――日笠ヒマリは、走っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
今はちょうど真夏の頃。もう夜だったため、周りは暗く沈んでいた。
いわゆる真夜中。当然、周りに人はあまりいない。
ましてや、走っている人なんているわけなかった。ここが夜には静まり返る住宅街となればなおさらである。
それなのに、ヒマリは「あそこ」に向かって、必死で走っていた。光すらあまり見かけない道を、ヒマリはただ、まっすぐに駆け抜けてゆく。
金色に染めたショートカットの短い髪が、その速さに合わせて風になびく。姿から見ると、歳は10代後半くらい。背はそこそこ。明らかに強気であることがわかる、印象に残るすっきりした顔立ち。
暗い夜道の中でもわかるくらいの、今風の洒落たデザインの服を着ている(服自体はジーンズと白いシャツと簡素だが)。アクセントで入ってるピンクや金色がよく映えていた。
いかにも普通の格好。まさにイマドキの女の子。それはヒマリも自覚していることだった。
今、目指しているところは友人である女の子、雪音の家だ。「家」というより「お店」と言ったほうが正しい気もするが、この際、そんなのはどうでもいい。
ともかく、今は雪音と出会って、話がしたかった。
こんなことを話す相手なんて、雪音以外にはありえない。「ヒマリのような」普通じゃない存在を知っていないと、これをどれだけ説明したって、きっとわかってもらえないだろう。むしろ変なやつ扱いされるのがオチだ。
普通の人ならばここらへんで息を切らすところだが、「吸血鬼」であり、普通の人間よりは運動神経がいいヒマリはそこまで呼吸を乱していない。
だが、ここまで何分もずっと走ってきたところだ。遠くからでも疲れている、というのは感じ取れる。
しかし、ヒマリにとってそれはこれっぽっちも重要じゃない。
今、ヒマリはものすごく理不尽な状況にいるのだ。というか、どこから話せばいいのかすらわからない。ヒマリだって「ただもの」ではない存在である吸血鬼だと言うのに、情けない話だった。
でも、雪音なら、ヒマリの秘密、吸血鬼であることを唯一知っているあの雪音なら、きっと納得してくれる。他の人なら知らんけど。それくらい、これは「ぶっ飛んだ」状況であった。
その残った体力をなんとか全部絞り出して、ヒマリは走り続ける。
そろそろ下り坂が見えてくるところだ。もうすぐ、あの子、雪音のいるところにたどり着く。
「ゆーきーねー!!」
ヒマリの鋭く高い声は、もう暗くなっている街角に実によく響く。はっきり言って、これはとてつもないご近似迷惑だ。だが、今だけは、それを気にする余裕がまったくない。申し訳ないが、今はヒマリの方が遥かに大事だった。
たぶん、今の時間なら雪音はものすごく遅い昼寝の途中なんだろう。だが、意地でも起こしてあげよう。ヒマリはそう決め込んでいた。ひょっとしたら、さっきの声で目を覚ましてくれたかもしれない。だったらいいな、とヒマリは心から思った。
そのくらい、今は非常事態なんだから。礼儀とか、そんなのは知らない。少なくても、今、この瞬間だけは。
これはわかりづらいところだが、ヒマリがここまで慌てているのはかなり珍しい。つまり、それほどの事件が起きてしまった、ということだ。
「非現実」な出来事。まるでヒマリのような、明らかに異常な存在。
ヒマリがここまで慌てているのには、そんな理由もあった。
どうしてヒマリはこんなことになってしまったのだろうか。
話は少し、前に戻る。