「あっもー腹立つ!」
その日のヒマリはなぜか妙に不機嫌だった。どうやら、昨日のことをまだ根に持っているらしい。
もちろん自分が負けたのもそうだが、その日の夜、ヒマリを含めたみんなは、例のノートに自分の動きを書き込んでおいたのだ(これだって立派な記録だから、というヒマリの主張によって)。それをいつもの教室で読んでいたヒマリは、だんだん顔が暗くなったというわけである。
「あのさ、ノート読んでみたけどさ、みんな昨日はそれでよかったの?」
「何が?」
ヒマリがそう不満をこぼすと、刹那がわからないという顔でそう聞く。とは言え、刹那もヒマリの怒りにそこまで興味はなさそうだった。
「あんたは逃げようとする気満々だし、雪音と羽月のやつはあたしをおいてなんか喧嘩してたらしいし、いったいなにこれ? ごった煮にもほどがあるわ」
「あんたはいったい何を期待したわけ?」
さっきから続くヒマリの不満に刹那が呆れていると、今度は雪音が話に入ってきた。ヒマリのことを話せるというのが、どうも雪音にとってはすごく嬉しいことらしい。
「ヒマリちゃんはね、あの動画のことが本当に好きで――」
「うるさいっ」
「まあ、だいたいわかったわ。やはり大したことないわね」
「あんたは黙ってて」
刹那にそう刺々しく言い返しながらも、ヒマリは参ったというように頭を横に振った。自分が好きな動画を一生懸命真似てみたのはいいけれど、やはり限界があったな、という顔である。
「そういうの作る人って、すごいと思った」
「ヒマリちゃんの見た、あの動画のようなものね?」
「うん、やっぱりあたし、そういうのには向いてないみたい。憧れるんだけどね。本家には敵わないというか」
「でも、昨日は楽しかったわ。だよね、刹那さん?」
「……まあ、つまらなかったわけじゃないけど」
「あんたの考えてることは未だによくわかんないわ」
ちなみに、今日はみんな揃っていたけれど、以前、ヒマリたちが初めてこの教室で集まった時と、まったく同じ配置だった。別に意図したわけではないが、なぜか自然にそうなってしまったのだ。なんか問題が出るわけでもないし、今度はこれでいいのだろう。
「ま、ともかく、今日はみんなで話し合いましょう」
心の整理が終わったヒマリがそう言い出すと、みんな、「何言ってるんだ?」という顔でこっちを見る。たしかに、いきなりの話ではある。だが、この話は、これからのヒマリたちのためにもやっておいた方がいいものだった。
「だって、このままやられてばかりにはいられないんじゃない」
だから、ヒマリはそう言い放つ。今、ヒマリはいつもよりすごく真剣だった。
「こんなぶっ飛んだ出来事に巻き込まれたあたしたちにとって、今、いちばん頼れるのが何かといえば、そりゃもちろん、ずっと超現実的な状況を扱ってきたところ、つまりフィクションしかないでしょ」
「へ?」
と良平が変な声を出すが、ヒマリは気にもせず話を続ける。
「もし昔こんな出来事が起きてたとしたら、その頃はまたフィクションも足りなかった時代だったからみんな戸惑ってたと思うわ。でも、今はどんなぶっ飛んだ状況にも当てはめられる、さまざまな作品があっちこっちでわんさかと出てるわけ。もちろん、昔からの作品だって頼りになるのでしょう。その様々な作品の中、一つや二つは絶対に役立つわよ」
「は、はあ」
これまた良平。
「つまり、あたしたちも振り回されてばかりじゃいられないってこと。いろんなフィクションたちを思い出して、今のあたしたちの状況についてなんとか考えてみるのよ。オッケー?」
「すごいです、ヒマリさん!」
ヒマリはそんなことを自信満々に話す。だが、いつものようにすぐ感動する紗絵はともかくとして、他の人、特に刹那と良平は「はあ……」という顔でヒマリのことを見ていた。
「なに、なんで可哀想な子でも見るような目してんの?!」
ヒマリは思わず声を高めるが、まあ、興が乗らないのもおかしくはない。こんな状況だからだ。
「そもそも、なんでこんな冴えない男に振り回されなきゃいけないわけ? こんなフィクションじみた出来事に、冴えない男が最重要人物って酷くない?」
