マチロジ・聖剣なんていらない

 あの時、へんてこな剣さえ抜かなければ――
 今、ヒマリは猛烈にそう後悔していた。

 それはある晴れた朝の出来事。
 いつものようにあくびをしながら学校のグラウンドへ出てきたヒマリは、その真ん中に、明らかにおかしいものが刺されていることに気づく。
「……何?」
 そこに刺されていたのは、誰からどう見ても子供向けのおもちゃの剣。
 大きさならそこそこ立派だが、剣としてはもちろん機能しない、見た目がちょっとかっこいいだけの玩具だった。
 なんだ。つまり、誰かのいたずらってこと?
 不思議に思いながらも、ヒマリは思わず、あそこに近づいていた。

 近くから見ても、やっぱりヒマリの感想は変わらない。
 それは周りの子供たちがよく手にしていそうな、ただの玩具の剣。
 もちろん、ヒマリが子供の頃なら不思議そうに眺めていたかもしれないが、今のヒマリは立派な大人。ああいう所詮ニセモノに興味なんか持てなかった。
 ただし、そんなヒマリにも気になったところはある。
 ――いったいなんで、こんな不似合いなものがグラウンドに堂々と生えているんだろう?
 さすがにそれは、ヒマリにとっても無視できないことだった。
 もちろんこんなつまらないもの、誰かが悪意を持って刺したわけじゃない。たぶん誰かのいたずらみたいなものだろう。それが誰なのかはもちろんヒマリにもわからないが、こんなもの、ちょっと雑に扱ったって罰は当たらないはずだった。
 そんなことを思いながら、ヒマリはあの剣を一気に引き抜く。
 それが世界の分岐点になることも知らずに――

「あっ、お兄ちゃん、聖剣抜かれたよ!」
 ヒマリがなんでもない顔でその剣を抜いた瞬間、遠くから子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。
 ……聖剣?
 初めてヒマリは自分の耳を疑ったが、すぐ気のせいだろう、と思い改める。こんなつまらない剣がそこまで大げさな存在であるはずがない。たぶん何かの聞き間違いだ。
 だが、次に聞こえてきた凄まじい叫びに、ヒマリの思考はぶっ飛ぶ。
「あー!! 聖剣だ! あのお姉ちゃんが抜いちゃった!」
「すごい! 勇者の誕生だね、お兄ちゃん!」
「ああ、ここからが新しい伝説のはじまりだ!!」
 ……勇者? 聖剣? 伝説?!
 遠くから聞こえる子供たちのはしゃぎ声に、ヒマリは目を丸くする。
 それは誰からどう見ても、ただのおもちゃの剣を引き抜いた人が言われるセリフではなかった。
「……まずい」
 ここに来て、初めてヒマリは自分の選択を後悔した。そういうつもりはまったくなかったか、ひょっとして、自分は非常に面倒くさい選択肢を選んでしまったのかもしれない。
 だが、後悔先に立たず。
「あっ! あのお姉ちゃん、逃げてやがる!」
「捕まえよ、お兄ちゃん!」
「やめろ~~誰なのかは知らんけどやめろ~~!!」
 どうしてあたしがこんなことに。
 結局ヒマリは、あのへんてこな剣を手にしたまま、向こうから全力で走ってくる子供二人組から逃げるハメになってしまった。

