機械仕掛けのコスモス・ 現状把握

 次の日、よく晴れた朝に。
「あ、あの」
 おずおずしながらも、俺はハナさんにそう話しかけた。
「はい、なんでしょうか?」
「す、すごく頼みづらいことですが、その」
 やはり、これを口にするのは図々しいというか、おこがましい。
 そんなことを思いながらも、俺はその頼みを口にせずにはいられなかった。
「ふ、普段着のことですが、スカートではなく、ズボンとか、そういう類のものはないのでしょうか」

 そう、今になって気がついたが、俺は人間になってからずっと、このようなスカート……正確にいうとワンピースしか着たことがなかった。
 もちろん、こちらとしてはこんなヒラヒラとしたスカートより、ズボンのようなものがはるかに履きやすい。そもそも巨大ロボットであったものが、スカートなんてものに慣れる方がおかしいことだった。
 こんな姿、つまり人間になってからはいろいろとあたふたしていて、まったく気づいていなかったが……。やはりこんなスカートばかり履いているのは、すごく恥ずかしい。自分のことを男だと認識している俺としたらなおさらだ。
 自分のような見ず知らずの存在に、私服まで貸してくれたハナさんに、こんな頼み事までしてしまうだなんて、あまりにも礼儀知らずなのだが……。
 やはり、恥ずかしい……というか、「似合わない姿」だという意識が、どうしても頭の中を離れない。
「あれ、スカートは不便だったのでしょうか?」
「い、いえ、不便というより、その、恥ずかしくて……」
 俺が消え入りそうな声でそう言うと、ハナさんはしばらくじっとしてから、やがてふふっと微笑む。
 ……どうやら、今の俺の様子が面白かったようだ。
「それなら、一応ジーンズもありますよ。たぶんチサさんにもぴったりだと思います」
「そ、それで大丈夫です。ごめんなさい。手を煩わせて」
「いえいえ、やはり自分にとってしっくり来る服の方がいいんですから」
 そんなことを口にしながら、ハナさんはクローゼットの中でジーンズを取り出す。こちらの頼みが鬱陶しかった様子には、まったく見えなかった。
「チサさんって、背はわたしより高いですけど、その他はほぼ似ていますよね。面白いです」
「きょ、恐縮です。こちらも助かりました」
「ふふっ、チサさんって言葉遣いが少し変わっていますね。とても面白いと思います」
 ……やはり、機械の言葉遣いは人間のそれとは違うのだろうか。
 せっかくハナさんに褒められているというのに、俺はなぜか、すごく照れくさくなることを感じた。

「そういや、そろそろ町に降りる必要がありますね」
 俺が変にもじもじしていると、ハナさんが突然、そんなことを口にする。
「町に、降りるんですか?」
「はい。この山奥の町ではなく、大きな町のことですね。山の下にあるところです」
 つまり、ここではない他の町に行く、ということなのだろうか?
 この山奥にすら詳しくない俺としては、ハナさんの言いたいことがよくわからなかった。
「あ、チサさんはまだ知らないんですね。下の方の町はかなり大きなところです。田舎の中では、の話ですけどね」
「そ、そうなんですね」
「はい。わたしはいつも、大きな買い物をする時にはあちらに降りるんです。新しい同居人もできましたし、必要なものも増えそうですから」
「あ、あのっ」
 なぜか俺は、ハナさんにそう話しかけていた。
 どうしてそういう行動に出たのか、自分でも上手く説明できない。
「よ、よろしかったら、私も一緒にどうでしょうか」
「ふふっ、もちろん大丈夫ですよ。楽しみですね」
 ああ、よかった。
 ハナさんからそんな答えを得て、俺はようやくほっとすることを感じた。
 もし俺のためにハナさんが町に降りるということなら、やはりこちらとしては黙ってはいられない。今は機械でも何でもないが、せめて荷物くらいは自分が持ちたかった。
「そういや、同年代の女の人といっしょに出かけるだなんて、何年ぶりでしょうか」
 ……とは言え、ああいう無邪気なハナさんの話を聞いていると、どうしても心が痛む。
 俺は人間でないことはもちろん、女でもない存在だからだ。
「そ、それじゃ、ちょっと外に出かけてきますね」
 だからそんなことだけ口にして、俺は玄関のドアの方へと進む。
 まるで今から逃げ出しているような、情けない自分のことを忘れようとするように。