ヒマリは飽きもせず、そう力説する。ずいぶんそれに不満がたまっていた口調だった。だが、刹那はうんざりしたという態度でこう聞いてくる。
「それがそこまで不満?」
「当たり前でしょ? こんなうさんくさい状況の作品なんかにキーパーソンとして出てくる男はね、あるくらいイケメンに決まってるわけよ。なのに、こいつはただの冴えない男……」
ヒマリはそんなふうに、となりの健太郎を睨みながら、だらだらと不満を述べる。それをじっと聞いていた羽月は、ふとこんなことを言ってきた。
「それじゃ、もし俺の中の人になれるとしたら、君は満足できるのかい?」
それを聞いたヒマリは、急に顔が固くなった。そして、周りにも見えそうな勢いで、心の中に三点リーダをしばらく流してから、やがて視線をそっと逸らす。
「いや、とりあえず今は冴えない男で我慢しましょう。この話はここで終わりね」
「やはりヒマリちゃんはわかりやすいよね」
ヒマリが強引に話を切ると、となりの雪音がくすくすと笑った。ここまで、なんかいつものような風景である。
「まあ、あたしたちにとっていちばん都合のいいのは、これがあのお嬢さまが持つ力だけで出来上がったことだ、ということだけどね」
改めて、ヒマリは何事もなかったような態度でそう話す。いちばん力が抜ける話ではあるが、別に不可能なわけではない。そもそも、この状況はあのへんてこな力がある紗絵が家を飛び出したから作られたものだ。黒幕とかがまったくいなかったとしても、成立する根拠は十分ある。ただ、その場合、こっちがちょっと納得できないだけだった。
「とは言え、やっぱりなんか事情があるとは思うけどね」
とヒマリ。自分から言い出してなんだけど、やはりこれを考えるのは頭が痛い。
「あたしが聞いた通りなら、紗絵、あんたの力って、『まったく存在しないものは引き寄せない
「はい、そう聞いてるんです」
ヒマリの問いに、紗絵はそう答える。自分が言うのもなんだが、久々にこういう真面目な話し合いができて、ヒマリは心が満たされるようだった。
「わたしも詳しいところまではよくわかりませんが、お父さんの話によると、たとえばわたしの力で幽霊が出てきた場合、それは『どこかでそうなる可能性があった存在が幽霊になった
「どれだけあんたの力がすごいと言っても、すでにあるものしか引き寄せない。幽霊が実際に存在するのかどうなのかは謎だけど、あんたの力に引き寄せられると、『その可能性のある
「はい、そうです」
ヒマリの話に、紗絵はそう頷いた。ちょっとややこしいが、わかりやすく言うと、ここに意識を失っている男、健太郎は「今までまったくいなかったのに、紗絵によって作られた」存在ではないと言うことだ。いったいこいつが誰なのかはまだわからないが、ヒマリたちに巻き込まれたよりも前からずっと存在している。
まあ、これは体の話であって、「中の人」がどうなっていたかは謎だが。
「つまり、こいつがどんな事情を持っているのか、は相変わらず重要だということね。ぶっちゃけ、あいつのせいで全てが始まったのだから。で、その意識は未だに不明……と。まあ、はっきり言って、紗絵が初めて出会った人があたしであることも意味深っていうか、なんていうか……」
ほんと、これは挙げてみるとキリがない。謎の男、巻き込まれたヒマリたち、紗絵の持つ不思議な力。どうすれば論理的な答えが出るのだろう。ヒマリにはとうてい無理だった。
だが、この裏に誰かの意思が隠れているかもしれない、くらいなら考えられる。ほとんどのフィクションがそうであるように。
「誰かがわざとそうした、って言うのはどう?」
そう思いながら、ヒマリは周りにそう聞いてみる。つまり、いわゆる黒幕説だった。もちろん、仮にその「黒幕」がいるとして、いったいなんの理由でこんな状況を作ったのかはわからない。ついでに、証拠になりそうなものもあまりない。だが、もし誰かのせいでこんな状況になったとしたら、やはり考えておくべきだ、とヒマリは思った。
「それはありえる話っスね」
今度は良平がそう答える。やはりみんな、この状況が「作られたように」怪しいと言うのは同意するようだった。だが、問題はここからである。いったい黒幕は誰なのか?
