10.で、どうしてこんなことに?

「これでみんな、集まったわね?」
 そうして、太陽がかなり上に登ってきた朝の10時頃。
 ある適当な教室に、ヒマリたちは集まっていた。正確にいうと、冴えない男に入ったことのある人たち、つまりヒマリと沙絵、刹那と胡散臭い男の羽月、ここの生徒でもある良平、そしてうるさい女の子二人である。
 あと、男の中に入ったことはないが、雪音もいっしょだった。そもそも、雪音はこの事情を全部知っているわけで、仲間はずれにするわけにはいかない。

 今の状況を眺めるとこうだ。
 ヒマリは教卓の近くにいる机と椅子に軽く背を預けながら、後ろにそれぞれ位置しているそれぞれの人たちに向かっている。雪音はヒマリの向こう側、ドアの近くで座っており、ヒマリ(と他の人たち)をニコニコと眺めていた。沙絵はわくわくしてたまらない、という顔で目をキラキラさせながら真ん中に座り、刹那は窓際の、日差しがまぶしくて、ヒマリならまず絶対に座らないところで頬杖をついてからこちらに視線をおいていた。
 誠一は、まるでそこが自分の正位置でもあるように後ろの壁にももたれ掛かり、腕組みをしてから興味津々という顔でヒマリたちをじっと見ている。良平はまるで場違いでもあるようなオロオロした顔で(ここの生徒だったはずなのに)、後ろのドアの方の椅子に座り、えらく緊張していた。一方、うるさい女の子たちはそれぞれ壁と窓際の正反対に分かれて、騒ぎながら今の状況を楽しんでいた。
 ちなみに、この状況を作り出した「冴えない男」は、バランスなどを考えて、教卓から見て右前くらいの席に「座られて」いる。相変わらず、単独での意識はまったくなかった。あえて言うと壁よりにおかれているからか、あそこに座っていたうるさい女の子の一歩が「おもしろー」とかいいながら男の頬を指でぐいぐいといじっている。
 ヒマリが言うのも何だが、実にカオスな風景である。これじゃほんと、「乗っ取った」のと同じだ。まあ、ここにはすでに誰もいなかったわけだけど。

「じゃ、あたしからやるから」
 一応自己紹介とか、今までの説明を(あらかじめ)した方がいいな、と思い、ヒマリは自分、そしてこの騒ぎについて話す。今度は吸血鬼の件も含めて、ありのままを素直に話した。ぶっちゃけ、この大騒ぎより自分の事情(吸血鬼)の方が突飛だと思うが、それはまあ、仕方がない。とはいえ、あの冴えない男に入ったことのある人なら、ヒマリの突飛な事情も納得はしてくれるのだろう。
「お、おう……そうなんですか……」
 やっぱりと言うべきか、ヒマリが自分についてしゃべると、良平は顔が固まった。刹那はうんざりした顔でヒマリの話を聞いている。やっぱり信じられないのだろうか、良平はこんなことを聞いてきた。
「で、では、昼には外に出られないんじゃないっスか?」
「別に」
「んじゃ、鏡に映らなかったり、ニンニクがダメだったり、そういうのは……」
「ごめんなさい、らしくない方なので」
 と、ヒマリはとりあえず頭を下げて謝っておく。やっぱり吸血鬼と来たら、それをまっすぐに思いつくのは仕方のないことだった。
「えっ、世の中には『らしい』方もいるんですか?!」
「知らんがな」
 良平には申し訳ないが、それは本当に、ヒマリにとってはどうでもいいことだった。いかんせん、関心がないからである。どこかにはそんなやつもいるかもしれないけど。
「ヒマリちゃん、日笠なのに昼にも手ぶらで外を出歩くからね。びっくりするのも無理はないわ」
「あんたね……」
 雪音にはそれがウケたのか、ヒマリの顔を見ながらくすくすと笑っている。これのどこがそこまで面白いのか。ヒマリには未だに、この友人がよくわからない時があった。

