13.「組織」はこういうところ

 次の日。
 いつもの時間に目覚めた私は、まず、支度をしてから秀樹の様子を見に行こうと決めた。
 いきなりあんな姿になって、知らないところで一晩を過ごすことになったのだ。今ごろどうしているのかは、やはり気になる。
 今くらいなら起きているのかな。
 それとも、寝不足だったりするのだろうか。

 昨日、秀樹と別れたあの部屋の前。
 そこまでたどり着いたら、あとはドアを開けるだけだ。
 だから、そのまま、私はドアノブに手を当てる。
 この時間ならではの「ある可能性」なんか、まったく考えずに。

「……え?」
「あ……」
 しまった。完全に忘れていた。
 今の時間なら、秀樹だって、起きて着替えをしていたとしてもおかしくない。
 なのに、私がそれを忘れるだなんて。
 今、私の目の前には、下着、それもパンツをつけている秀樹がいた。もちろん、つけているのは女物である。ちなみに、いろいろわけがあるからだとは思うけど、上の方には何もつけていない。
 目と目が、会う。
 窓の向こうから差し込んだ朝の光が、よけいに眩しく思えた。
「ご、ごめん」
 気がつけば、私はそのままドアを締めて、トイレまで全力で走っていた。
 どうしてこうなっちゃったんだろう。
 まさか職場で、こんな状況になるとは考えもしなかった。

「はあ、はあ……」
 トイレの個室の中に駆け込んでから、ようやく私は一息つくことができた。
 さっきのことが、未だに忘れられない。
 だって、秀樹って、元の姿の面影もちゃんと残ってるんだから……。
 胸、大きかったな。
 美咲お姉ちゃんとか、雫にも負けないくらい大きかった。
「……っ」
 やばい。今、どうやら「来た」みたいだ。「アレ」が大きくなってしまったのが、今の姿勢でもよくわかる。
 胸のドキドキが、なかなか収まらない。
 私、どういう顔をして、秀樹に会いに行けばいいだろう。

「ごめん、自分が悪かった」
 結局、用を終えてトイレから出た私は、秀樹の前でそう頭を下げた。これはどう見ても自分のせいだし、こうするのが当たり前である。
「別にいいよ。その、柾木に見られたくらいなら」
「でも、俺がもう少ししっかりしていたら……」
「大丈夫だってば、もう」
 秀樹はそう言ってくれたけど、しばらくの間、私はどうやって話しかければいいのか、よくわからなくなった。
 今の状況って、いったいなんだろう。
 実は私の方が、「女の子」だというのに。

「ともかく、今日はここを案内しようと思うが、いいか?」
 そういうわけで、今日は秀樹に、ここ、「組織」の施設を軽く紹介することになった。やはり一ヶ月はここで暮らすわけだし、どこに何があるのか、は知っておくべきだと思ったからだ。
「ほんとに? 案内してくれるの?」
「まあ、軽くだが……」
 そうして初めて訪れたところは、メカのある整備室だった。「化け物」との争いに使われたメカのメンテナンスは、ここのエンジニアが担当する。
 私たちが入ってみると、そこの隅っこで、美由美が熱心にメカを整備していた。
「あ、柾木くん、おはようございます……隣の方は?」
「しばらくこちらで過ごすことになった橘だ。昨日の騒ぎは聞いたんだろ?」
「はい。えっと、高梨美由美です。よろしくお願いしますね」
 そうやって、二人はぎこちなく挨拶を交わす。そういや、美由美は人見知りなんだから他の人と喋るのが苦手で、私とこうやって話せるようになったのも一年前くらいだった。
「誰のモノを整備しているんだ?」
「えっと、茨城さんの……」
「あ、慎治のか」
 やはり、というべきか。なんとなく、そういう予感はあった。
「どうりであっちこっちに傷がついてるわけだ。まったく」
「ぶー……」
 そんな私を、秀樹が不満そうな顔で見ている。なぜだろう。そういや、秀樹に慎治のこと、話してなかったな。
「だから、慎治は同性の親友みたいなもので……」
「ぶぶー……」
「いや、その、ひょっとしてそれ、ヤキモチか?」
 そう聞いてみたが、ぷいとそっぽを向かれただけで、結局、秀樹から答えは返ってこなかった。
 万が一そうだとしても、なんでそこでヤキモチをつくのだろう。私にはよくわからない。
 美由美は何を考えているのか、整備していた手を止めて、そんな私たちをぼうっと見つめていた。