はっきり言って、今、いちばん怪しいのは二人だった。一人はもちろん胡散臭い組織に所属する羽月、そして、もう一人は今までまったく健太郎の中の人になっていない、ヒマリの友人、雪音である。
「あっもー頭がクラクラするわ……」
そう、それがこの事態をややこしくしている原因の一つだった。そもそも、怪しい人が羽月に雪音の二人もいるため、どっちの方が黒幕なのかまったくわからないのだ。もちろん、二人ともシロの可能性もある。いろんな意味で、推測が極めて難しい事態だった。
なぜ胡散臭いのかはっきりしている、謎の組織の羽月はまあともかくとして、問題になるのは雪音の方だった。雪音は長い間ヒマリと親しくしていたため、むしろシロだと思う方が自然だ。
なのに、雪音はこいつ(健太郎)にみんなが引き込まれるようになってから時間も少々経ったのにも関わらず、いまだに唯一、こいつの中の人になったことがない。事情を知っているみんなは誰一人欠かさずこいつに入っているのに、雪音だけ、おかしいくらい不自然なのだ。
まあ、雪音自身が変な子だというのは昔から知っていたことだが、いちおう彼女は、血を売ったり時計フェチだということを除くと、普通の人間のはずだった。
「それにあんた、もうずいぶん時間も経ってるのに、いまだに健太郎の中に入ったことがないし」
「それは不思議なのよね。なぜかしら」
「何他人事のように言ってんの。ほんとに、あんたが犯人じゃない?」
とヒマリが聞く。
「あの、二人は10年近く知り合いだと聞いてますが……」
「ま、たしかにそうだけど、どれだけ長い付き合いだとしても知らないことはあるんだからね」
良平の質問にヒマリがそう答えたら、雪音は急に悲しそうな顔をした。まるでヒマリに裏切られたような、悲しげな顔だった。
だが、次に雪音はあまりにも突飛なことを口にする。
「え? わたし、ヒマリちゃんの下着の置かれている位置ならしっかり覚えてるのに」
「……いま、なんだと?」
ヒマリはありえないという口調で聞き返す。まるで待っていたように、雪音はニコリと笑って見せた。
「最近はヒマリちゃんの今日の下着の色もなぜかわかるようになったの。ほら、今日は金色――」
「あんた覗いたんでしょ!」
そこまで言った雪音は、怒ったあげく、近くの箒をブンブンと振り回すヒマリに追われることになってしまう。「それで合ってるんだ……」と良平がつぶやき、「二人とも、とても仲がいいですね!」と紗絵が感動していたが、たしかに、追っているヒマリはともかくとしても、追われている雪音はすごく楽しそうだった。
「やっぱり、雪音が怪しい」
少し長いかけっこが終わってから、ヒマリはそんなことをぶつぶつ言った。どうやら、さっきのことがかなり衝撃だったらしい。ついでに、勢いのままで振り回してしまった箒のせいで、体力がだいぶ減ってしまったのもあるのだろう。
「えっ、またわたし? わたしはただ、ヒマリちゃんのことが好きなだけなのに」
雪音がそんなことを言うが、さっきのことを未だに引き継いているからか、ヒマリはいつもに増して断固だった。
「知らない知らない! あんたラスボスね!」
「子供だー」
「こどもだー」
「あー聞こえない聞こえない。なーにも聞こえないっ」
誰にも負けないくらい友達思いのヒマリは、自分勝手にそう言い切る。あまりにも素敵な友情だった。もちろん、刹那は呆れた顔をしている。まあ、子供っぽいのは否定できなかった。
「それはそれとして、やはりクーラーの効いた教室っていうのはいいわね」
「露骨すぎませんか、それ」
もちろん、こんな時にヒマリができるのは、強引に話を別のところに飛ばすことである。良平すら呆れた顔で突っ込むが、ヒマリは見事に知らんふりをした。