「まあ、そういうわけだから」
 となんとか自己紹介を終わらせようとしたら、急に雪音がこんなことを言ってくる。
「そういや、ヒマリちゃんは町中警察なんだよね」
「ぷっ!!」
 またいきなり何を言ってくるんだ、という顔でヒマリは雪音を睨む。ほんとに、本当に不意打ちだった。ここでそれを持ってくるとは、雪音恐るべし。
「町……なに?」
「ヒマリちゃんはね、この町のことが好きだからそんな気分を味わいたくて――」
「いや、いいから、そういうのはもういいから!!」
 刹那にノリノリとそう答えようとする雪音を、ヒマリが武力(口を防ぐ)で止める。もうこれ以上、自分に恥をかかせるのはちょっと勘弁してほしかった。
 あれは勢いで言っただけなので、こんな大勢の前でバラされるとすごく恥ずかしい。ここで町の不良共を密かに(物理で)成敗していたのまでバレると、ヒマリはもう頭を上げることができなかった。さすがに、それは雪音とヒマリ、二人だけの秘密にしてほしい。
 とはいえ、なんかよそよそしていた雰囲気もこれでなぜか和んだようでなによりだった。結局、ヒマリが一方的にやられただけなんだけど。ちょっとくやしい。

 それから、他のみんなも自己紹介を始める。次々と繰り返される自己紹介を、ヒマリはぼうっとした気持ちで眺めていた。
 この中にいるヒマリがいうのも何だが、どこか滑稽な風景だ。そもそも、ここに集まってるメンツは、ヒマリと雪音、あとあのうるさい二人の除くと、お互い、今まで知らない人同士だったからだ。だが、沙絵はそんなことより「新しい人と出会う」というドキドキの方が勝っているのか、目を輝かせてから自己紹介をする。沙絵が自分の成り立ちについて話すと、これまた良平は夢でも見ているような顔をしていた。ヒマリも似たような感覚である。
 あとはまあ、普通だった。刹那の自己紹介がそっけないのはすでに経験済みだし、羽月の自己紹介が自己紹介になってないの(相変わらず胡散臭いこと)も把握済みだった。
 良平の自己紹介はすでに聞いた。雪音はすでにヒマリと長い付き合いであるため、紹介を聞くまでもない。とは言え、ヒマリを除いた残りは雪音の「血を売る」お仕事が不思議だったらしく、(特にあの二人組に)えらい質問攻めにされた。いつもの雪音らしく、のらりくらりと避けられたが。
 あのうるさい二人組もなんか自分の名前を言っていたが、ぶっちゃけ、二人の分別すらつかないヒマリに名前が覚えられるわけがなかった。あの二人は、ヒマリの中では永遠に「うるさい二人」である。

「で、これからみんな、どうしたい?」
 そんな感じでみんなが自己紹介を済ませてから、ヒマリはみんなに話しかける。なぜか自分がまとめ役のようになっていたが、今のような状況ならヒマリが適任だし、仕方がない。
 それに正直、ヒマリだって「これからどうすればいいんだ」状態だった。こんな状況に置かれた時、いったい何をどうすればいいんだ。誰か教えてほしい。
 みんなもそう思ってるのか、しばらくの間、誰も声を出さない。
 外は静かだ。誰もいない校舎なので(夏休み・もうすぐ取り壊される予定の建物)、グラウンドにも人はまったくいない。一応、校門を出ればすぐ町が出てくるが、そこだって今日は何も聞こえてこなかった。時折、遠くから鳥のさえずりが聞こえてくるだけで、真夏なのに蝉の声も抑えめである。おかげで、教室の中の静けさがますますひどくなっている気がした。
 なぜかは知らないが、風だけが時折、勢いよく教室の中に入ってくる。まだ(まるで忘れられたように)そのままかけられていた白いカーテンが、それに合わせてゆらゆらと揺れた。向こうに広がる澄み渡る青空だけが、この現実味のない状況を静かに見守っている。
 まあ、こうなるよね。
 ヒマリはため息をついてから、結局、また自分から話し始める。このまま誰も自分の意見を話さずにいたら、永遠にこの状況は終わらない。
「ともかく、今のあたしたちは、仕方はないけど一心同体でしょ? この男にムリヤリ入られる、という意味で。今でも十分頭が痛いのに、これ以上状況がややこしくなったら困るわ。だから、みんな、それだけは気をつけるように、わかった?」
 これは冗談じゃない。この以上事態が大きくなってしまったら、ヒマリにはどうしようもなかった。それに、こっちにはまだ沙絵がいる。今までの大騒ぎで、沙絵の持つ力がどれくらいひどい(すごい)のかはよくわかった。ひょっとしたら、これからももっとひどい(すごい)ことになるかもしれない。
 だから、すでに巻き込まれてしまったヒマリたちは気をつけないといけないのだ。