 次は、そのメカが実際に動く訓練室にやってきた。
 当たり前だけど、みんなはメカを装備して、いつものように訓練に熱心だった。
「おお、これがメカ!」
 やはりと言うべきか、秀樹は目に見えるくらいはしゃいでいる。昨日の反応を見ると、そこまで驚くところでもなかった。
「いや、別に漫画とかのようにかっこいいわけじゃないが……」
「えっ? これくらいなら十分いい感じだろ? 柾木はわかってないなぁ」
 なんか、今、秀樹にすごく舐められた気がする。まあ、私はあまりこういうのには関心が薄いから、別にいいけど。
 やはり、私はこんな姿になっても、ああいう気持ちを理解するのは少し無理かな。
 もちろん、自分だって、二年くらい前まではここでアレを着て訓練していたわけだから、愛着はちゃんと持っているつもりだけど。

「よっ、そこのお二人さん」
 そこで現れたのは、ここに来る時点で覚悟していたわけだけど、慎治だった。
「お、柾木がここに来るって久しぶりだな……えっと、そっちのお嬢ちゃんは?」
「お嬢ちゃんってなんだ。お嬢ちゃんって」
「あ、そうだった。昨日のあの人なんだな。たしか、橘さんだっけ?」
「む~……」
 慎治が馴れ馴れしく接してくると、秀樹はムスッとした顔になった。まあ、気持ちはわかる。こいつ、「橘さん」がどのような状況であるのか、まったくわかってないし。
 まあ、秀樹の正体はあまり知られない方がいいと思うけど。そのせいで慎治に女扱いされるのは、可哀想っていうか、なんていうか……。
「また女の子が増えたのか。本当に男の敵だな、柾木」
「いや、そんなわけじゃ……」
 私たちがそんな掛け合いをしている間にも、秀樹は頬を膨らませて、腕まで組みながら、視線をそっと逸していた。
「でもそうだろ? 高梨さんに綾観さんに……でも、綾観さんは怖いもんな」
「雫は元から男には冷たいだろ」
「いや、だからお前には……あ、そうだった、お前と綾観さん、婚約してたっけ。この浮気野郎め」
「……婚約?」
「あ、橘さん、こいつ、こう見えてものすごく女性運が良くてですね~」
「うっさい」
 そう言いながら、私は秀樹の方へと視線をおとす。相変わらず、秀樹はものすごく不満、という顔をしていた。
「こいつとは本当に、何の関係もないからな」
「はいはい」
 私がそう言ったけれど、秀樹は無愛想な顔のままだ。
 これ、本当にヤキモチなのかな。
 ……なぜだろう。少し納得がいかない。
 私って、そこまで秀樹に頼られているのだろうか?

 それからはいつものように、定期会議に出席する。
 やはり、秀樹がこんな目にあったのは「反軍」のせいらしい。それ自体は昨日、お父さんからも聞かれていたけれど……。元のデータがこちらにないため、解析する時間が必要、というのも昨日に聞いたのと同じだった。
 まあ、すでに覚悟していたことだ。
 特筆すべきことは、何もなかった。

「へえ、そうなんだ」
 会議から戻ってきて、今までの内容を説明すると、秀樹はそういう反応を見せた。昨日にいろいろ聞いておいたからか、かなり淡々とした口調である。
「それは別にいいけど、学園に行けないのは寂しいなぁ」
「仕方ないだろ。少しだけ我慢してほしい」
「まあ、そうするけど」
 ちなみに、秀樹の家にはちゃんと連絡が行き届いているらしい。もちろん、社会的には「事情があって、しばらく学園には来られない」ということになっている。この事態がバラされるわけにはいかないからだ。
「でも、こうしていると暇だな。柾木も、あまり学園には来られなかったんだろ?」
「……ああ」
 そもそも、ここで働いている私が、学園なんて普通に行けるわけがない。一ヶ月に二~三回ならよく行った方かな。私はもちろん、現場担当である慎治たちも滅多に学園には行けない。まあ、さすがに今の私よりはよく行っているらしいけど……。
 私としては、やはり普通に学園に通いたい、と思うが、今のような状況では仕方がない。
 昨日のような、普通の人にとってはありきたりな学園生活も、私にとっては、とても大切なものだった。
「柾木も大変だね」
「別に、なんでもない」
 でも、そんなことを秀樹にバレたくはない。
 だから、私はなんでもないふりをして、それを誤魔化した。

