タッ、タッ、タッ。
その日の深夜にも、私はパソコンの前で、いつものように作業に打ち込んでいた。
もちろん、その作業は「作戦」を練り、みんなの状態をチェックすることである。つまり、訓練担当である教官から送られてくるデータを参考して、それに合わせて作戦などを作るのが私の仕事だ。
最近、暇な時が多かった反動なのかどうかはわからないが、今日はいつもより、やるべきことが溜まっていた。とはいえ、「反軍」から「化け物」が送られてくる時よりは余裕がある。たしか、眠れる時間はかなり減ったが、あんな時と比べるとだいぶ楽だ。
そういや、あの時のメールはそれっきりだな。まったく連絡が来ていない。まあ、私も今は忙しいし、そんなことに一々気を使えないというのが本音だけど。
まだ、やることは残っている。眠くなってくるのをどうにか我慢するため、私は近くにあるエナジードリンクを一気飲みした。力技ではあるが、こういうやり方でも取らなければやっていけない。
そんなことを思いながら、クーラーの効いた事務室で作業に熱中していた時だった。
『やっほー柾木!』
まだ眠れなかったのか、雫からそういうメッセージが送られてきた。
こういうことは稀によくある。自分でも何を言っているのかよくわかんなくなってきたけれど、雫は時折こんなふうに、変な時にこっちにちょっかいを出してくることがあった。
『もう二時だ。そろそろ寝ろ』
『やだー柾木と遊びたいんだもん』
今日の雫は、いつにも増してわがままだ。何か疲れることでもあってのだろうか。学園での雫(ちなみに、ものすごいお嬢様学院である)は、どんな時にも無理して、明るく振る舞っているらしいし。
『遊ぼ~(ぴょんぴょん)』
『遊ぼ~っ(ぴょんぴょん)』
かわいいうさぎのスタンプまで使いながら、雫はこっちを振り回しにきた。かわいい、ものすごくかわいいんだけど……。今は、そんなところじゃない。
『こっちもお仕事があるから、勘弁してくれないか?』
『だって、最近の柾木、あの橘さんにかかりっきりだし』
『ああ、そのせいだったのか』
たしかに、雫が拗ねてしまうこともよくわかる。雫って、わりとヤキモチ焼きな性格だ。まあ、あの強気な性格から見ると、まったく意外じゃないんだけど。
だから、最近、見知らぬ女の子……ってことになっている秀樹と私がよくいっしょにいるのは、雫にとって、ちょっとつらいことだったのかもしれない。
『わたしというかわいい彼女がいるのに、橘さんばかりずるいよ柾木。こっちも拗ねちゃうよ?』
『わかった。わかった。今度、いっしょに出かけよう。それでいいだろ?』
『むー柾木って、女の子がわかってないなー』
そんなことを聞かれると、ちょっと傷つく。だって、こっちも女の子であるつもりだから。
まあ、雫としては「そういうこと」にしておきたいんだろうけど……。ときおり、雫はこんなふうにわがままなお姫様になっちゃうから、こっちとしては困る。
いちおう、こっちも強気だって、子供の頃にはよく言われてるのに。別に自慢でもなんでもないけど、こういう状況になると、ちょっと頭が痛くなる。
『ともかく、約束ね。柾木! 大好きだよー』
『ああ、おやすみ』
やっと雫もチャットを切ってくれたし、こっちにも余裕が出てきた。
やはり、ずっとお仕事ばかりじゃ効率がよくない。少しだけ、息抜きをしてみてもいいじゃないかな。
そう考えた私は、ブックマークを探って、いつもの「あの」サイトに入る。お気に入りの黒ロリ服をいっぱい売っている、お馴染みのサイトだ。
ここだけではなく、私は黒ロリを買う時に、さまざまなサイトを使っている。すべては、すでに空気みたいに当たり前になった、ネットのおかげだ。
あまりオフで買い物をする時間が作れないため、私は服などの買い物を、ほぼ全部ネットで済ませている。どれだけ疲れる時だとしても、このような黒ロリのサイトをみると、元気が溢れ出すような、そんな気がした。
やはり、かわいい服は大好き。
ここにいれば、どれだけ「別の姿」だとしても、私は間違いなく、自分自身になれた。
「今度はこんな服が入ったのか……いいなぁ……あとでチェックしてみようか……」
ここを見ながら独り言をどれだけ口にしたって、外には漏れない。今の私は、自由だ。まあ、外から見るとたぶん、危ない男以上のなんでもないんだろうけど、それはそれで――
『柾木、柾木!!』
そんな時、いきなり電話がかかってきて、私はびっくり……ところか、仰反る。時計を見ると、もう三時にかかっている頃だった。何、これは……秀樹?
