「そう言えばわたし、こうなってから初めて気づいた」
「何をだ?」
「あ、ちょっと言いづらいんだけど、兄さんも、その、性欲とか出したりする人だったんだな、と……」
「ちょ、ちょっと、それはさすがに恥ずかしいぞ……?」
いかん、蒼乃に『そういう』免疫があまりなかったことを忘れていた。当たり前だが、ああいう話題は口にしたことすらない。変に雰囲気になってしまっても困るからだ。
それが、こんな時になって裏に出るとは。
「そ、そや当たり前だろ。お、俺も男という者だし、そ、そういう生理現象くらいは、あ、その、なんだ、あの……」
「うん、わかってるよ。その、経験済みだから」
「いや、それは慰めにならないと思うが」
むしろ蒼乃のその一言は結構ぐさっと来る。はっきり言って、この世の中、どこを探してみても妹に『ああいうの』をバレられたい兄貴はいないのだろう。もちろん俺だってそうだ。ああいうのはどうにかして隠しておきたい。
とはいえ、こういう姿だとむしろ不可抗力だが。
「そ、その、蒼乃、どこまで見たんだ? あ、だからな、これは決して変な意味ではなく――」
「あ、朝とか、トイレとか、裸とか、えっと、それと、それと」
「いや、わかった、それで大体わかったから、もうやめてくれ」
そこまで聞くと、俺はいますぐ絶望のポーズでも取りたい気分になった。だから、こういうのってありなのか。妹に朝のアレやトイレや、果ては見せたくないアレやコレやをバラされるのは。それにたぶん、アレだけじゃないはずだし。
もちろん、それは俺の方も同じではあるが。蒼乃も、それに気がついているだろう。
「そ、その、蒼乃、俺に幻滅したか? 頼りになっていた兄貴が、そういうところもあるだなんて」
「ううん、別にそうは思わなかった。ただ、兄さんはああいうのと縁がなさそうだったから」
「そういう男はいないと思うぞ。俺の錯覚かも知れないが」
「そ、そこまでなの?」
「ああ、俺にだって例外じゃない。男というのはだいたいそういうものだ。なにせ、人間だからな」
正直、それは蒼乃だって同じであるはずだった。自分が蒼乃の姿になっているからわかっているが、だいたいの人間はそういうことになっている。蒼乃にとって俺はああいうのと無縁に見えたかもしれないが、しょうせん、俺はただの人間だ。欲望に充実で、もちろんああいうのも躊躇いなくやりつづけてきた普通の男子学生である。
もちろん、これで蒼乃が幻滅するのは覚悟の上だったが――
「大丈夫だよ。兄さんも人間だもの。わたしもこうなって、初めて気づいた」
「よ、よかったな。本当に」
「わたしが勝手に変なイメージ作っただけだから、その、気にしないで」
「お、俺こそ、あまり気にしなくてもいいぞ」
俺らはお互い頭を下げて、変な謝りをするハメになった。これで蒼乃が俺のイメージを少しでも変えてくれたらいいが。俺自身、凄いやつでもなんでもないから、あまりにも高すぎるイメージは少し重く感じる。
それはそれで、蒼乃は俺の姿で、毎日ああいうのと出くわすのだろうな。はっきり言って、蒼乃に性的な知識がそこまで多いとは思えない。せいぜい学園で学んできたのがやっとだろう。そんな蒼乃に、俺の姿で暮らしながら受けた衝撃はきっと大きなものに違いない。
……よくもソレに耐えたきたな、蒼乃も。
もちろん、そこについてはあまり話しかけないつもりだ。蒼乃もきっと困るだろうし。だが、俺の罪悪感は拭えなかった。俺じゃなかったら、蒼乃もああいう気分に侵されずに済むだろうに。
たぶん、蒼乃も似たようなことを思っているだろう。俺らはあまりにも似すぎたから、お互いがお互いのことを心配してしまうのだ。
まったく、困った兄妹だな。
こんな時だって、自分のことより兄妹のことを先に思えるだなんて。