「そこまでお仕事が多いなら、休むのも大変そうだよね。ちゃんと寝てる?」
「別に寝るところはちゃんとあるんだが……」
 これを聞くと、そこまでは考えてなかったのか、秀樹は目を丸くした。
「えっ、寝室あるの、ここ?!」
「ああ、いろいろ事情があってな」
 秀樹が驚くのも無理はない、と私は思う。これも自分にはよくわからないところだが、ここまで立派な寝室が、全ての実務室に行き渡っている会社ってどれくらいあるのだろう。ただの仮眠用ではなく、それこそホテルと比べられそうな、しっかりした作りの寝室が。
「事情?」
 しまった。これって、どう説明したらいいのかよくわからない。
 自分の口からこれを話すのは恥ずかしいというか、なんていうか……。
「以前にも言ったが、ここはいつ『化け物』がやってくるかわからないから、ほとんどの人間が常時待機中みたいなものだ。特に、執務室を持つ『偉い』人たちはもっとそう。化け物がやってきたと言うのは、『反軍』に動きがあったというのと同じだからな。ほぼ即、緊急会議案件だ」
「……だから?」
「だから、ここに残っている時が多い、ということだ。いわゆる残業や夜勤ということだな。もちろん、ここの幹部に当てはまる人たちが、それで体を壊されたら困るから、寝室はベッドつきのしっかりしたものにしているわけだ。これが理由の一つ」
「じゃ、もう一つは?」
 あ、しまった。
 ここまでなら、まだ「あの事情」は話せずに済んだのに。
「まあ……さっきも言ったように、ここの幹部たちは、滅多に家に戻れない。ほぼずっと、ここでお仕事することになるわけだ。もちろん時には出張することもあるが……ともかく、幹部たちにも家庭があるし、もちろん家族もいる。愛するパートナーも存在する。なら、そこでやることは一つしかないだろ?」
「えっと、まさか、ここで?!」
「ああ、『化け物』がいない時のここってまだ余裕があるわけだから、そういう目的のためにやってくる方も多い。もちろん、普通に一晩をいっしょに過ごしながら、時間を過ごすだけ、みたいなケースもあるとは思うが……ともかく、あそこは防音もばっちりだから、あまり気にするな」
「……何を?!」
「あ、なんだ、その……」
 ダメだ。
 この話題になると、どうも私の方が照れそうになってしまう。
 そもそも、ここの人間ではない雫がよく出入りできるのも、だいたい『それ』のせいなんだし……。

「でも、あそこまで凄いことになってるのに、よくマスコミとかが何も言わないね。俺が知らないだけ?」
「いや、そうではない」
 私はそう言い切った。これだけは、自分が断言できる。
 もちろん、新聞社や番組なども、今の状況を知らないわけではない。ただし、偉い人、つまり「上」の方から、これを報道することは禁じられている。これもまた、よくある話だ。
「つまり、情報を規制しているわけだ。昨日にも言ったが、無駄にこんな情報が広がってもいいことはないだろ?」
「へえ、そうなんだ」
 私の話を聞くと、秀樹はぼうっとした顔になった。まあ、昔ならともかく、今の世の中で、マスコミってそこまで力は持ってないと思うけど……まだ影響力は残っているから、気をつけたほうがいいだろう。
「不思議だよね。今は端末とかもあるし、どこでもネットにつながってるのに。そんな世の中で、まだわからないものとか、目に見えない情報があるだなんて」
「まあな」
 気がつくと、自分はそう頷いていた。
 今になってはありふれすぎて、どこでもあるからぞんざいに扱われるのが情報だというのに。
 目が回るくらい、頭がおかしくなるくらい情報が漏れ出しているのに。自分に必要なものとか、この世の中がどう動いているのかは、それだけではまったくわからない。
 この世がどうなっているのかも、これからどう流れてゆくのかも。
 自分が今、求めているものも。
 自分から考えて、自分から決めないと、目に見えない。
 私たちは今、そういう時代に生きているんだ。

 今、そんなことを考えたって仕方がないのに。
 私は思わず、そんなことに考えを巡らせた。