたら、本当に同じ人物なのか、と驚かれるのだろう。
他でもない、私自身がそう思っているくらいだから。
「別の姿」になったばかりの頃には、まだ「元の姿」と比べてもそこそこ似たところがたくさんあったのに、今は完全に別人だ。
背は(特に、元の方が145だということを考えると)びっくりするほど伸びて170は軽く超えてるし、童顔であるはずだった何年前が考えられないレベルで顔も固くなっているし、もう私服よりスーツが似合うとしてもおかしくない姿だ。
……元の姿では童顔でこっちは若干老顔気味って、もうちょっと普通に振ってほしい。
もう、「別の姿」になると背がいきなり伸びるせいで、視線が高くなってしまうことにはなんとか慣れたが、この「印象の変わりっぷり」には、まだちょっと慣れてないのかもしれない。
ついでに、声も元より遥かに低いし。
とはいえ、まったく別の人間になったわけではない。
この機械は「その人のDNA」などを読んで、「もしこう生まれていたら」みたいな解析をするため、なんだかんだ言っても、ちゃんと自分らしさは残っている。
そのほとんどが「いきなり歳が上がったように」なってしまったからアレだが、自分特有の、「真面目」な印象はそのままだ。というか、これは周りからの話の受け売りである。
体だって、元の方より筋肉質ではあるが(実は、元の方も運動神経がいいため、それなりに筋肉がついたあるが、あまりそう見えない)、別に他人になったわけではない。
あくまで姿が少し大きく変わっただけ……だ。基本的には。
昔のように、「自分は女の子」なんてことをこんな姿で言いまくる勇気なんかは、まったく持てないんだけど。
もうこの姿にも、だいぶ慣れてしまった。
昔にはそこまで嫌がっていたのに、今は淡々とした気持ちだ。
まだ完全に吹っ切れたわけじゃないけど、昔の自分がこんな私を見たらどう思うのだろう。
「自分も、ずいぶんと変わったな」
そんなことを思いながら、ため息をつきつつ、私は自分の家を後にした。