なんでこのような時間に、こっちに連絡してきたんだろう。
こっちとしては、やはり眠ってほしいけど、秀樹にかまうのだって、今は自分の立派な仕事の一つだ。
出ない選択肢は、ない。
『どうした。こんな夜に?』
『柾木ー眠れないよー暇だよー』
私が電話に出ると、秀樹はすぐそんなふうに不満を漏らす。まあ、そうだろうとは思っていた。やはり、ここのような見慣れてない空間では寝づらいんだろう。
『別に俺だって、寝ていたわけじゃないが』
『え、なんで?』
『仕事中なんだから』
『あ、そっかー』
私がそんなことを言うと、秀樹はすんなりと納得してくれる。自分の声が、いつもよりだいぶ疲れているのがよくわかった。
『眠いのに眠れないって、今の俺より大変だねー』
『別に、こういうのは初めてじゃないから、気にするな』
『でもさ、やっぱり大変だろ?』
秀樹はこっちのことを、むしろ心配してくれていた。
そういや、私の言っていること、信じてくれてるよね。以前、うっかり漏らしてしまったことからすると、私と雫が、ここで何かをやっているかもしれない、って考えてしまってもおかしくないと言うのに。
秀樹は、いつもそうだ。
私のことを絶対に信じてくれるし、ものすごく頼ってくれる。
なんでそこまで、自分のことを信じてくれるんだろう。私に好意を寄せてくれるのはありがたいけど、そこまで好きでいてくれる理由とか、あるのかな。
私には未だに、それがよくわからない。別にわからなくても、それはそれでいいとは思ってるけど……。
『別に、俺も秀樹も同い年だから、そこまで辛いわけでもない』
やはり、自分が幼く見えがちだから、そう思われるのだろうか。
そういう扱いはよくされるんだけど、そこまで弱い体はしていない。「元の姿」だって、それは同じだ。
とはいえ、秀樹の心遣いはありがたいけど。
『そっかそっか、変なこと言ってごめんね。でもな~』
『ん?』
『こんな風に話すの、楽しいけどちょっと悔しいな。俺たち、すぐ側にいるというのにね。えいっ』
『何やってるんだ?』
『画面ぐりぐり、してみた。まあ、柾木には届かないんだろうけどね』
なぜか私は、その光景を思い浮かべてしまう。「端末」の画面をぐりぐりする秀樹。ちょ、ちょっとかわいい。
『そういや、柾木って今、何やってるの? 息抜きとか、ちゃんとやってるのかな?』
『あ、そ、それは……』
だ、ダメだ。このままじゃ、私が仕事中に黒ロリサイトを眺めていたことがバレちゃう。もちろん、こっちで見ているサイトが、秀樹にわかるわけないけど……。
『ふむふむ、危ないサイトとか、見てたり?』
『ち、違う。と、ともかく、もう寝ろ。だいぶ遅いから』
もうすぐ、朝がやってくる。
別に、自分がやっていることはともかくとしても、秀樹にはやはり、早く眠りについてほしかった。
私がそんなふうに、あたふたしていた時だった。
『あのな、柾木。俺って今眠れないから、子守唄でも歌ってくれない?』
『あ?』
秀樹は急に、妙なことを言ってくる。まあ、黒ロリサイトがバレるよりは、そっちの方がはるかにマシだけど……。
『だが、秀樹も、野郎の声で眠ることなんてしたくないだろ?』
もちろん、恥ずかしいのも理由の一つだけど、今の私の声は、かなり低い。たぶん、聞いていて楽しい声ではないと思う。秀樹からすればなおさら。
『別にいいの。柾木の声なんだから』
だけど、秀樹は、迷い一つもなく、そんなことを自然に口にする。
どうしよう、ちょっと照れてしまいそうになる。
別に顔を向き合ってるわけじゃないから、バレはしないんだろうけど、あの、その……。
『あまり、その、期待しないでくれ』
結局、私はそう頷いた。
あまり使いみちがないから、そもそも自分の「元の姿」の声は録音していない。だから変換などもできないし、この声でなんとかやり遂げるしかない。
できるのだろうか。
私に、この声で歌うことが。
結局、私は作業も止めたまま、真夜中で秀樹に向かって、変な子守唄を歌うハメになってしまった。
はっきり言って、この姿で歌う機会なんかめったにないので、自分の耳に届く歌声は、どこかへんてこに思える。
なんか音程も合わず、誰からどう聞いても音痴……っていうか、完全に疲れた声だったからだ。まあ、夜更かし中の会社員だし、それは仕方がない。
でも、秀樹は何も言わず、そんな滑稽な歌をじっと聞いて……
……くれる?
『くーくー』
『あの……寝てるのか、もう』
いつの間にか、秀樹はこっちが気づく前に、すやすやとぐっすりと眠っていた。なんでここまで早く寝ちゃったんだろう。ちょっと悔しいけど、まあ、今度はこれで良しとしよう。
こんな夜に、誰かと喋るのはだいぶ珍しい。もちろん、雫と話すこともよくはあるけど、こんなふうに、「自分のこと」を知っている人と話すのは、かなり新鮮な気がした。
私って、だんだん秀樹に毒されてる気がする。
まあ、別に、それが嫌いとか、そういうわけじゃないけど……。
「やっと終わったか」
あれ以来、なんとか力を絞り出した私は、どうにか仕事を片づけることができた。よかった。これで私も眠れる。
もうすぐ時間は夜の4時、そろそろ夜明けがやってくるところだ。
これから眠りにつくつもりだけど、その以前に、水くらいはちょっと飲んでおきたい。今、ここには飲める水が用意されてないので、いちおう、休憩も兼ねて外に出よう。
そんなことを思った私は、廊下へと出る。少し歩いたら、ふと、向こうから誰かがやってくる気配を感じた。
「……お父さん?」
「お前も仕事中だったのか、柾木」
お父さんとこんなふうに、廊下で出くわすことはわりとよくある。お父さんだって、「偉い人」なんだから、夜まで仕事で忙しい時が多いんだ。
「橘とは、上手くやっているのか」
「はい。ご心配はいりません。ちゃんとやっていけてますから」
お父さんの話に、私はそう答える。いつもと同じ、上司と部下のような話し方。外での私とお父さんは、だいたいこんな感じだった。
……こんなふうにお父さんと話す時に、視線をそっと逸らすくせは、いったいいつからついたものなんだろう。
「それなら安心だ。体には気をつけろ」
「はい」
私がそう答えると、お父さんはそのまま背を向け、この場を去った。いつものような会話なのだから、おかしいところなど、何もない。
でも、こんな時、なぜか私は、すごくモヤモヤしてしまう。
これはどういう気持ちなんだろう。
遠くなっていくお父さんの背中を見ながら、私はそこに佇んだまま、どうすればいいのか、ただただわからなくなった。