「はあ……」
 そうして俺は、ゆっくりと外に出かけた。
 ある意味当たり前ではあるが、スカートであった今までよりは遥かに歩きやすい。
 ……どうして今までの自分は、私服がワンピースだったことに疑問を抱かなかったのだろう。
 やはり、いきなり人間になったというぶっ飛んだ出来事があったことに加えて、ありとあらゆる情報を受け入れすぎたせいなのだろうか。
 機械の一員としては、非常に情けない……というか、言葉通り想定外の出来事であるため、未だに反応に困ってしまう。
 まあ、この状況に慣れたら、もっと上手く情報を処理できるようになるかもしれないが……。
 それがいつになるかは、自分にもよくわからなかった。
 自分から考えても情けなくて、こんな有様で機械を名乗れるのか、かなり苦しい。
「……あっ」
 そんなことを思っていたら、遠くに見慣れた姿がある。
 あれは……まあ、クロだ。
 向こうもこちらに気がついたのか、嬉々としながら俺の方へと歩いてくる。
 はっきり言って、気持ち悪いことこの上ないが……。さすがに、ここでそういう反応を見せるのは人間として失礼だろう。

「あっ、こんにちは、チサさん」
「こ、こんにちは」
 あまりそういう気分ではなかったが、とりあえず出会ったのは事実だし、俺はクロのやつとも挨拶を交わす。
 ……以前、夢にあんたが出てきたせいで、すごくアレだったのだが。
 そんなどうでもいいことを言い出しそうになるが、なんとか飲み込んだ。
「今日もいい天気ですねぇ。まさに春って感じです」
「そ、そうですね」
 あまりにも当たり障りのない会話を、あいつと交わす。
 そういや、夢の中ではあいつとタメ口で話していたはずだ。
 ……そもそも、元から誰かに「ですます」調で話したことがまったくなかったため、今の状況はとても不本意であるが。

「おや、今日はズボンですね」
 こちらの服を目にしたクロは、ふとこんなことを口にする。
 そういや、以前、ここでゴミ投げをやっていた時の俺はワンピース……即ちスカートだったのか。
 ……今更遅いとは思うが、あそこまで激しくゴミ投げをやっていたと言うのに、スカートの違和感に気づかなかった自分はどうしたものか。
 ところで、スカートはズボンより下着などが見えやすい服だったはずだが……。いや、この考えは止そう。考えるだけで無駄だ。
「ハナさんのワンピースも似合ってましたが、やはりチサさんはジーンズでもかっこいいですね」
「ほ、褒めても何も出ませんが」
「綺麗な人のことは褒めるのが僕の流儀なんです」
 ……こいつ、よく考えてみるとだいぶキザだな。
 自分が本当の女だったとしたら、こんなやつにコロリと転んでしまったのかもしれない。

「そういや、ハナさんの様子はどうでしょうか?」
 そんなどうでもいいことを考えていたら、急にクロのやつは、そんなことを聞いてきた。
「あっ、大丈夫です。心配だったのでしょうか」
「まあ、そうですね。やはり幼馴染でもありますし」
 そういや、二人はそういう関係だったんだな。
 ……即ち、クロは俺の知らないハナのことをたくさん知っているわけだ。
「二人は幼馴染って聞いたのですけど、やはり生まれた時から一緒だったんでしょうか?」
 俺がそう聞くと、クロのやつは一瞬目を丸くする。
 そこまで動揺するやつの顔は、初めて目にするものだった。
 だが、すぐ元の顔に戻ったクロは、しばらくじっとしてから、遠いところへと視線を落とす。
 どうしたんだろう。何かあったのだろうか。
 訳がわからない俺は、あいつの横顔をただじっと見つめるだけだった。

「いやいや、申し訳ないです。つい考え込んでしまいましたね」
 そうしてずっと遠いところを眺めていたクロは、やがてこちらへと視線を戻し、照れくさそうな顔をする。
「いえ、大丈夫です。事情はわかりませんけど」
「そうそう、その話だったんですよね」
 そう一人で頷いてから、クロはこちらに振り向き、再び口を開けた。
「僕は都会生まれです。ハナさんとは違うんですよ」
 それを聞いた俺は、一瞬意味がわからなくなってしまった。
 ……都会?
 ここで生まれ育ったわけではないのか?
「確かにハナさんとは幼馴染なんですが、僕がここに来たのは小学校の頃ですね。その前まではずっと都会にいました。今でも時折、用事のために都会に行くことがあるんですよ」
「そ、そうなんですか」
 そう言われてみれば、こいつからは都会――つまり、俺と同じ匂いがする。
 ハナさんがずっとこの町に住んでいたことも、クロのやつが都会生まれだということも、聞かれてみれば、確かにおかしくはない。
 まあ、想定外の情報だったから、反応が変になったのは仕方ないが。
「はい。そのせいか、どうも僕はこの町で暇を持て余していることが多いですね。ハナさんから見ると、ここもだいぶ面白いところだそうですが」
「だから、あのゴミ投げを……」
「まあ、チサさんも楽しかったんでしょう?」
 その話に、俺は思わず視線をそっと逸らす。
 ……熱中していたのは確かだが、こいつの前では決して認めたくなかった。