「……で、あんたたちは誰だって?」
「だから言ったんだろ。この近くに住んでる小学生だって!」
 ヒマリが疲れた声でそう聞くと、「お兄ちゃん」と呼ばれた赤色の短髪の男の子はそう突っ走ってくる。さすがお兄ちゃんと言うべきか、妹だと思われる細いツインテールの女の子を後ろに庇ったまま、堂々とヒマリに向き合っていた。
 ちなみに、ここは校庭の大きな樹木の日陰にある、石造りのテーブルとスツール。
 8月としてはかなり涼しく、じっとしているだけなら極楽……なのだが、さっきの騒ぎのせいで、ヒマリはそれどころじゃなかった。
「いや、だからあんたたちは何する奴らかって聞いたんでしょうが」
「オレは今井耕一(いまい・こういち)、今年で小学4年生だ」
 その小さい(ヒマリにとっては)男の子は、そう言って胸を張る。
「へーあんたって、ひょっとしてあだ名が『いまいち』だったり――」
「ふ、ふざけんな! 誰がいまいちだ、誰が!」
 ああ、図星だったんだな。
 自分の目の前で激しく怒っている男の子、耕一を見ながらヒマリは心の中でため息をつく。
「で、後ろのお嬢ちゃんは?」
「えっ? わ、わたしは――」
「三谷絵里(みたに・えり)、小学3年生」
 女の子――絵里が喋る前に、耕一の方から答えが帰ってくる。それを聞いたヒマリは、しばらくしてからおかしいところに気づいた。
「あんたら、名字が違うんじゃない」
「そりゃそうだろ。絵里とオレって、別に血が繋がった兄弟じゃないし」
「お兄ちゃんはすぐ隣に住んでて、昔からずっと仲良くしてるんです」
 絵里の答えに、ヒマリはようやく事情を悟る。つまり、この二人は兄弟とは言っても、別に家族みたいなものではなく、幼馴染に近い関係らしい。たぶん、お互いのことを本当の兄弟だと思っているくらい親しい仲なんだろう。
 ああいう関係は、ヒマリにとってはあまり縁がないものだった。
 べ、別に羨ましいってわけじゃないけど。
 心の中でそう強がりつつ、ヒマリはさっきからずっと気になっていたところを口にする。
「で、あれが聖剣だって?」
「そう、アレがオレたちの聖剣なんだ」
 ヒマリが聞いてくるのを待っていたように、耕一は誇らしげな声でそう答える。ヒマリの目の前には、未だにへんてこな存在感を出しているあの「聖剣」が置かれていた。
「だから、これのどこが?」
「この剣ってすごいんです。これを持っているだけで、ドラゴンだって倒せちゃうんです!」
 そう口にしながら、絵里はキラキラした眼差しでヒマリのことを見つめる。自分の言っていることに一点の疑いもない、子供ならではの眩しい視線だった。
 あ、これ、あたしがいちばん苦手なやつだ。
 もう自分からは失われてしまった視線を正面から浴びながら、ヒマリは今更そんなことに気づく。
 まずい、今度こそ逃げなきゃ。
 ヒマリがそんなことを思いながら、どうやってこの場をくぐり抜けよう、と真剣で考え始めた時――
「あっ、ヒマリさん、もう起きていらっしゃったんですね!」
 こういう時にいちばん出会いたくなかった相手が、向こうから姿を現した。

「すごい! こ、これが伝説の聖剣というものなんですね!」
「そうだよ。わかってくれるんだよな、お姉ちゃん!」
 やっぱりと言うべきか。
 紗絵はあまりにも早く、あいつらの話を受け入れてしまった。
「あのさ、あんたはもうちょっと、疑いとかそういうものを――」
「でもすごいです。わたし、聖剣のこと、生まれて初めて目にしました!」
「いや、あんたはまず人の話をよく聞け」
 今すぐにでも暴れそうな心をなんとかなだめながら、ヒマリはそう突っ込む。この生粋のお嬢さんにこんなツッコミが通じないことはもうわかっているつもりだが、それでもヒマリは、こうして一言口にせずにはいられなかった。
「こいつ、他人事だと思って、こっちは困ってばかりなのに楽しんでやがって――」
「あれ、ヒマリさん、困ってるんですか?」
「当たり前でしょ! いきなり変な剣を抜いただけで――」
 そこまで口にしたヒマリは、自分をキラキラした眼差しで見つめている耕一らに気づき、話に詰まる。確かにへんてこな剣ではあるわけだが、まだ純粋な心を持つ子供たちの前で真実を口にできるほど、ヒマリは人でなしではなかった。
 ……いや、「人でなし」であること自体は間違いないわけだが。