「でもね、やはりクーラーはすごいと思わない? 今の外って、ちょっと出かけることすら怖くなるレベルじゃん。やはり文明の利器は素敵だと思うわ」
「あんた、ほんとうに現代の人なの? たかがクーラーでそこまで大げさになって」
「あのさ、その無知な言い方やめてくれる? あたしの頃はね、教室でクーラーをつけるのにも許可が必要だったの。どれだけ暑いと思っても、偉い人たちがオッケーしてくれないとクーラーがあっても使えなかった。そんな時代を過ごした人としては、やはりクーラーを自由に使える、この環境こそ素晴らしい、と心から言えるわけ。わかった?」
「ヒマリさんって、そこまでひどいところで通ってたんですか……」
「もういい、あんたの話を聞いているだけで頭が痛くなるわ」
「なんだと!?」
良平と刹那が同時に頭を抱えるのを見ると、ヒマリは思わず口調が荒くなってしまった。まあ、自分の中学がおかしいと言われると、その通りだ、としか答えられないんだけど。
「でも、ヒマリちゃん。クーラーを自由につけるのはいいけど、もし、ここの電気代を自分で出せなきゃって言われたらどうするの?」
「あ?」
まるでからかうように、くすくすと笑いながら雪音がそう言ってくると、ヒマリは急に頭がいたいという顔をした。
「……そういや、関係ない話ばかりしていたわね。話を戻しましょう」
「またその手ですか」
「うっせースマホぶつけるぞ」
「す、すんません」
さすがにヒマリに睨まれると命が危ないと思ったからか、良平はそれ以上何も言わなくなった。ともかく、さっきの話の続きである。
「まあ、それも問題だけど、この男のことも重要じゃない?こいつのせいで全てが始まったわけだし」
と、ヒマリは健太郎を指す。この出来事について語る時、こいつを除くことはありえなかった。この中でいちばん忘れやすいのに、いちばん重要、だというのも滑稽だとは思うが。
「そうね、それはそうだわ」
「あんたまで頷くことを見ると、やはりこいつは重要人物ね」
「今、私に喧嘩でも売ってるの?」
ヒマリの話に刹那が怒るという軽いアクシデントはあったが、こうして、この謎の男、健太郎の話が始まった。いつもは存在感がないので(そもそも中に誰もいないから出せないし)忘れがちだが、よく考えると、この状況でいちばん怪しいのは羽月でも雪音でもなく、この男、健太郎なのだ。
そもそも、仮に名を健太郎としているだけで、本名なんて誰も知らない。ふと見ただけではただの冴えない男なのに、実は正体不明だし、ものすごく怪しい人物だった。
ちなみに、羽月は組織(よく考えると、この組織なんちゃらはいったい何をするところなのかも謎だが)でこの健太郎という男を調べてみたが、わかるものは何もなかったようだ。もちろん、調査は続けるらしいが、このくらい時間をかけてもよくわからないというのは、この組織でもかなり珍しいものらしい。いや、まだ一週間も経ってない気がするんだが。
「ほんとにあんたの組織、信じてもいいの?」
「安心してほしい。うちの組織は、こういう分野ではそこそこ認められているところだ。今度のやつはまだ時間をかからせているが、いつかはきっと明かされるさ」
「あんたがいる時点で胡散臭いとしか思えないけど」
とはいえ、あっちでも未だに健太郎の正体がわかってないというのは意外だった。あそこまで怪しいところでもわからなかったら本当に架空の人物なのでは。ヒマリは今、そんなことを思ってしまう。
「この状況、こいつの本当の中の人が知ったらどう思うんでしょうね。はっきり言って、頭おかしいわ。自分の体が見ず知らずの変なやつらに勝手に乗っ取られてるし、プライバシーも何もないし。それになんだ、えっと、自分の体が変わったりするしな……」