「それじゃ、ハナさんは都会に行ってないのでしょうか?」
「そうなりますね。僕の言う『都会』は、山の下であるあの大きな町ところじゃないですから」
 それを聞いて、俺は今まで、ハナさんがどこか遠くに行く様子を見せなかったことを思い出す。
 ひょっとして、ハナさんが今まで行ったことのある一番大きなところは、あの「大きな町」であるのだろうか。
「以前にも言いましたけど、やはりハナさんのことは心配ですよ。家族で過ごしていた以前ならともかく、女子一人でこんな山奥で暮らすのは、遠くから見ると気にかかるんですよね」
「……ハナさんのこと、大事にしているのですね」
 それは、あの時、こいつと初めて出会った時にも思ったことだ。
 こいつ、確かにチャラい……というより、俺にとってはいけ好かない奴だが、ハナさんにとってはきっと違う。
「もちろん、ハナさんは見た目よりずっと逞しい方ですよ。この町の大事な人でもあるし、そう簡単に襲われたりはしません。っていうか、もし誰かがハナさんを襲おうとしたら、ここの人たちが黙ってはいないのでしょう」
「そこまで、ハナさんはここにとって大事なんでしょうか」
「まあ、ハナさんの爺さんのこともありますしね。ハナさんがここを離れないのも、それが理由の一つです」
 そういうことを口にする時、やつはどこか苦い顔をしていた。
 ……やはり、軽く口にできない事情とやらがあるのだろうか。
 俺にとっては知るすべもないが、どちらにせよ、ハナさんは幸せで暮らしてほしいと心から思った。

「まあ、今の時代、こういう気持ちって余計なお世話かもしれないですね。僕の方が勝手に心配してるだけで」
「でも、あの、気持ちはよくわかります」
 これは、偽りのない自分の素直な気持ちだった。
 ハナさんの幼馴染であるクロなら、やはりどうしても、自分の大切な人が気になって仕方がないのだろう。
 ……俺なんかは決して追いつけないほど、二人の関係は深いわけだ。
「ということで」
 そこまで話して、クロは俺の方へと再び振り向く。
「ハナさんのこと、よろしくお願いしますね。さすがに僕も、ハナさんと一緒に住むことは叶わないのですから」
 きっと、その台詞は「僕は男だから、ハナさんとは一緒に住むことができない」という意味なのだろう。
 そして、「元なら」俺も、クロと同じ境遇であったはずだ。
 ……これが、罪悪感と呼ぶものだろうか。
 俺はなぜか、ひどく心が痛むことを感じた。

「でも、チサさんが居てくれてからは、毎日賑やかで楽しいですね」
 その日の夕暮れ。
 テーブルで向かい合ったまま、ハナさんはそんなことを口にした。
「そ、そうなのでしょうか」
「はい。いつもは静かに過ぎてゆく毎日だったのですから、チサさんのことがいい刺激になっている気がします」
 それを聞くと、少し照れくさいというか、ハナさんのことを上手く見つめられなくなる。
 ……そういや、俺がここに倒れていた時に、自分の元の姿――「ギガント」も一緒だったわけだが。
 自分で「自分」のことを口にするのはやはり躊躇われたが、それでも、ずっと話題にしないわけにはいかない。
「その、私と一緒に倒れていた、アレは……」
「あ、あの『巨大なもの』ですね。確かに不思議だと思います」
 俺の話を聞くと、ハナさんは首を傾げながらそう答えた。
 やはり、ああいうメカニックな人工物は、こんな静かな山奥では目立ちすぎるのだろう。
「えっと、あの日の夜に、何か気配はなかったのでしょうか? 大きな音とか……」
「うーん。あまりそういうものはなかったんですね。そこがまた不思議だと思います」
「やはり、そうですよね……」
 自分のことを話しているというのに、どこか他人事みたいな口調で俺はそう口にする。
 こういうことを論理的に言い切ろうとするときっとキリがないが、機械の一存としては、どうしてもそちらの方向で考えてしまうのが困りものだ。
「ですが、世の中は不思議なことでいっぱいですし、そこまで気にしてはいませんよ」
「えっ、そうですか?」
「はい、世の中って、案外そういうものだと思いませんか?」
 そんなことを口にしながら、ハナさんはいたずらっぽく微笑む。
 ……この人は、こんな顔もできたのか。
 当たり前ではあるけど、俺の知らないハナさんのことが、また一つ増えた気がした。
「よ、よかった。てっきり迷惑になっていないか心配だったので」
「ふふっ、チサさんは本当に思いやりのある方ですね。大丈夫です。わたし、あの『巨大なもの』を迷惑だとは思っていませんから」
 やはりチサさんって面白いですよね、って顔で、ハナさんは俺のことを眺める。
 ……自分が目障りに思われなかったのはよかったが、やはりこれは少し照れくさい。