 しかし、沙絵の持つ力には安心できるというか、こっちに有利なところもあった。少なくても、沙絵の話によると「沙絵自身はいつも無事」らしいからだ。
 なら、一緒にいるヒマリたちもたぶん、何が起きるかはしれないが、無事だということになる。っていうか、そういうことにしてほしい。沙絵の父の話だから、これはたぶん正解だろう。
 それに、これはヒマリの淡い期待なんだけど、沙絵の力のおかげで、しばらくここで密かに住み込むことができるのではないか、というのもあった。普通ならこの校舎はすぐ取り壊されてもおかしくないが、沙絵の力があれば、ちょっとした可能性はあるかもしれない。今はまだ不明だが。
 つまり、なんとかなる。そうなってほしい。今、ヒマリは心からそう願っていた。
「ついでに、この男のことだけど」
 と、ヒマリはぐったりしている「冴えない男」を指す。みんなもそれを思っていたのか、しばらく誰も口を出さなかった。ヒマリたちの心も知らずに、男はのんきに意識を失ったままである。
「まあ、かなりアレなんだけど、ともかく、あいつの名前くらいは決めといたほうがいいんじゃない? いつまでも「あの男」呼ばわりは不便だし」
「じゃ、考えておいた名前はあるのかしら?」
 その話を聞いて、雪音がニコニコしながらこっちに向かってそう聞いてくる。ヒマリは少し考えて、間をおいてから、やがてこう答えた。
「月島健太郎とか、どう?」
「なんか理由でもあるわけ?」
「だって、月島って名字の人ってやたら変じゃない」
「それは全国の月島さんに怒られると思うよ? ヒマリちゃん」
 刹那の話にヒマリが適当な口調でそう答えると、それを聞いた雪音はくすくすと笑った。それはともかく、他に意見もなかったため、こうして冴えない男の名前(?)は無事に決まったのだった。
 ヒマリが言うのもなんだったが、今の状況は、まるでディスカッションのようだ。こんなのを真面目に喋っていてもまったくそれっぽくは見えないけれど。
 一応、ここは学校の教室だから、校内ディスカッションだと言えなくもない。ここの現役高校生がどれくらいいるのかはともかくとして。