こう改めて考えると、健太郎の中の人もずいぶん不憫だとヒマリは思う。もちろん、今はその中の人がいったいどこにいるのか、そもそも実在するのかすら謎である。だが、どうしてもヒマリは可哀想だな、と思ってしまう。
もしヒマリの体がこんな目にあっていたら、悔しくて眠ることすらできないだろう。これって、人によっては屈辱と同じだ。
「ほぼ本人と変わらないというのが痛いかもしれないな。まったく違う存在になったらここまで気恥ずかしさは感じなかったかもしれない。たとえば、アルパカとか」
「いや、だからと言ってアルパカは……」
経験者でもある羽月の突飛な話にヒマリはそう突っ込むが、それ以上に、こいつにも気恥ずかしさという言葉を使う時があったというのがよっぽど衝撃だった。
「まあ、そのくらい差がないからな。はっきり言って、胸が膨らんだことを除くといつもとあまり変わらない。つまり、おっぱいのついたイケメンじゃなくて、冴えない男…ってところか」
「何、そのパワーワード」
とは言ったが、別に羽月の話は間違っているわけでもなかった。
そんなふうに、ヒマリたちが健太郎の話に熱中していた時だった。
「あれ?」
ヒマリはまるで、自分が言葉通り空気にでもなったような気分になる。体重がなくなったように、体が軽くなってしまったのだ。この感覚には、見覚えがある。見覚えはあるんだが、今はあまり、ありがたくない感覚だった。
「ナイスタイミングー」
「ないすー」
「だからなんでこんなタイミングで……」
こうして急に健太郎の中の人になってしまった(そして、二人組のありがたくない歓迎を受けた)ヒマリは、ぶつぶつしながらも考えをまとめる。
「やっぱり不便だ。この状況……」
そういや今までは見て見ぬ振りをしていたが、この、中身が誰なのかまったくわからない男に入り込まれた自分も気持ちも妙なものだった。胡散臭いやつの中に勝手に入ってしまったせいで、キモくならないように言葉づかいにすら気を使わないといけない、こっちの身にもなってほしい。まあ、本人の方が大変かもしれないが。
「まあ、考えられるのは色々だと思うけど……ただの被害者とか、なんか事情があったとか、自分が望んでそうしたとか。これまた候補が多いな」
そんなことを言いながら、ヒマリは頭を抱える。今の状況って、その意味でもややこしい。あまりにも「なんでもあり」な状況であるため、候補を狭めることが難しいのだ。
そもそも、フィクションだって「なんでもあり」が過ぎると飽きてしまうことがある。なのに、それよりも可能性が多い現実はどう考えればいいのか、まったくわからなかった。情けない話だが。つまり、この状況は不条理すぎる。
「それはそうと、現実って不思議っスよね。ヒマリさんも吸血鬼だとか、いまだに信じられませんし」
「あ、またその話」
良平の急な話題転換に、ヒマリはそういや、という顔をする。まあ、たしかに、自分の存在も怪しくはあった。
「つまりですね、オレとしては頭がパンクしそうなんですよ。今まで普通の世界で生きてきたと思ったのに、なんか謎の男に引き込まれるわ、吸血鬼がいるらしいわ、謎の組織もあるわ、いったいどう考えればいいんでしょうね」
そう言いながら頭を抱える良平。もともとあまり難しい考えが苦手らしいので、こういう反応を見せるのも無理ではない。
いや、あたしだって頭がいたいんだけど。
良平たちくらいではないにせよ、ヒマリだって、今の状況はかなり困るものだった。自分って突飛な存在のように思えるかもしれないけど、普通の世界で普通に暮らしてきたのは同じである。