「でも、チサさんってこの周りを散歩することしかやってないような気がするんですよね」
 そんなことを思っていたら、急にハナさんが、こんなことを言い出す。
「えっ、そうなのでしょうか?」
「はい。やはりここは山奥ですから、道に迷うのが心配なのでしょうか」
 事実、それがないとは言い難い。
 そもそも「人間になった」という出来事が衝撃的すぎて、いったい何を考えてどう行動すればいいのか、まったく思いつかなかった。
「そ、それもありますが……一応、ゆっくり考えてみようと思います」
「それもいいですね。やりたいことって、案外ぼうっとしてる時に思いついたりもしますから」
 ハナさんの笑顔を見ていると、どうしてか、俺は心がドキリとするような感覚に陥る。
 理由は自分でもよくわからないが……。やはり、自分はハナさんのことを、他の人間より特別だと思っているのかもしれない。
「そういや、ハナさんは望みとか、そういうやりたいことはないのでしょうか?」
 何を話しかければいいのかわからなかったので、とりあえず、自分も話題をそのまま返してみる。
 ……人間らしい会話術など知るわけもないため、ひどく拙いやり方ではあるが、それは仕方あるまい。
「そうですね、いつか海を見てみたい、とは思ってます」
「海、ですか」
 ハナさんが遠いところに視線を落としていることを、俺はじっと見つめる。
 実はこちらも、実際の海を見たことはまったくない。
 自分の国は陸ばかりのところであり、ギガントはあまり遠くまで行くことがなかったため、海を見る機会は与えられなかった。
 もちろん、データベースにはちゃんと情報がある。海がなんたるものなのか、俺ははっきりと言い切れる。
 だが、それはあくまでも知識の話だ。
 実際に見たことすらないというのに、その机上の空論みたいな知識に、何の意味があるのだろう。
「はい、チサさんはどうでしょうか?」
「じ、実は私も、海は見たことがありません」
「そうですか、似たもの同士ですね」
 そう口にしながら、ハナさんはふふっと微笑む。
 ……初めて共通点ができたような気がして、俺はなぜか、少し嬉しくなった。
「いつか、いっしょに海を見に行けたらいいですね」
「えっ、二人で、ですか?」
「もちろん、クロさんといっしょに行くのもいいですが……。チサさんは、わたしと二人だったら嫌なのでしょうか?」
「そ、そんなわけありません! むしろ、身に余るというか、なんというか……」
 あまりにも予想外の話に、俺はすごい速さで首を振ってしまう。
 ……クロのやつと一緒に行きたがっているというのも否定したかったが、それ以上に、ハナさんと一緒にどこかに行けるのは恐れ多いことだというのを伝えたかった。

「ふふっ、よかった。てっきり、わたしって嫌われてるのかな?と思ってしまいました」
「と、とんでもないです。私がハナさんのこと、嫌うわけがないじゃないですか」
 俺がすぐ否定すると、ハナさんはこちらを見ながら、面白いという顔をした。
 誤解を解いたのはよかったものの、なぜか恥ずかしい気持ちになってしまう。
「海はですね、わたしの思い入れのあるところなんです。祖父さんは昔、海を股にかけるような方だったんですよ」
「そ、そうだったんですか」
 ハナさんから家族の話が出てきたのは、今回が初めてだ。
 ……ここにその祖父がいないということは、恐らく、もう亡くなっているという話なのだろう。
「はい。だからいつか、わたしは海を見に行きたい、と思っていました」
「その夢、叶うといいですね」
「ええ、ありがとうございます」
 その話と共に、ハナさんはいつものように、優しく微笑む。
 ……なぜか俺は、その笑顔が心に染みてくることを感じた。