 そんなふうにいろんな意見を交わしたが、結局、「今、この状況をどうするべきか」という、いちばん重要な問題の答えは、未だに出てこなかった。このままだったら、ずっと出てこないのかもしれない。それはヒマリにとっても、かなり困ることだった。
 だから、ヒマリは思い切ってこう言い出す。こうでもしないと、何も始まらなさそうな気がしたからだ。
「まあ、こうなっちゃったわけだし、そもそも行き場のない人だっているわけだから、一応ここで住み着く、というのはどう? ここ、取り壊されるから回収されるべきものは全部されたって話だし。もし問題があったら、あたしが責任を取るわ」
 正直、正気の沙汰じゃなかった。ヒマリもそれをよくわかっている。こんなの言っていていちばんありえないと思っているのは、たぶん、他でもない自分自身だった。
 だが、こんな「非常識」な状況に巻き込まれたからこそ、色んな意味でネジがぶっ飛んだ答えを出したほうがいいと、ヒマリは思った。そもそも、反則級の存在、沙絵に巻き込まれた時点で常識もなにもない。当事者は人の気持ちも知らずにのほほんとしているが。
「責任? どうやって?」
 刹那もこれがぶっ飛んだ話だということはわかっているのか、そう聞き返す。ヒマリもそれを考えると頭が痛くなりそうだったが、なんとか答えた。
「もしもの時のお金とか、一応あたしにもあるから、なんとかできる……かもしれないってこと。あ、そうだ。羽月、あんたも協力してよ。あんたのいるその『組織』とやらで。わかった?」
 ここで、ヒマリは羽月のいる方に振り返る。羽月は相変わらず何を考えているのかわからない胡散臭い態度で、こう言いながら笑ってみせる。
「約束するさ。他人事でもないからな」
 ダメだ。やっぱりこの男とは致命的に合わない。
 この時、ヒマリは心からそう思った。刹那の時もそうだったが、ヒマリにとって、今日の出会いは本当にそういうのが多い。
「どうせみんな、頻繁にこの男に入られるわけだし、遠くにいても仕方がないんじゃない? でも、それならあたしや雪音の住むところだけじゃ無理に決まってる。この学校なら問題ないでしょ。何か事件が起きても対処しやすいし。じゃ、どう?」
 あいつはともかくとして、ヒマリはみんなに再びそう話しかける。この学校ならヒマリの家とも近いし、万が一何か起きたとしても安心である。そもそも、ここにいる人はほとんど「外」から来ているし、できる限りいっしょにいた方がいい。これから沙絵が何を引き寄せるかわからないのだから(本人だってわからないわけだし)。
 周りを見ると、文句を言う者は誰一人いなかった。不機嫌ながら刹那も黙っているし、沙絵は「もちろんです!」という顔で、相変わらず目をキラキラさせている。二人組はむしろ、「面白そう!」と期待しているような眼差しでこっちを見ていた。雪音だって、いつものようにニコニコしながらヒマリをじっと見ている(そもそも、ここのメンツの中で雪音だけあいつに入っていないわけだが)。羽月も文句はないらしい(あいつに戸惑いとかがあるのかはともかくとして)。ここの中で一番可愛そうかもしれない良平は、もういろいろ諦めたらしく「勝手でいいですよ」というジェスチャーを取った。
 これから、ほんとうにどうなるのだろう。そんなことを思うと急に怖くなるが、ともかく、ヒマリはそろそろここで締めた方が良いと考えた。
「まあ、これがどうなってるのかはわからないけど、仮にもあたしの縄張り(テリトリー)でこんなことが起きてるのを黙って見逃すわけにはいかない。一応町中警察だからね、あたし。だからみんなもちょくちょく協力すること。わかった?」
「ヒマリちゃんったら。ああいうカッコつけるの恥ずかしがってたのに。おちゃめさんね」
 雪音はそう言いながらにっこり微笑む。それにようやく気づいたのか、ヒマリは顔を赤くした。
「う、う、うるさいな!!」
 自分も知らぬ間に、ヒマリは両手をじたばたする。そんなヒマリを、刹那は遠くから半分呆れたような顔で見ていた。

 そんなふうに、いったん状況が落ちついてから(つかの間ではあるが)、ヒマリはてきとうに空いた教室でぐったりしながら雪音と話す。
「まったく、なんでこんなことになっちゃったんだろう」
「いいんじゃない。きっと、これからもっと面白くなるわ」
「これのどこが……」
 ヒマリが頭を振ると、雪音はそう微笑む。いつものような日常が、まるで何年ぶりにやってきたような感覚だった。
「そういや、あなたの同じ時代を生きるのも今度で最後かもしれないね。最後にこんなでっかいことぶっこんでくるなんて、神さまも意地悪だな、もう」
「たとえわたしたちの時代がずれても、ヒマリちゃんとはずっと友だちだよ?」
「……だったらいいな」
 ヒマリの話を聞いて、雪音はやさしくまた微笑む。それはいつものように、ヒマリにとっては救いのようなものだった。
 ヒマリは普通の人間より「長生き(不老)」できるため、雪音と同じ時代を過ごすのも今度が最後になるかもしれない。以前からずっと、わかっていたことだった。別に今、初めて気づいたわけじゃない。こんな時になって、なぜかそう思い浮かんだだけだった。
 まるで思い出したように、まぶしい夏の日差しが、この「本来は誰もいないはず」の教室へと猛烈に入ってくる。すでに夏は、最高潮に達していた。