「そもそも、この男だって黒幕の一人かもしれないんだぞ? なんの関係もないふりをして、実はこいつが全ての元凶だったりして」
そんな思いはひとまず置いといて、ヒマリはそんなことを言う。それもまたおかしくはない話だった。この健太郎という男が誰なのかもわかってないわけだし、自分の体を犠牲にして、この状況を作り出したとしてもおかしくはない。もしそうなら、こいつはずいぶん好奇心で満ちたバカだということになるが。可能性なんて、いくらでもある。
「あいつ、どこかでニヤニヤしながらあたしたちを見ているのかもしれない。たとえばこの体の中とか」
そう言いながら、ヒマリは健太郎を指す。つまり、言うまでもなく、今はヒマリ自分自身だった。こいつの中にいる時にこんなのを言うのもあれだが、やはりこれは言っておきたい。たとえ、あいつが今、そんな自分を嘲笑ったとしても。
やはり、こんな男の中にいるのは嫌だ。そんなことを思いながら、ヒマリはため息をついた。
「でも、一つ気になることがあるんです」
そんな時、今までずっと話を聞いてばかりだった紗絵がそう言い出してきた。
「ん? 何?」
「えっと、もし黒幕がいて、わざとわたしたちをこんな目に会わせたとしたら、いったいその理由はなんでしょう?」
「ああ、それね」
たしか、それを気にするのは自然だ。だって、ヒマリさえそれがよくわからないからだ。こいつら、いったい何が目的なんだ? もしつまらない理由だったら、ヒマリの正義の一撃があいつらに食わされるだけである。
「何かの実験でしょうかね? 人間実験とか」
「あーそういうのあったね。閉ざされたところで暮らしながら、どれくらい自給自足できるのかを調べる……やつだっけ?」
「もしそうなら、どんだ迷惑ね」
今度はヒマリも、刹那の話に賛成だった。っていうか、自分たちは実験用の動物じゃない。いったいこれをして、何がわかるというのだろう?
「ただの変態趣味かもしれないな。俺たちを眺めていると楽しい、みたいな」
「あ……たしかに、それもありえるな」
そもそも、健太郎の件から考えてみると、こんな状況を作り出したやつはぶっ飛んだ変態である可能性も高い。それも人の体をさんざん弄っておいて、遠くからそれを眺めながらニヤニヤしているのだ。絶対に許さない。もしそうだったら、ヒマリはあいつらをぶっ飛ばす気満々だった。
それを聞いていた良平も心配になったのか、ヒマリに向かってこう聞いてくる。
「ここでまさか、宇宙人というオチはないでしょうね」
「それは無視しておこう。スケールが大きすぎるし」
「みなさんすごい! わたしには想像もつかないことを軽く思いつけて、うらやましいです」
「まあ、あんたも現代のフィクションに慣れればこうなれるよ。たぶんね」
そう言いながら、ヒマリは再び頭痛が襲ってくるのを感じた。そもそも、ふだん、「こんなこともあろうかと!」とかのためにフィクションを嗜んだわけではない。ただ楽しいから接していただけだ。こんな風にフイクションが役立つなんて、今まで考えてみたこともなかった。そもそも、ヒマリは吸血鬼だが、そういうのを扱っている作品から、何か役に立った覚えはまったくない。
なのに、いったい今はなんてこった。
「やっぱり、これは全部雪音のせいだな」
結局、ここでヒマリができることは、いつものように雪音に不満を押しつけることだった。
「またまたわたし? 羽月さんもいるというのに」
「いや、そう言われたら僕の方も困るんですが」
「あいつは変人だけど、雪音は胡散臭いじゃん」
「ヒマリちゃん、容赦ないわね」
もちろん、なんの根拠もない今、雪音や羽月を弄ってみても出てくるのは何もない。そもそも、後ろに誰かがいるって明かされたわけでもない。
やはり、あたしたちって無力かな。
なぜか、ヒマリはそれがすごくムカついた。
「まあ、あいつらの目的がただ変態じみたものならまだいい。問題はその後。もし、あたし……うちらに危険が及んだりしたら、変態で終わらないからね」
また言葉遣いを直しながら、ヒマリはそう語る。そう、ほんとの問題はここからだ。もしこの状況に目的があるとしたら、いつかは終わりがくるのだろう。その時、ヒマリたちは無事でいられるのだろうか。ここまで胡散臭い連中だったら、自分たちを脅迫したりするのもおかしくはなさそうだった。
「その時はその時だ。いざとなったら、俺らの組織が協力する」
「あのさ、あんたらがラスボスだったらどうしろと?」
「また俺は君に疑われているようだな。だが、いつかは君も俺のことを信じて――」
「じゃ、あんたらの組織のこと明かして。今すぐに」
「すまん、それだけは無理だ」
「喧嘩売ってんのかコラ」
自分が健太郎の中の人になっているのにも関わらず、羽月はいつものような態度である。こいつも両刀ではないだろうな。雪音との事件(?)以来、ヒマリはわりと疑心暗鬼になっていた。
「でも、みんなとならきっと、乗り越えられると思うのですが……どうでしょう?」
「あんたは楽観的すぎ」
「今からそこまで難しいこと、考えなくてもいいんじゃないかしら。ヒマリちゃんならできるわ。いつも町の不良さんたちをやっつけているんだもの」
「その話を今言い出すのはやめろ」
「おお、見たい! ヒマリちゃんのキック!」
「超絶キック! 見たい見たい!」
「あんたら、この姿でまとめて踏んでやろうか」
「ヒマリさんって、いつもの姿でも十分強いっス」
「貴様もこっちに喧嘩売ってんのか?!」
次々と出てくるぶっ飛んだ話に、ヒマリはただ突っ込みまくるしかなかった。そんな慌ただしいみんなを、刹那は遠くからいつものような、呆れた眼差しで見ている。
あいつの性格がここまでありがたく感じられるとは。
ヒマリは心から、そんなことを思っていた。
こうやって派手に話が逸れてから、しばらく立った後。
「あとは、まあ……思い浮かばないな」
ヒマリはここでガクッと頭を落とす。わかってはいたことだが、こうやってみんなで話したとしても、得られる情報や閃きはなかった。むしろ、変なことばかり話し合ったせいで、ずいぶん力が抜けた気がする。
情報が、少なすぎる。ついでに、今の状況が異常すぎる。なのに、そこから何かに気づけるわけもなかった。今のヒマリたちには、限界があったのだ。
「あーつかれた!」
ここまで話してから、ヒマリはそのまま机にもたれてしまう。あまりにも喋りすぎて眠くなったからだ。
いろいろノリノリに話せたのは楽しかったが、やはり、ヒントが何もないのに、こんなぶっ飛んだ出来事を推理するのはだいぶ疲れる。不条理をまじめに考えてみようとしても、結局無駄なだけだ。
そういうことで、ヒマリはこう話をまとめる。
「こんな固いところで話してるから疲れるのも当然。次からはもっとやわらかなところでやろうね。たとえば保健室とか」
「なんか理由でもあるっスか?」
と良平が聞いてくる。それを聞いていた雪音が、ズバリのことを口にした。
「ベッドね」
「別にそれだけでもないけど」
雪音は事情がわかったという顔で、くすくすと笑う。ヒマリは目くじらを立てながらも、特に否定はしなかった。
「ともかく、次は保健室で、オッケー?」
やはり、椅子に座ってこんなのを話していると硬くで我慢できないのだ。もっと柔らかなところがいい。たとえば、すぐ横になれて、さらに眠れるベッドとか。ヒマリはだらだらするのがすごく好きだった。
だから、次は保健室がいい。
こうなった以上、楽しめることはぜんぶ楽しまなきゃ損なのだから。